備忘録として

タイトルのまま

長門の島

2009-10-03 08:28:36 | 万葉

わが命を 長門の島の 小松原 幾代を経てか 神さびわたる (巻15-3621)
恋繁み 慰めかねて ひぐらしの 鳴く島陰に 蘆(いおり)するかも (巻15-3620)
石走る 滝もとどろに 鳴く蝉の 声をし聞けば 都し思ほゆ (巻15-3617)
われのみや 夜船は漕ぐと 思へれば 沖辺の方に 楫の音すなり (巻15-3624)
4首ともに遣新羅使人

遣新羅使は、天平8年(736)、瀬戸内海を西進しながら長門の島に仮泊し、上の4首を含め8首の歌を詠んでいる。望郷、妻恋い、異郷のわびしさを歌っているけれど、都を出たばかりで新羅までの道のりはまだ遥かである。これから先のことを考えたら、気が狂いそうになるかもしれない。確か大使は新羅からの帰途、対馬で亡くなっている。(天平の鬱

長門の島に擬せられる倉橋島の桂浜に行ったのは先週の日曜日(9月27日)で、犬養孝と同じように、音戸の瀬戸にかかるラセン型の橋(昭和36年竣工)を渡った。


砂浜と海と遠くの島を見る限りでは、犬養孝の行った昭和30年代後半と違いがないように見える。海辺には万葉歌碑が立っていたが、犬養孝の頃もあったそうだ。しかし、海から陸に目を転じると、海岸の道路脇には町営の近代的な温泉や体育館や公民館が建っている。
写真の灯篭の脇に大きな鳥居があり、陸に向かって道路を渡ると桂浜神社がある。祭神は仲哀天皇と神功皇后とその子応神天皇である。確か、山口県宇部市の琴八幡宮の祭神も同じだった。都から九州にかけては、熊襲や新羅征伐に行った3神を祭神とする神社が多いのだろうか。絵馬堂の絵は保存状態が悪く色あせ破れさびれていた。


最新の画像もっと見る