伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

年頭の自戒

2016年01月05日 | エッセー

 晴天の正月ではあったものの、芳しからざる体調で新年を迎えた。八年前の再来かと危ぶんだが、そうでもなさそうで、しばらく様子を見ることにする。まあ、生きてるうちは死んではいないと嘯いている。
 昨年は禍福糾える年であった。人情紙風船、長年月掛けた情けをするりと躱された禍が一件。人の世はまことに情け容赦ない。転じて、四十数年ぶりの邂逅という福が三度。三引く一で二つは儲けと料簡するか。おっと、忘れていた。娘が嫁いだので、差し引きプラス三。一件一とは杓子定規だが、福余る勘定となる。
 去年の五月盗人がわが家に出張ってきて、神妙な面持ちで嫁にほしいと講釈を垂れた。こちらは一言、「持ってけ、どろぼう!」と返してやった。あんな哀しいほど爽快な心持ちになったのは初めてだった。そのうちひょっとして娘が母にでもなれば、こちとらジジイか。あー、ヤなこった。気が滅入るね。世間並に好々爺なぞ反吐が出る。
 ついでに言おう。近ごろ、変なジジイが増えた。中でも出色は、K山Y三だ。八十に近いのに分不相応に若い。エレキ抱えて全国公演。いまだに若大将のつもりでいるのだろうか。それほど脳天気でもあるまいが、もうちょっと歳相応に老けてほしいものだ。過分に老いつつある当方には嫌みでしかない。ああ、そうとも、やっかみだ。無いもの食おうが人の癖である。
 それにもう一人。GOくん。還暦を越えたというのに、君は未だに変声期か。ジャケットを煽ったり、くるくる回ったり、まったく年甲斐もない。もちろんこれも雲に架け橋ゆえの当てつけだが。
 橋本 治氏は、日本は世界に類例のない「年を取る必要のない文化」をもつに至ったという。「オタク文化」はその典型だ。芸能界の中心は少女のアイドルたちで埋め尽くされている。

 「大人になる必要のない文化」の中では、人は時間をかけて「大人」なんかにはならず、「制約を受ける必要を感じない年期の入った若者」というへんなものになる。ずーっと若いままだから、無駄な若さが層を作って、バームクーヘン状の「妙に重みのある若者」になる。(「いつまでも若いと思うなよ」から)

 「バームクーヘン状の」「妙に軽みのある年寄り」は避けたい。そう自戒を込めて橋本氏の言を引いた。 □