備忘録として

タイトルのまま

赤駒

2010-07-24 16:58:18 | 万葉
 水木茂が梅原猛と対談----なんていう宣伝文句が出ていたら飛びつかないわけにはいかない。ので、今まで見向きもしたことのない芸術新潮を買ってしまった。対談は実質4ページだけで、梅原得意の戦争と死と哲学と貧乏と執着と出雲周辺には霊魂のようなものが漂っているというようなたわいもない話だったが、水木しげるの古い貴重なマンガがいくつも掲載されていて中身は充実していた。ゲゲゲの鬼太郎はテレビで見ていたし、エロイムエッサイムと魔法陣の悪魔くんもリアルタイムで見た世代である。ただ、水木マンガが好きだったわけではないので、広島に住んでいたとき境港には何度も行く機会があり、妖怪オブジェの並ぶ水木しげるロードも水木しげる記念館の前も何度も通ったけれど見向きもせず、松葉カニを買うために魚市場に直行していた。「悪魔くん復活 千年王国」というマンガや「劇画ヒトラー」で焦土と化した街を見下ろし”これがヒトラーがドイツ国民に送った千年王国だったのである”と書いたように水木しげるが千年王国にこだわっていることも芸術新潮で知った。
梅原猛が最近、出雲王朝に関する本を出しているので買わなければならないのだが、2400円もするので躊躇している。

 NHKの「ゲゲゲの女房」は面白い。少なくとも、前回の「ウェルかめ」よりは断然面白い。「ちりとてちん」の次ぐらいにランクされるかもしれない。漫画家をあきらめた河合はるか(アッキーナ)が布美枝と深大寺へ行き、みやげ物のわら製の馬を手にすると、店のおばちゃんが、”この馬は万葉集に由来する”と話した。すぐに、犬養孝の「万葉の旅」の東国編で調べると次の歌が出てきた。

  赤駒を 山野にはがし 取りかにて 多摩の横山 徒歩(かし)ゆか遣(や)らむ
                       --防人椋椅部荒虫 妻宇遅部黒女--

 天平勝宝7年(755)2月、防人交替のときの、武蔵国豊島郡出身の防人の妻の黒女の歌である。防人は国府(府中)に集められ3年交替で太宰府に送られる。犬養によると、”赤駒を山に放して捕まえられず、(遠い旅路を)歩いていかせなければならない”という意で、夫への慕情を東国なまりで詠んでいるのだそうだ。
 


 山と川の特徴が明瞭に見える石川の時でさえ確信が持てなかったのだから、犬養孝の”府中市多摩川畔にて”という注釈だけでは、上の写真のどこにでもありそうな場所を特定するのは相当難しいような気がする。
 
 深大寺へ行って犬養の写真を撮り、そばを食べ、赤駒を買い、水木しげるの家を見る準備はとうの昔にできているのだけれど、連日の暑さと夏風邪の所為で家でぐったりしている。結局、深大寺へ行くのは秋風が吹くころになりそうな予感がする。そのころには”ゲゲゲの”ブームも去っていて混雑しなくていいかもしれない。

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