伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

改むるに憚ること勿れ

2007年09月21日 | エッセー
 昨日のこと、小田 実氏の遺稿(NHK出版「中流の復興」)を読んでいたら、次の部分で冷や汗が滲み出てきた。

  ~~ギリシャでは、選挙というものをほとんどしなかった。選挙は、ローマから始まります。それで、民主主義の堕落が始まるんですね。ギリシャの政治というのは、全員参加の集会、回りもち、そしてくじ引きです。最高決定権は、大衆集会にある。普通の日常の業務は、役人がいないので回りもちでやります。法廷弁論みたいなものは、くじ引きです。陪審員みたいなちゃちなものじゃなくて、三〇〇人、四〇〇人、五〇〇人と集まるんです。それで、裁判官はいないから、原告は市民です。被告も市民、裁くのも市民。そういうシステムの大規模なのは、後にも先にもこの時期だけです。~~

 当たり前だ。直接民主主義に選挙はない。中学生レベルの知識である。ところが、である。本ブログ、7月14日付「祭りだ、祭りだー!」に以下のように書いていたのが記憶の底からにわかに甦った。
  ―― 公選法は歪(イビツ)な法律である。さらにアナクロニズムでさえある。選挙運動は街頭で行うもの、これが公選法の前提である。揺るがぬ大前提である。施行以来57年間、この前提は微動だにせず保たれてきた。(中略)
 括っていえば、『1億総オタク化』しているのが現状だ。つまり、圧倒的マジョリティーは屋内にいるのだ。
 そう考えてくると、この法律がいかに時代、社会とミスマッチか。3000年も前の古代ギリシャを彷彿させる図ではないか。アゴラに集う市民に向かい、口角沫を飛ばして語りかける候補者。口コミ以外にメディアとてないポリスの時代、屋外でこそ事は進んだ。悲しいかな、日本にはアゴラに類する場所とてない。平成の御代(ミヨ)に、日本人は一国挙げてとんでもない先祖返りをしていることになる。 ――
 文中の「候補者」が、いかにもまずかった。ということは、選挙をしていたことになる。冷汗三斗である。恥ずかしいのである。穴があったら入りたいのである。お読みいただいた方に合わせる顔がないのである。もっともブログゆえに、この三白眼を晒さずに済んでいるが……。やはり、春の日に庇を下ろし、石橋は叩いて『渡らず』でいかねば、と自戒する今日この頃なのである。したがって、前記の部分は以下のように書き改めさせていただく。
   …… 3000年も前の古代ギリシャを彷彿させる図ではないか。アゴラに集う市民に向かい、口角沫を飛ばして語りかける『普通のおっさん』。 ……
 なぜ『普通のおっさん』なのか。前掲書から引用しよう。

  ~~デモスというのは、普通のおっさんです。デモクラシーとは、デモスとクラトス、民衆の力という意味です。そして、民衆の力をいかに発揮するかというと、言論によって発揮するのです。その一番の根本は、イセゴリア(註:言論の自由)。西洋人の観念のなかで一番優れているのは、それだと思うんです。それを堕落させたのはどこかというと、古代ローマです。古代ローマは代弁主義になって、それで結局、選挙をやり出し、イセゴリアは、なくなってしまいました。イセゴリアなしにやれば、選挙だけになります。だから帝政まで行くわけです。そうやって歴史的に見れば、わかって面白いのではないかと思います。現代の民主主義国で、宣戦布告する決定に市民がどれだけ参加できますか。勝手に決めているんだから、できないでしょう。宣戦布告なんてしないで、日本は日中戦争をしたり、アメリカ合州国はベトナム戦争やイラク戦争をしたりする。そういう決定に、民衆は参加していません。ところがギリシャは、成年男子が十八歳以上とか忘れたけど、その連中は全部そうやって参加していたわけです。字の読めない人たちがみんな、丘の上に上がってワーワーやった。最初、議会が始まるときに、役人はいなくて回りもちのおふれ役が、「全体のために何かいいことを言ってくれる人はいますか」というようなことを言うんです。すると、みんな手を挙げてしゃべり出す。時間制限はなかったと思います。だから、延々としゃべる。アホみたいなナンセンスを言うと、うんざりするから人は聞いていません。理にかなったことを言わないといけない。それで、理性が出て来るわけです。理性は「話す」から来たもの。「私が話す」があって、成り立つものです。ちゃんとしたことを話さなくてはならないから、理性が出て来るんです。そういうふうに教えたら、哲学もわかるでしょう。とにかく、理性があって、「話す」があって、「話す」の技術を支えているのが、言論の自由。もう一つは修辞学です。~~

 体躯や面相にふさわしく、やはり氏は巨人であった。学識の『太さ』を感じる。斧で木を裂くような凄みだ。万言を弄さずとも事の本質を一刀に捌(サバ)いてくれる。このような『太く』、かつアグレッシブな知性を持ち得たことはわれらの誇りだ。 巨星、墜つ。なんとも惜しい。

 さて、こちらの星屑である。屑ではあっても、せめて「過ちては改むるに憚ること勿れ」(論語)ではありたい。「過ちて改めざる是を過ちと謂う」(論語)であれば、これで過たずに済んだことになる。巨星の大光、その御零(コボ)れに救われた星屑であった。□


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