伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

プラットホームにて

2012年12月05日 | エッセー

 黒煙を引きながら走る蒸気機関車が消えて、どれほどになるだろう。
 片田舎の寂れたプラットホームに立つたびに、大地を震わした汽笛の雄叫びを懐かしむ。
 怒りとも喘ぎともつかぬ蒸気の噴射。深く、長く吐いて、ゆっくりと巨体が軋む。スチームの拍動は小刻みに高鳴り、やがて一連なりの音となって機関車の轟音に絡め取られていく。
 風の咆哮、カーブを切る悲鳴、ひっきりなしに揺すられるがたいのざわめき、車中にさんざめく人の声、時折の案内放送、ドアが閉まる鈍い響き、あらゆる雑多な音がレールが刻むリズムに乗せられてひとつのカプリチオへと糾われていく。
 車窓を流れる家並み、遠い山裾、田圃、畑、そして海岸、川面。どれもがゆったりと揺蕩う回転舞台だ。トンネルでは、慌てて窓を閉める。それでも煤の匂いが鼻を刺した。長旅ではいがらっぽくもなった。硬い座席、真っすぐな背もたれ。冷房なぞはなく、冬のスチームは余計に乗り物酔いを誘った。
 今の猛速も快適もなかったけれど、あれはたしかに豊かな時間だった。疾うに日常から退いて、痕跡も探し難い。だから人気の絶えたプラットホームに佇んで、記憶を弄り、レールの彼方を見遣って、あのころの幾分かを呼び戻してみる。

 鉄路は彼方へと繋がっているのだが、どうにかするとあのころとも繋がっていそうな気がする。時間が、銀色をした鉄の棒に化身したようだ。海や空を擦過した航跡はすぐに消える。しかし鉄路は消えない。大地を這いつつ、時間までもガイアに刻み込んでいるのかもしれない。 

 ブルートレーンで帰る旧友を送ったある日の夕間暮れ、ホームの端にふと足が向いた。鉄路が落陽を爆ぜて黄金色に輝いていた。
 先妣の仕入れにくっついて通った隣市までの汽車の往復。遠足、修学旅行。上京の長い夜汽車。帰省のため、乗り継ぎを嫌というほど繰り返した鈍行列車。
 あのころの時間がどっと押し寄せ、息苦しくなった。ここはあまり来るところではないな、と呟いて出口に向かった。 □