夜来の風にいたぶられても必死に堪えたのに、昼下がりからの日和には他愛なく枝を去った幾百千のさくらばな。
ほんの数日の爛漫のために、昨夏より永い支度をしてきた彼女たち。木々が燃え盛り、山並が紅の錦を纏う時は目立たぬようにそそと佇んでいた。木枯らしに煽られ、吹雪に撃たれてもじっとがまんをつづけた。
長遠な隠忍は須臾の佳局のためだった。公園で、アベニューで、川辺で、湖岸で、さらには埒外の雑木のただ中で、誇りかに、そして艶(アデ)やかに一指舞うがためだった。
これほど散るを惜しまれる華が、他にあろうか。いな、これほど散るを愛でられる華が、他にあろうか。咲いて散るのではなく、散るために咲く。花吹雪こそが、彼女たちのみがなしうる至極の舞だ。寂寥を鮮麗が包み、死を美が乗っ取る。これほどのパラドックスが、これほどの背理が、他にあろうか。
願わくは 花の下にて 春死なん
そのきさらぎの 望月の頃
なんとも即物的に過ぎる西行の企みは、背理を一身に担おうとしたのかもしれない。だとすれば、悍しい成功を見たといえなくもない。
古今和歌集は詠じる。
のこりなく 散るぞめでたき 桜花
ありて世の中 はての憂ければ
下の句はは詠嘆であろうか、それとも諧謔であろうか。ふた様に亘るところに滋味はある。比するに、上の句はあらぬ誤読を生んだやもしれぬ。勲(イサオシ)の賛美に供されたとしたら、詠み人の胸中とは遙けき逕庭がある。なぜなら、舞い手は手弱女たちだからだ。
めでたき舞はもうすぐ終わる。のこりなく仕舞いとなる。舞子たちは数ヶ月の暇(イトマ)を挟んで、新たな支度に入る。一巡の後、願わくは花の下にて晴々と集いたい。 □