備忘録として

タイトルのまま

絶交

2014-03-09 12:36:23 | 話の種

梅原猛と司馬遼太郎が絶交していたことは有名な話で、それを何度もこのブログで紹介したが、本人たちが直接言及したものを見たことがなかったのでその信憑性には若干の疑いがないでもなかった。梅原猛がそのことについて書いた論文を見つけたときには不謹慎ながら宝物を見つけたかのように狂喜してしまった。以下、梅原猛の文章をそのまま引用する。

今の司馬遼太郎を昭和の大文学者であるかのように扱う風潮に強い抵抗を感じる。たしかに司馬遼太郎は偉大な国民作家であり、その影響は吉川栄治以上かもしれない。しかし司馬は心底からの近代主義者であると思う。彼の小説はほとんど戦国時代以降の事件をテーマとしている。特に彼が鮮やかに描くのは、いち早く合理主義的思想をもち、日本の近代化に貢献した坂本龍馬、大村益次郎、秋山兄弟の如き人間なのである。

彼は宗教嫌いであった。いつか私に、宗会議員に出ている坊さんの顔を見ると、犯罪者に見えるとか、創価学会は宗教ではないと言ったことがある。私は、宗会議員が日本の国会議員より特別に犯罪者に見えるとは思わないし、創価学会もその主張はともあれ、日蓮宗の流れを汲む宗教団体であることは確実であり、司馬氏の言を咎めたが、司馬氏の意見を変えさせるにはいたらなかった。

彼に『空海の風景』という唯一宗教家を対象にした小説があるが、私は買わない。彼が空海について小説を書くというのでいろいろ私に聞いたが、私は、その程度の知識で空海を書くのは反対です、もう十年、空海を勉強してくださいと言った。しかし、司馬氏は聞き入れず、まもなく『空海の風景』を出版した。それを見て私はある種の憤りを感じ、正直な批評を書いたが、それが司馬氏を激怒させ、最後まで私と司馬氏は微妙な関係にあった。(中略)こういう宗教や道徳に懐疑的な司馬氏は空海を書くべきではなかったと思う。空海を書かなくても彼は十分すぐれた作家であったはずである。

たしかに司馬氏は昭和という時代を代表する文学者であったかもしれない。その時代の精神はやはり科学技術を信じる近代主義である。近代主義者である司馬氏は精一杯の仕事をして死んでいったが、この近代という時代に対する厳しい批判を彼は投げなかったように思われる。彼は終生歴史の傍観者で、一度も体を張って何かを主張することはなかった。私は、その時代の矛盾を暴露して、新しい時代の思想を予言的に語るのが文学者であると思う。近代という時代を無条件に賛美したかにみえる司馬氏を昭和の日本の代表的文学者として認めてもよいと思うが、彼を未来の世界を予言し警告した作家であるとはとても思えない。

現代芸術論『現代日本文化論11 芸術と創造』 1997年12月 岩波書店から該当部分を抜粋した。XX細胞のXX論文に無断引用があることが問題になっているので引用先を明記した。(注:共著者が論文内容に確信が持てないと発表するなどジョークで済まない雰囲気になってきたのでXXとした。2014年3月10日追記)

司馬遼太郎が『空海の風景』を書いたことに対する梅原の批判は辛辣である。司馬遼太郎は1996年2月12日に没し、論文は翌年1997年12月の発表である。鶴見和子は「南方熊楠」で死者を批評するのはFairじゃないと書いたが、案の定梅原はそんなことにかまっていない。梅原は”私は買わない”と述べているが、『空海の風景』を読んだ上での批判だということは確実である。なぜなら、梅原猛は自著『聖徳太子』で津田左右吉が法華義疏も読まずにそれが聖徳太子自筆でないと結論づけていることを痛烈に批判しているからである。そういう私は『空海の風景』を読んでないので批評する立場にないが、それでも梅原と司馬作品は相当数読んでいるので幾分かの感想を述べることは許されてもいいのではと思うのである。

梅原が言うように司馬が宗教嫌い少なくとも仏教嫌いであったことはたしかだと思う。例えば『街道をゆく』の島原・天草の諸道で、”仏教は万有の本体をもっとも豊かなゼロと見、自らの精神をゼロにすることをもって究極の目的とする。中世の僧侶といえども、真にゼロになりえたものはまれである。”と空の理論を持ち出し仏教を一言で片づけ僧侶でさえ解脱できないと決めつけている。南蛮の道では、浄土真宗はーー”美学的にはどこか寝ころんでよだれを垂らしている感じがしないでもない”と司馬流の婉曲な言い回しだが、念仏を唱える宗徒を愚鈍でおねだりするだけと完全にばかにしている。こんな宗教嫌いが宗教家を主人公とする小説を書こうと思ったことが不思議である。吉川栄治が『親鸞』を書いているので司馬はそれに対抗しようとしたと梅原は想像している。小説家が何を題材にしようがそれは作家の勝手で、知識がないから書くなというのは余計なお世話だと思うのだが、梅原猛にとっては到底許せないことだったようである。司馬作品には多くの間違いや決めつけがあると言われている。学術論文ではないのだから歴史小説に厳密さを求めるほうが間違っている。司馬自身が言っているように歴史小説はしょせん史実を下敷きにしたフィクションなのである。とはいえ司馬は当時、国民的作家と言われるほど人気があり、『街道をゆく』や『この国のかたち』などのエッセイと著名人との対談で頻繁に文明批判や提言をしているので、司馬のことばへの注目度は高く社会的な影響力は大きかった。司馬史観ということばが生まれるほどの影響力があり、読者は司馬の書くフィクションを史実だと錯覚してしまう危険性があった。だから梅原猛はもっと慎重であるべきだと忠告したかったのだと思う。実は、論文で梅原は”絶交”ということばは使っておらず、上に引用したように”司馬氏を激怒させ、最後まで司馬氏と私は微妙な関係にあった。”とある。”微妙な関係にあった”より”絶交していた”とした方がセンセイショナルであり、ブログは厳密である必要がないので”絶交”という表題にした。

『空海の風景』は読む気がしない。司馬が『竜馬がゆく』で描く坂本龍馬や『燃えよ剣』の土方歳三は魅力的で、彼らに対する司馬の思い入れは強く司馬自身彼らが好きでたまらないということが小説からにじみ出ていた。読者である私も作品と主人公に魅了された。宗教嫌いが書いた宗教家の話が面白いとは到底思えないのである。だから、私も買わない。

今、NHK大河「黒田官兵衛」は毎回楽しみにしている。昔読んだ司馬の「播磨灘物語」からの知識を総動員しながらドラマを観ていることは間違いない。今日は毛利の大軍が攻めてくる。官兵衛はどうやってこの危機を逃れられるか? 

NHKドラマの話のついでに、先週の「ごちそうさん」で長男泰介の出征の日の献立は屈原のちまきだった。脚本家の反戦へのメッセージを重く受け止めたい。


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