伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

なにか忘れちゃいませんか?

2020年12月23日 | エッセー

 コロナ報道の中で忘れられていることが3つある。
 1つ目は宅配便。6月の拙稿「ハートフルディスタンス」でこう述べた。
 〈平成30年で43億701万個の荷物が日本列島を往き交った(国交省発表)。列島をくまなく走る血管である。血栓でもできた日には命に係わる。ステイホームとやらで今年は通販、デリバリーが急増したにちがいない。通販会社や宅配業者が賢く先手を打って、置き配、非対面などを推進したため感染拡大の槍玉に挙げられることなく今日に至っている。
 43億個のうち、98・9%がトラック便。多い時は1人が200個を超える荷を配る、したがって最前線は想像を絶する奈落にある。「キツい・危険・帰れない・厳しい・給料が安い」だ。昇ったり降ったり、エンドユーザーまでの荷物を抱えてのラストワンマイルは「キツい」に相違ない。〉(抄録)
 ステイホームといってもデリバリー、通販といっても、物(ブツ)が届かなければ話にならない。リモートワークなら情報は居ながらにして遣り取りはできる。しかしそれとて情報産業以外は最終的には物的次元に帰結する。物のモビリティだ。
 医療崩壊は報じられても、ロジスティクスが取り上げられることはない。第一、マスクを運ぶのは誰だ? 医薬品を届けてくれるのは誰だ? 医療崩壊とはいっても全国のあらゆる病院がいちどきに瓦解するわけではあるまい。しかしロジスティクスは一国の息の根を瞬時に止める。別けても宅配便である。一国を縦横に経巡る毛細血管にリスペクトを捧げたい。加えて、せめて再配達を強いないよう心がけたい。
 2つ目は2類から5類へのランクダウン。
 実は8月28日、前政権は感染症法に基づき指定感染症となっている新型コロナの分類を当初指定した危険度2類相当から最下位の5類へ引き下げる検討をすると決めていた。
 1類はエボラ出血熱、ペスト。2類は結核、SARS。3類はコレラ、腸チフス。4類は黄熱、狂犬病。5類はインフルエンザ、梅毒。
 政権交代のドタバタでほとんど忘れられてしまったが、もうすでにこのころから幕引きを狙っていたというか、明らかに腰が引けていたのだ。2類なら入院勧告できるが、ランクダウンすれば入院措置は不要となり費用も公費から自己負担になる。その後の急激な感染拡大で検討は封印されたようだが、今また囁き始められている。イシューは「緊急事態宣言」の発出、特措法の罰則化に絞られているが、それ以前に前現政権とも経済最優先から一歩も抜け出してはいない。遠吠えと知りつつ、先日の愚稿を引きたい。
 〈「金もいらなきゃ 女もいらぬ、あたしゃ も少し背がほしい」という玉川カルテットの伝でいけば、「背(せい)もいらなきゃ 女もいらぬ、あたしゃ も少し金がほしい」とでもなろうか。経済とは中国古典の「経国済民」を略した言葉で、「 世 ( よ ) を 經 ( をさ ) め、 民 ( たみ ) を 濟 ( すく ) ふ」。国民のために手段として経済はある。〉(「やめられない、とまらない ごーつーえびせん」から抄録)
 3つ目は会食問題の問題。首相に続いて愛知の市議会議員の会食問題。双方とも反省は口にしたが、なぜ問題なのかが解っていない。だから「の問題」という。首相以下彼らには公人とはなにかについての見識が致命的に欠落している。何度か引用した内田 樹氏の達識をまた徴したい。
 〈通常の法諺は「疑わしきは罰せず」であるが、役人や政治家にはこの原理は適用されない。官人は「疑われたら罰される」。「疑われたら、おしまい」という例外的なルールが適用されるのは、官吏や政治家は「市民」ではないからである。市民の人権を保護する規則は彼らには適用されない。だって、当然でしょう? 官吏や政治家は他人の私権を制限する権能を持たされているのである。他人の私権を制限する権利を持つものに、他の市民と同じ私権を認めるわけにはゆかないではないか。〉(「期間限定の思想」から)
 他人の私権を制限できる者に、制限される側と同じ私権を認めては平等則に反する。そんなの当たり前ではないか。傍聴席での禁煙を命じておきながら、てめーだけはタバコを吹かす市長がいたら総スカンを喰う。それでは隗より破れよ! だ。もっとも権力を握る者はなにをやっても許されるという前首相のアディクションが感染したものではあろうが。
 会食問題はマナーでも政治作法マターでもない。権利に関する問題だ。そこが不問に付されている。だから、なにか忘れちゃいませんか? と毒付いてもみたくなる。 □