伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

蓮舫クン、謝り給え!

2010年10月08日 | エッセー

 
●ノーベル化学賞、根岸英一氏・鈴木章氏ら3人に
 スウェーデンの王立科学アカデミーは6日、今年のノーベル化学賞を、根岸英一・米パデュー大特別教授(75)、鈴木章・北海道大名誉教授(80)、リチャード・ヘック・米デラウェア大名誉教授(79)に贈ると発表した。3人は金属のパラジウムを触媒として、炭素同士を効率よくつなげる画期的な合成法を編み出し、プラスチックや医薬品といった様々な有機化合物の製造を可能にした。
 日本のノーベル賞受賞は17、18人目となる。化学賞は6、7人目。
 業績は「有機合成におけるパラジウム触媒クロスカップリング」。
 薬でも液晶でも、分子の骨格は炭素同士の結合でできている。炭素同士をいかに効率よくつなげるかは有機化学の大きなテーマだ。その方法の一つとして1970年代ごろから注目を集めていたのが、異なる二つの有機化合物の炭素同士をつなぐ「クロスカップリング反応」だった。
 クロスカップリング反応は「世界中のありとあらゆる化学メーカーが恩恵を受けている」(三菱ケミカルホールディングス)という。
 授賞式は12月10日にストックホルムである。賞金の1千万クローナ(約1億2千万円)は受賞者3人で分ける。(朝日 10月6日)

 化学といえば、筆者にははるか彼方の無縁の世界だ。化学記号には苛められ、泣かされた。あの判じ物の群れを諳(ソラン)じ、かつ書き出せるなどというのはおよそ人間業ではあるまいと、いまだに固く信じて疑わない。同時に、そういう異才、ないし偉才には躊躇なく敬服する。
 下馬評にあったiPS細胞の山中伸弥氏は選に漏れた。一つはここが注目点だ。鈴木、根岸両氏とも、30~40年前の研究成果である。「平和賞」と違い、俎上に上がるまでかなりの長年月を要する。山中教授は未だし、ということか。
 問題はこのタイムラグだ。70年代は、まだ日本が『上を向いて歩』いていた時だ。今は、どうか。決して楽観はできない。基礎研究の不足、若手研究者の人材難や若年層の理科離れ。危惧されて久しいが、改善の兆候はいっかなない。
 なにせ、政権党の看板議員から「(科学分野で)なぜ、2番ではいけないのか?」などという痛罵を浴びせられる国柄に成り下がっている。資源に乏しいわが国は、「科学技術創造立国」が国是ではないのか。
 拙文を引こう。
〓〓江戸時代は地方の藩ほど教育に力を入れた。『教育立国』である。別けても佐賀は格別であった。というより、ファナティックであった。エリート教育である。定められた年齢に至ると試験がある。合格できないと家禄を減殺される。300諸侯のなかで、これほどに苛烈を極めた藩はない。教育ママどころの騒ぎではない。家名を掛けての猛勉強である。当然、賂(マイナイ)など寸毫も入り込む余地はない。
 維新後、大蔵卿として殖産興業を推進した大隈重信。司法卿として近代司法制度を確立した江藤新平。どちらも佐賀の常軌を逸した誅求の教育が生んだ逸材である。歴史の奇観でもある。〓〓(08年7月、本ブログ「壱万円が泣いてらー」から)
 藩領の地理的条件を超えるものとして、科学技術といい教育といっても同意として援用した。(幕末、佐賀藩は天然痘対策の牛痘ワクチン、本邦初の製鉄所の建設や初の蒸気船独自建造など科学技術にも藩を挙げて注力し、際立った成果を挙げている)現代の日本とて変わりはあるまい。世界の「辺境」で「立国」していく活路こそ、「科学技術創造」ではないのか。
 ここのところ受賞がハイペースだからといって、能天気に喜んでばかりはいられない。前述のタイムラグを忘れてはなるまい。只今、現今の、足元をしっかりと見定めねばならない。朝日も社説で「事業仕分けでの研究への厳しい評価が、若い研究者の意欲をそいだことも指摘されている。」と書いた。まったくその通りだ。

 もう一つ、注目すべき点がある。特許を取らなかったことだ。この恩恵は大きい。両氏の研究は産業と直結し、市民レベルに直ちに反映した。これは稀に見る特色である。全国400万の高血圧に苦しむ人びとに実益をもたらした(鈴木氏本人も服用しているそうだ)。ディスプレイの開発も同じくだ。だからといって例えばニュートリノのように、門外漢にはまったくチンプンカンプンの研究が無益だといっているのでは断じてない。
 身近な話をしよう。「カラオケ」である。決して、イグノーベル賞の話題ではない。いまや堂々たるグローバル文化のひとつであり歴史的発明となった最大の誘因は、特許権が設定されていなかったことだ。「発明者」は複数説を含め諸説ある。ただ、だれも特許を取っていない。発明者と目される人たちはその後浮沈はあったものの、元流しの一人も、元エンジニアの一人も今もって無名だ。生活は市井のそれを出ない。巨万の富よりも、創造にこそ喜びを見いだす潔い生き方があるのだ。日本人の亀鑑でもある。

 さて件の「政権党の看板議員」クン。国会議事堂の中で、130万円もするイタリア製高級ブランドに身を包み、ファッション紙の写真撮影をしている場合だろうか(8月下旬、明らかな国会ルール違反だ)。なにを浮かれているのだろう。赤絨毯はファッションを魅せるためのものではないだろう。頭(カシラ)がカン違いなら、手下もとんだ勘違いだ。まあせいぜいキミは、ミスドのCMギャグにされるのがお似合いだ。
 ノーベル賞を称賛しない者はいない。この吉報を喜ばぬ者はいない。キミに教えておこう。(ここだけの話だ。ほかならぬキミだから言うのだよ!)ノーベル賞は各分野の「1番」に贈られるものだ。決して、断じて、まちがっても「2番」へのトリビュートではない。
 悪いことは言わない。「子曰く、過たば改むるに憚る勿れ」(論語)ではないか。今からでも遅くはない。
 蓮舫クン、謝り給え! □


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