備忘録として

タイトルのまま

老荘と仏教

2012-05-19 17:11:48 | 中国

 統計的根拠はないが、シンガポールの人口比率の中国系75%、インド系10%弱に比べて、インド人弁護士の比率が高いように感じる。インド人が論理的な思考に優れているため弁護士業に向いているからだと理解している。以前にも書いたが、シンガポールには、”中国人が3人寄ればギャンブル、インド人が3人寄れば議論を始める”ということわざがある。個人的にも、これまで出会ったインド人は議論に長けていて、理屈に合わないことに妥協することはなく自分の主張を曲げない人が多かった。中国系華僑もタフな交渉相手だが、それでも議論が平行線をたどった場合には大抵現実的な決着が期待できるが、インド人だとそうはいかない。インド人とビジネスをするときは契約書の細部にまで目を通し不利益がないかを徹底的に調べておけとよく言われる。契約で問題が生じても、契約外での妥協に期待できないからだ。

 インド人と中国人の民族性について感想を述べたのは、森三樹三郎が「老子・荘子」の中で、インド発祥の仏教が中国で当初受け入れられなかった理由やインドで始まった仏教の教えに対し中国独自の解釈が発展した理由を、民族性の違いで説明しているからだ。森曰く、”もともとインドの仏教の救いとは、知恵によって真理を悟ることだったといわれる。その意味では極めて理性的な教えであり、哲学的な宗教であったといえよう。--ところが中国人は理屈が苦手であり、きらいである。” 中国では当初仏教を老荘思想で理解しようと試みた。たとえば般若経の”色即是空”の空を、それに近い老子の無で解釈しようとした。しかし、老子の無は有の根源としての無、有を生むための無であり、無という名の有だと解釈され、一方、仏教の空は一切の実在の否定であり無限の否定の連続なので、両者は根本的に異なるのだが仏教を理解するために中国人に馴染みの道家の思想が利用されたのである。実際は、般若の空は老子の無よりもどちらかと言えば荘子の無に近い。荘子は、老子のように万有の始めに無を置くのは間違っていて、”無がなかった始めに先行する始め(別の無)があるはずだ”と、老子の無を否定する。荘子が見直した無は、無限や無極のことである。

 中国に入った仏教は、老荘思想で解釈されたあと独自に発展し、禅宗と浄土教が生まれる。これらは中国人の現実的な体質に合うように改造された仏教だと森はいう。禅宗と浄土教はまったく逆の方向を持っている。禅は座禅などの修行によって心のうちに仏を見つけようとする自力業であるのに対し、浄土教は念仏だけで成仏できるとする他力業である。禅宗の仏は各人の心の中にあり、浄土教の仏は西方十万億土の彼方にいる。両者に共通するのは、知識や理論に重きを置かないことである。禅宗は”行”、浄土教は”信”であり、インド仏教の”慧(知恵)”を排除する。禅宗は中国で完成するが、浄土教はその後日本にわたり親鸞を持って完成する。

禅宗と荘子

禅宗は、荘子の思想に極めて似ているという。禅宗には不立文字や以心伝心という言葉があり、真理は言葉で伝えることができないとする。荘子の哲学はありのままの真理、自然のままの姿を知ることから出発する。荘子は、言葉は真理を表すのに十分でないばかりでなく、真理のありのままの姿を損なうから、真理にたどりつくには言葉よりも直観が大切だとする。言葉を重視しない点において荘子は禅宗と同じである。禅宗と荘子の違いは、戒律や修行による精進努力を要求する禅に対し、荘子は無為である点にある。

浄土教と荘子

親鸞が最晩年にたどり着いた境地は自然法爾(しぜんほうに)である。阿弥陀仏は最高神ではなく真の仏とは無形の真理で、真理とは自然だというのである。彼の著書「教行信証」では、善導(中国の浄土教僧侶)の”仏に随い、逍遥して自然に帰す。自然は即ち是れ弥陀国なり”を引用している。自然とはなにかというと、救いが自己の努力によらず無為によって達せられるということである。人為を放棄して得られた自然は必然に通じる。自然必然の法則は生と死を包摂する無限の広がりを持つ。すなわち、自然必然の法則(運命)に抵抗する私意を否定し、自然のままに生死を迎えようというのである。歎異抄で唯円が、”念仏を唱えても急いで浄土に行きたいと思わないのはどうしたことか”とたずねたとき、親鸞は”私も同じだ”と告白するのである。理性において浄土が極楽であるとしても人間の本能がそこへ行くことを許さないのである。

これは”死生を斉しくす”という荘子的な思想そのものである。荘子の無為自然は、”人為を捨てて必然のままに従え。運命のままに生きよ。”ということである。荘子には運命の主催者(神や仏)はいない。荘子は自然主義者、運命論者、無神論者である。親鸞の晩年は荘子と同じ境地に至るのである。阿弥陀仏を否定し真理をみる親鸞の無神論は危険すぎるため親鸞本人がこの問題を取り上げるなと注意喚起している。

 ところで、荘子の内編は「逍遥遊編」より始まる。親鸞の教行信証には、この逍遥という荘子に直結する言葉や、論語、陶淵明の帰去来などの言葉が散りばめられている。森三樹三郎は、”親鸞が荘子を知っていたとは思えない”と言っているが、それは信じがたい。荘子の思想を知悉した上で、浄土教そして自分の浄土真宗の教義には荘子の思想が奥深く秘められていることを十分理解していたのではないかと思う。


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