伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

憎まれ口3つ

2019年11月07日 | エッセー

 「私の発言が直接影響したということではない」と当人は強弁するが、どっからどう見たって千三つにちがいない。ハギウダウダ君はアンバイ君にとっては大事な子飼いの部下。深傷を避けるため、官邸肝煎りで見直しに舵を切ったらしい。
 こういうのを瓢箪から駒、怪我の功名という。あの“失言”がなかったらと裏返せば、突っ走ったにちがいないのだから。
 論語の顔淵篇285にこうある。
〈子貢、政(マツリゴト)を問う。子曰く、食を足らわし、兵を足らわし、民にこれを信ぜしむ、子貢曰く、必ず巳むを得ずして去らば、この三者において何れを先にせん。曰く、兵を去る。子貢曰く、必ず巳むを得ずして去らば、この二者において何れを先にせん。日く、食を去る。古より皆な死あり、民、信なければ立たず。〉
 政治とは民を食わせ、兵により民を守り、民の信用を得る、之に尽きると孔子はいった。2つに絞るなら、軍備を捨てよ。1つに絞るなら、切るのは食糧だ。意外にもファーストプライオリティは民の信だとした。中国史において飢餓は常のこと、諦めもしよう。だが政(マツリゴト)への不信は反乱を招く。遂に為政者に下されるのは斬首だ──。そう子(シ)は訓えた。
 「信なくば立たず」はコイスミ君の受け売りでアンバイ君もよく口にする。だが悪用してもらっては困る。長々と羅列した公約の最下位に潜り込ませた憲法改定を、参院選で「信を得た」と呼ばわる。とんでもない堅白異同である。5割を切った投票率で、なおかつ自民党の絶対得票率は18%。どっからどう見たって「民、信なければ立たず」、早々に引っ込めるべき公約ではないか。加うるに、「兵を去る」の是非に是なりとの断が下ったものともとれよう。ともあれ人類史に屹立する箴言をドブに捨てないでくれたまえと切に願う。
 マラソン・競歩の札幌移転。IOC何様説が囂しい。そうなんです、IOCは何様なんです。勘違いしている向きがあるので確かめておきたい。そもそもIOCは国際機関ではない。国連のオブザーバーではあるが、下部組織ではない。UNは1945年の誕生、IOCは1894年、半世紀も早い。ピエール・ド・クーベルタン男爵が近代オリンピックを立ち上げた際に生まれた非政府組織、ぶっちゃけていえば民間団体だ。もっと分かりやすくいえば、興行主である。開催都市は興行先のイベント屋さんである。イベントがあまりにも巨大になりすぎたため、この構図が霞んでしまったのかもしれない。
 やたらと種目を増やしたり、アメリカの放映権のために猛暑に開いたり、ドーハであんまりバタバタ倒れるので札幌に移したり、そんなのはIOCにとっては文句言われる筋合いはないのである。ヤならいいよ、だ。もっとも先細りは怖いだろうが、今は天下のIOCなのである。そういう事情を一番弁えているのは、案外シンキロウ組織委員会会長だったりするのではなかろうか。都知事が逆立ちしたって適う相手ではないが、「合意なき決定」だと息巻くパフォーマンスをさせてあげたのだからもういいよねと“調整”してジョン・コーツ調整委員長は帰って行った。まあ、アンバイ君がフクシマはアンダーコントロールと大ウソを吐いて誘致したオリンピック。ゴタゴタがつづくのもやむを得まい。自業自得だ。
 復旧に向けた最大のネックは災害ゴミである。『ジャパン・アズ・ナンバーワン』と謳われた1980年代以前なら、同程度の災害が起こってもこれほどの災害ゴミは出なかったであろう。ゴミ山には木材、家財以外に、冷蔵庫・洗濯機・乾燥機・炊飯器などの白物家電はもとよりテレビ・レコーダー・カメラなどの黒物も無残にうち捨てられている。自戒を込め、被災者のお怒りを覚悟でいうなら、消費社会のしっぺ返しである。メルカリの隆盛とネガポジである。と、わが家を見回せば稿者が最初に捨てられそうだが……。
 以上、憎まれ口3つ。でも、大臣席から訳の分からないヤジを飛ばす宰相には負けますが。はい。 □