伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

成功を祈る!

2009年03月31日 | エッセー
 北朝鮮の駐英大使が「貧しく生活が苦しい国は、宇宙開発をしてはいけないのか!」となにかの会議で噛みついたそうだ。日本でいうなら、生活保護を受けている人がキャデラックを乗り回すようなものだ。周囲の顰蹙を買うどころか、たちまち保護は打ち切られてしまう。大使は物言いを誤った。正直にミサイル開発だと言えばよかった。それなら、いかに貧しくとも国防のためだから、とまだ理屈がつく。

 時期は4月4日から8日までと予告している。せめて4月1日なら物騒なブラック・ジョークとうっちゃっておけるのだが、本物のミサイルでは洒落にもならない。
 ついでながら、エープリル・フールとは ―― 。
〓〓むかし、むかし、日本では戦国時代のころだ。フランスの王様が1年の始まりを1月1日に変えた。それまでは、3月25日が新年だった。4月1日までが春の祭り。永く続いた慣習だった。おそらく農作業の流れに由来したものだったろう。王様はそれを無視した。民衆は反発し、4月1日を「嘘の新年」として、腹立ち紛れのどんちゃん騒ぎを始めた。ダダイズムにダダ(駄々)をこねたのだ。(駄洒落。失礼、大変失礼!)逆ギレした王様は騒いだ連中を根こそぎひっ捕らえ、処刑してしまった。「四月バカ」という冗談めかした呼び名とは逆に、由来は相当に陰惨で血なまぐさい。〓〓(07年4月1日付本ブログ「絶筆 宣言」より)
 まさか「陰惨で血なまぐさい」由来を知って、朔日を避けたのではあるまい。だが4月4日を「嘘の新年」明けとすると、「嘘の新年」の『仕事始め』がミサイルとなる。そうこじつけると、にわかに件(クダン)の王様がだれかと重なってくる。

 軍隊とは国家の政治的目的を遂行するためのツールである。その核心は物理的破壊力である。つまり、兵器だ。決して「将軍様」のマニアックな趣味嗜好のためのツールではない。政治的目的のためだ。また軍の論理として、自己肥大と最新化、強力化にバイアスがかかる。その極みに、核兵器とその運搬手段としてのミサイルがある。だがツールにばかり目を奪われて、政治的目的を失念してはなるまい。
 それは宇宙開発などであろうはずはない。諸外国の援助とバーターすることもあるにはあるが、所詮はアメリカだ。アメリカによる『認知』である。『ならず者』の名札は外してくれたが、国としての『認知』はまだだ。それが狙いにちがいない。彼の国はそこから逆算した手練手管を繰り出してくるのだ。海千山千、したたかこの上もない。こちらもその政治的目的から逆算した対応をせねばならない。アメリカに頼らず自力で迎撃できる、と能天気に力んでいるのは的外れもいいところだ。
 ミサイル技術が十全に開発されたとして、中ロに向けて撃つはずはない。韓国では自殺行為になる。アメリカでは「虎の尾を踏む」どころか自爆テロだ。標的はわが国しかない。だからアメリカの核の傘だ、では論議は振りだしに戻る。旧ソ連の時代と構図は同じだからだ。ミサイルは約10分で日本に届く。車で10分だと5、6キロか。歩いて行ける距離に引っ越して来たに等しい。もはや日本海はないも同然だ。だから自衛力の強化を、では指し違いも止むなしになってしまう。それは御免蒙る。呉下安蒙、20世紀の愚行を繰り返すわけにはいくまい。攻めの外交だ。防衛省ではなく、外務省こそ出番だろう。ところが、どうも外務の影が薄い。

 さて、論点を絞ろう。報道によると迎撃の準備はできた。とはいっても、不測の事態に備えてだ。つまり、打ち上げに失敗して日本領土に堕ちてくる場合にである。トラブルへの対処である。まともに? 日本を飛び越える場合は迎撃しない。日本が標的となれば防衛のために迎撃できるが、飛び越えていく場合は迎撃の根拠がない。第一、見極めがつかない。今回は日本領海を離れた太平洋上が落下予定地点である。傲岸不遜、神経を逆なでする非礼ではあるが、大気圏外の飛行物体を狙う法的権限も義務もない。判別は難しいが米本土を目指して飛ぶ場合も迎撃はできない。集団的自衛権の問題が発生するからだ。もっとも今はアメリカを狙える技術はないらしい。いずれにしても、難題、難儀、この上ない迷惑だ。金もかかる。PAC3とSM3による迎撃システムは2兆円もするそうだ。2兆円とくると、定額給付金の総額と同じだ。配備するだけで定額給付金が全部消えた勘定になる。

 ではひるがえって、迎撃は可能か。撃ち墜とせる確率はイチローの打率にはるか及ぶまい。現に、去年11月のハワイでの実験では失敗している。イージス艦「ちょうかい」が模擬弾に向けてSM3を発射したが、追尾しきれず逃がしてしまった。一説には、ピストルの弾をピストルで撃ち墜とすに等しいという。よしんば、的中したとしても破片が落ちてくる。デブリなら燃え尽きるだろうが、こちらは直ぐに落下してくる。これはもう防ぎようがない。厄介なことだ。

 間違えてはなるまい。繰り返すと、ミサイル飛行が失敗した時に迎撃するのである。備える「不測の事態」とは、ミサイルの失敗である。「予定」どおり「成功」するならば、迎撃はない。手も足も出ない、出せない。
 だからこの際、ちゃんと飛んでもらわねば困るのである。なんとも皮肉な話だ。ひたすら「成功を祈る!」という珍妙なるパラドックスに嵌まってしまっている。最良の選択肢は成功の二字だ。大いなる戯画である。笑うに笑えない。
 結びに一言 …… 成功を祈る! □


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