伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

100倍くらい??

2019年05月22日 | エッセー

「行けるかどうか分からないが、あえて質問していいか。その行事は日本人にとって、スーパーボウルと比べてどれくらい大きいものなんだ?」
「だいたい100倍くらいだ」
「それならば間違いなく行こう」
 はじめ乗り気ではなかった即位後初の国賓として招待を決めたのはこの遣り取りであった。なんだか悲しくなってくる。「その行事」とは新天皇即位を指す。トランプには日本への歴史的理解が恐ろしいほど欠けている。マッカーサーの苦渋や決断などおそらく知識としてももたないのではないか。今や世界屈指の反知性主義者であってみれば、宜なる哉でもある。それにしてもまったくのディール感覚である。値札がつかないと判断できない。あるいは、「どれくらい大事なものか?」と質問したという報道もある。しかし、五十歩百歩。抽象的価値をスーパーボール何個分と具象化しなければ理解できないとは子ども並みだ。いや、子どもが小使いをせびるのと同じかもしれない。
 トランプ流とはディールである。取引だ。損得付くの商行為である。ドア・イン・ザ・フェイスは十八番だし、、権柄尽く、力任せ、合意なしの泣き寝入りだってある。交渉とは違う。交渉とは利害関係を対話と議論で調整し合意を得ることだ。交渉が取引よりトポロジーはより高位にある。「外交取引」とはいかにもディグニティーを損ねる。理想や大計からは呆れるほど径庭がある。でも、それがトランプ流である。だから値札を訊ねる。
 アンバイ君の返答にも呆れる。「100倍」とは何を根拠に言っているのか。鳥目の話だとすると、スーパーボールのブランド価値は夏季オリンピックを凌ぐ5億8千万ドルといわれる。約641億円だ。天皇即位関連費用は166億円と見積もられている。3.9倍でしかない。尤もNFL総体の年間売り上げは16年が約1兆4千億円だから、これなら100倍に近い。だが、あのオツムで瞬時にそこまでの知識と計算能力を繰り出したとはとても信じ難い。腰だめで言ったに相違ない。それに、「だいたい」とはなんなんだろう。大凡(オオヨソ)、なにを概括しているのだろう。「出任せで言えば」と同じ意味としか認められない。そんな能天気でいいのか。真に天皇への崇敬があるのなら、「モノでは計れない価値がある」と即答すべきではなかったのか。アンバイ君の卑しい心根が語るに落ちた問答であった。
 一国の政治が株式会社化している。株式会社に見立てた政治が横行している。
──株式会社はそもそもそれ自体行政府そのものである。社長は宰相。社長スタッフは首相官邸か。法務部はあっても配下の諮問機関に過ぎない。株主総会は立法府と比肩しうるが、年1の行事と化して行政府(=株式会社)の対抗にはなり得ない。立法府を取り込んだ行政府が独裁であるから、株式会社は生来的に独裁である。官邸が打ち出す政策が新商品であり、次の選挙での得票が売り上げに当たる。議席占有率は株価だ。──
 以上の見立てが内田 樹氏の卓説である。事は政治に限らない。教育、医療など、あらゆる社会制度のモデルになりつつあると警鐘を鳴らす。
 〈世界の統治者たちの「CEO化」の特徴は、トップダウンを好むということです。CEO化した政治家たちの特徴は「次の選挙」を「マーケット」だと見なすことです。そこでの対立候補との得票数差が「マーケットにおけるシェア」と同定される。本来であれば、政策の成否はそれが現実化されて、さまざまな歴史的な風雪に耐えた後に事後的に検証されるはずのものです。でも、CEO化した政治家たちはそんなに待つ気はない。結果はいますぐ出されなければならない。〉(「最終講義」から抄録)
 トップダウン、次の選挙がマーケット、短期的結果、加えれば支持率という「株価」への過剰な反応。トランプとアンバイ君は瓜二つだ。というか、大親分とポチだ。今週末にはその大親分がおいでになる。どんな“幇間”外交が繰り広げられるのか。国技館では正面枡席から腰掛けてご覧になるという。破格の待遇だ。優勝力士には大統領杯を土俵上で授与の予定。待ってましたとばかり、『日本スゴイ』が吹聴されるだろう。さすがは子分だ。支持率狙いの小賢しいパフォーマンスである。だが、そんなことで貿易交渉で目こぼしを、などと期待しない方がいい。ことディールでは、あちらの方が100倍くらい上手だ。右上手投げは大親分の得意技である。