伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

テレビニュースがヘン

2021年09月21日 | エッセー

 最近、嫌(ヤ)な事に気づいたので春秋の筆法を奮ってみたい(今のところ、同種の見解は寡聞にして知らない)。
 TVのニュース(ワイドショーではない、通常のニュース)、そのタイトルである。
▽NHK・ニュース7「地価コロナでどう変化」
▽TBS・news23「最新技術走れる義足を子どもに」
▽日テレ・zero「東京感染300人台…減少ナゼ」
▽フジテレビ・ニュースα「洋服を捨てずに染めるSDGS×老舗の工房」
▽テレ朝・報道ステーション「中国の不動産大手が破たん危機…日本経済影響は?」
 今日のニュース番組からいくつか拾ってみた。いかがだろう? なんか、週刊誌のタイトルに似てないだろうか。NHKは定番に近いが、かつてなら(いつからが「かつて」かは措いて)「コロナによる地価変化」となるところだ。少なくとも「どう」は入らなかっただろう。他の民放はおしなべて週刊誌に相似している。週刊文春は近ごろ止めたが、中吊り広告がデジタルディスプレーになったとはいえ、キャッチーなフレーズが並ぶ。あの手法だ。Webサイトでアイキャッチ画像を使う手管にも通底する。今ごろでは新聞の見出しも類似してきた。
 驚くのは中身に報道の基本である5Wが揃わない場合があることだ。まさかアナウンサーが誰かさんのように読み飛ばしたのではあるまい。Why は報道時点で不明なのは解るが、治安のためか何のエクスキューズもなく  Where が最後まで出てこないニュースをたまに見る(ウソのような本当の話)。これなぞは一体報道する意味があるのか疑わしくなる。それに現場中継。織田裕二は「事件は会議室で起きているんじゃない。現場で起こっているんだ」と叫ぶが、それは刑事さんの話。報道はなにも現場でマイクを握って中継する必然性はない。そんな臨場感より各方面からの情報を持ち寄って『会議室』で付き合わせ、チェックを加える慎重さの方が緊要であろう。情報伝達のテクは格段に進歩しているのだから、インテリジェンスの腕を上げるように心がけてはどうか。
 ナゼ、こうなったか? 理由は簡単だ。テレビ離れである。特に20台以下は約4割がテレビを見ない。彼らの情報源はWebである。それにTVニュースが寄せてきているのではないか。「ヤな事」とはそれだ。
 別の言い方をすると、Webにより世界が広がっているようで狭くなっている。スマホにせよPCにせよ本来がプライベートなツールだからだ(文字通り、PCのPはPersonalのP)。スマホのタップ入力は仲間内のチャットには向いていても、敬語・謙譲語や複雑な感情、込み入った論理的情報を遣り取りするには不向きだ。勢い、感情を定型化した絵文字を使う。メンタルもロジックもさっぱりと置いてきぼりをくう。メールを研究する日大文理学部・田中ゆかり教授は上記の「不向き」な理由を、「論理の流れが感情の流れより『速い』からである。親指ぴこぴこではロジックの速度をカバーできない。」と語っている。(内田 樹「街場の読書論」から孫引き)
 ツールという物理性に制約されない精神性はないはずだ。すると、何が生まれるか。逆説めくが、「群衆」である。アンチテーゼを捨象して自らのバイアスが優先する。街中を見れば瞭らかだ。種々雑多な人間が行き交っている。あれは社会学的には群衆ではない。人の群れでしかない。多人数が共通の関心を持ち一時的に集合した非組織集団であり、明確な目的のないまま衝動的な行動に走る、それが「群衆」である。
 今月20日のEテレ「100分de名著」はフランスの心理学者ギュスターヴ・ル・ボンの名著『群集心理』が教材だった。プレゼンターは『わかりやすさの罪』を世に問うた武田砂鉄氏。以下、番組HPから要録する。
〈「イメージ」によってのみ物事を考える群衆は、「イメージ」を喚起する力強い「標語」や「スローガン」によって「暗示」を受け、その「暗示」が群衆の中で「感染」し、その結果、群衆は「衝動」の奴隷になっていきます。これが「群衆心理のメカニズム」です。
 インターネットやSNSの隆盛で、常に他者の動向に注意を払わずにはいられない私たち。その影響で、現代人は自主的に判断・行動する主体性を喪失し、極論から極論へと根無し草のように浮遊し続ける集団と化すことが多くなりました。
 扇動者は精緻な論理などを打ち捨て、「断言」「反復」「感染」という手法を使って群衆たちに「紋切り型のイメージ」「粗雑な陰謀論」「敵-味方の単純図式」を流布していきます。
 武田さんはル・ボンの分析はSNS全盛時代における民主主義の限界やポピュリズムの問題点を鋭く照らし出しているといいます。そして現代の視点から『群集心理』を読み直し、「単純化」「極論」に覆われた社会にあって「思考し問い続ける力」を保っていかなければけないと警鐘を鳴らします。〉
 「イメージを喚起する力強い「標語」や「スローガン」は、ヒトラーの常套手段であった。「断言」「反復」「感染」の忠実な実行者だった。冒頭に提示した「キャッチーなフレーズ」に近似してはいないか。加えて武田氏は、【敵味方の二分法や「何度もお答えしておりますように」や「繰り返しになりますが」は「断言」「反復」「感染」に通じる】話形だと分析した。これも稿者の問題意識に酷似している。【 】部分に留意願いたい。名指しは避けたものの、「あんな男」の正体はこれだ。
 対抗手段は「思考し問い続ける力」だ、と武田氏は言う。膝を打つ卓見である。
 刻下、TV局はネットとの融合という大きな業態変更に直面している。もっとヘンにならないよう、その矜恃と見識に期待したい。 □