備忘録として

タイトルのまま

石見の海

2009-08-25 20:43:43 | 万葉
犬養孝の「万葉の旅」の見開きを飾る”石見の海”都野津付近の海岸の写真である。

柿本朝臣人麿、石見国より妻に別れ上り来たる時の歌
石見の海 角(つの)の浦廻(うらみ)を浦なしと 人こそ見らめ 潟なしと 人こそ見らめ よしゑやし 浦はなくとも よしゑやし 潟はなくとも 鯨魚(いさな)取り 海辺をさして 和多豆(わたづ)の 荒礒(ありそ)の上に か青なる 玉藻沖つ藻 朝羽振(はふ)る 風こそ寄せめ 夕羽振(はふ)る 波こそ来寄れ 波の共(むた) か寄りかく寄り 玉藻なす 寄り寝し妹を(A)
露霜の 置きてし来れば この道の 八十隈(やそくま)毎に 万(よろづ)たび かへりみすれど いや遠に 里は放(さか)りぬ いや高に 山も越え来ぬ(B)
夏草の 思ひ萎(しな)えて 偲(しの)ふらむ 妹が門見む 靡(なび)けこの山(C)

恋人と別れた寂寞は石見の海の情景と重なるように自然と融合し(A)、別離の自覚は苦悶焦燥となり(B)、恋人への思慕は、あたかも恋人が目の前にいるがごとく想像させ、”靡けこの山”という激しい衝動に完結する。と犬養はこの長歌を解説する。

5月に都野津の海岸を真島より撮影した。


砂浜が犬養の頃(昭和40年前後)に比べ痩せているように見える。遠方には工場の煙突が見え、海岸沿いの開発は著しい。犬養は「万葉の旅」で、”真島の砂山に立てば東西ともに波音さえ人麻呂の楽を奏するようである”と述べ、人麻呂と同じ古代の空気を吸っているかのようだ。砂浜と海だけを見れば犬養と同じ感覚に浸ることができる。



真島。鳥居があったが何を祀っているかわからなかった。

上の長歌への反歌
石見のや 高角山(たかつのやま)の 木の際(ま)より わが振る袖を 妹見つらむか
小竹(ささ)の葉は み山もさやに さやげども われは妹思ふ 別れ来ぬれば




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