備忘録として

タイトルのまま

ブッダは、なぜ子を捨てたか

2012-06-24 04:37:57 | 仏教

 ガンジーは非暴力による独立運動に入るころ妻子を捨てブラフマチャリヤ(禁欲)の誓いを立てる。ゴータマ・シッダールタ(ブッダ)は29歳で妻子を捨て悟りを得るための苦行に出る。ガンジーの非暴力はブッダの不殺生に通じる。悟りを得るため、あるいは信念をつらぬくためには、世俗のあらゆる欲も愛欲も血縁・家族も自己さえも捨てなければならないのか。

 山折哲雄は”ブッダは、なぜ子を捨てたか”の中で、ブッダとガンジーの生き方を重ねあわせて、ブッダの教えを解説する。山折は本で、誕生し29歳で家を出るまではゴータマ・シッダールタ、家を出て35歳でブッダガヤの菩提樹の下で瞑想に入り悟りを開くまでをシャカ、そのあとはブッダと呼ぶとしているので、ここでもそれに従う。

 シッダールタは結婚して13年目にして初めて長男を授かる。本来なら待望の子を授かったはずが、自分の子に悪魔「ラーフラ」という名をつける。子供の誕生は愛欲の結果と直観した所為ではないかと山折は想像している。シッダールタは我が子の誕生と同時に妻子を捨て家を出る。我が子に悪魔と名付けたことで一度子を捨て、家を出ることで二度子を捨てた。山折がそのように想像する理由は、ブッダの悟りが愛欲を含めすべての欲望(苦のもと)を捨てることで開かれたとするからである。同じように長男が再婚を望んだとき、ガンジーは”子を産むことは原罪的な呪いの行為であり慎むべきである”とブラフマチャリヤ禁欲を理由に反対した。欲望は高次元での生き方の妨げになるのである。以前、我が子に「悪魔」と名付けようとした人がいたが、もしかしてブッダに倣おうとしたのかもしれない。

 6年の遍歴の後、シャカがたどり着いた悟りとは、「四諦八聖道(八正道)」と「縁起」の2つの原理だと山折はいう。手塚治虫のブッダを読んで自分なりにブッダの悟りは”自己犠牲”と”宇宙はひとつの生命でつながっている”と解釈したが、前者は「八聖道」の究極の姿であり、後者は「縁起」のことなので手塚治虫はほぼ山折と同じ理解だったと言える。

 四諦(したい)とは、苦、集、滅、道の4つの真理(原理)で、ブッダは、「さとれる者(仏)と真理のことわり(法)と聖者の集い(僧)とに帰依する人は、正しい知慧をもって、4つの尊い真理を見る。---すなわち(1)苦しみと、(2)苦しみの成り立ちと、(3)苦しみの超克と、(4)苦しみの終わりにおもむく8つの尊い道(八聖道)とを見る。」と言う。すなわち、人生は(苦)であり、苦しむのは、ものにこだわる(集)からであり、執着愛着を含めて欲望がつきないからである。したがって欲望をすべて消(滅)させることが悟りの境地に入ることで、苦の消滅には正しい修行、8つの(道)を実践しなければならない。ここで特筆すべきことは、滅のあとに道が説かれていることである。道の実践により苦を消滅させること(道→滅)が最終目標ではなく、苦を消滅するための道の実践(滅→道)が重要だという。欲望からの解放に向かって限りなく努力せよ(滅→道)が人間にとって不可欠の生き方なのだという。八聖道は八つの道の実践方法である。

 縁起とは、現実にあるものすべては、単に相対的な存在にすぎないという認識のことである。絶対的なものはなくすべては相互依存的に存在している。

 さて、父であるブッダに捨てられたラーフラはその後、ブッダの弟子になり学習第一の羅睺羅(らごら)として十大弟子のひとりに数えられる。一方、ガンジーの長男ハリラールは再婚を反対されたあと自制心を失い酒と女に溺れ立ち直ることはなかった。また、ブッダは静かに涅槃に入るがガンジーは暗殺される。

 西行は23歳のとき家を出るとき衣の裾にとりついて泣く4歳の我が子を縁から蹴落としたという逸話があるが、その後歌の道に入り、苦行や信仰に入った様子はない。西行の家出は失恋(待賢門院が相手という説)が原因だという説もある。だから、山折は西行の家出には言及しない。

 山折は京都に住んでいるがどこにもブッダの姿が見えないという。言われてみれば仏教寺院に行っても、ブッダ自身を意識することはなく如来や観音などの仏像を拝んでいる。そもそも如来や観音ら仏とブッダとの関係や仏教内の位置付けさえ自分がよく理解していないことに気づいた。


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