備忘録として

タイトルのまま

鞆の浦

2009-10-07 20:14:56 | 万葉
昭和30年代後半、犬養孝が撮った”黎明の鞆の浦、手前・弁天島、後方・仙酔島”である。
下は今。


海人小舟 帆かも張れると 見るまでに 鞆の浦廻に 波立てり見ゆ  作者不詳(巻7-1182)

「備後の鞆は、こんにちでは、4~5月ごろの鯛網の観光や、弁天島から仙酔島にかけての風光のよさで知られているが、(中略)いまはさびれた港町となって 昔の由緒も、船具などの鉄工場のひびきの陰にわずかに余喘をたもっている趣きである」犬養孝
注:余喘(よぜん)をたもつ=滅びそうなものがかろうじて続いている

10月4日の日曜日に鞆の浦へ車で行った。写真の弁天島、仙酔島、万葉歌碑、常夜灯、坂本竜馬のいろは丸、古い街並みなど見どころは多かった。鞆の浦では街なかの交通渋滞の解消のため、埋め立てと架橋が下の写真の場所に計画されている。

中国新聞の写真にお絵かきした。

犬養孝が訪れた昭和30年代後半、鞆の浦の由緒はすでに虫の息状態だった。それから50年、鞆の浦の由緒は何とか保たれてきたが、埋め立てと架橋が虫の息までも止めてしまうはずだった。そして先週10月1日、広島地裁は、景観保護を目的として、埋め立てと架橋計画の差し止めを命じた。この判決で鞆の浦が生き残る可能性がでてきたのである。

吾妹子が 見し鞆の浦の むろの木は 常世にあれど 見し人ぞ無き  大伴旅人(巻3-446)

大伴旅人は太宰府から帰京する途上、鞆の浦を過ぎるとき、赴任先で亡くした亡妻を思慕する歌を詠んだ。むろの木は松杉科のハイネズという木で、仙酔島に自生するのを犬養は弁天島を背景に撮影している。



仙酔島には渡らなかったのでむろの木の写真を撮れなかった。代わりに弁天島と仙酔島への観光船発着場の向かいに立つ大伴旅人の万葉歌碑を載せておく。歌碑のとなりに立つ木は、松杉のたぐいだと思うのだが、むろの木であるという表示はなかった。上の写真のむろの木とは、少し違うような気がする。もしも、むろの木でないとしたら、むろの木の歌碑の脇に”紛らわしい木を植えるな!”


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