伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

「第九」

2011年12月29日 | エッセー

 「第九」は、年末の風物詩である。そうなった理由については諸説あるが、それは措く。「友よ、この音ではない!」が象徴する拒絶から融和へ、懊悩から歓喜へのテーマを考えると、年始ではなく年末にこそ相応しい。まさに跨越(コエツ)だからだ。
 モーツァルトが宮廷にとどまったのに対し、ベートーベンは世界を手挟んだ。別けても「第九」が抱える普遍の命題は時代も超えた。今もって聴く者の魂を鷲掴みにする所以だ。
 EUが苦悶した今年、なおさら「第九」が愛おしい。「歓喜の歌」の主題がEUの歌だ。壮大なる人類の先駆けを見舞う混沌の嵐。そしてなお続く挑戦。まことにこの曲は相応しい。
 
 “Roll Over Beethove”
 突飛な展開だが、アーリー・ビートルズの代表曲でもある。元祖ロックンローラー、チャック・ベリーの曲をカバーした。元々はジョンの十八番だったらしいが、アルバムではジョージが歌っている。63年のリリースだから、そろそろ50年になる。
 
  〽Long as she's got a dime
   The music will never stop
   Roll over Beethoven
   Roll over Beethoven
   Roll over Beethoven
   Roll over Beethoven
   Roll over Beethoven
   And dig these rhythm and blues〽

 アメリカのgood old days が目に浮かぶような曲だ。黒の皮ジャンに皮パン、リーゼントで決めて、しかもかなりイカれている。女の子を追って夜ごと繰り出し、硬貨が尽きるまで jukeboxを鳴らし踊り続ける。そんな絵だ。だから、4人の中で一番控え目なジョージがボーカルであるのが驚きだった。そのジョージも、ジョンも、鬼籍に入って久しい。
 “Beethoven” を “Roll over” できたかどうかは判らぬが、“the jukebox's blowin' a fuse” だけは確かだ。さらには、世界のミュージックシーンを “Roll over” したことも。
 ともあれ権威を凌ごうとする若者の覇気だけは感じ取っていいのではないか。

  〽古い船には 新しい水夫が
   乗り込んで行くだろう
   古い船を 今 動かせるのは
   古い水夫じゃないだろう
   なぜなら 古い船も 新しい船のように
   新しい海へ出る
   古い水夫は知っているのさ 
   新しい海のこわさを〽
   (吉田拓郎「イメージの詩」)

 簡明すぎるほどの詞だが、不易の準縄にちがいない。歴史はいつもそうして動いてきたのだから。

 ベートーベンは音楽を哲学した。ジョン・レノンは音楽で哲学したといえなくもない。“Revolution 9” での “number nine” の連呼は充分に哲学的だ。単なる音楽的遊びが億万の人びとの耳朶に残るはずはない。 “number nine” は「第九」と翻字しておかしくはないだろう。あと1世紀も過ぎれば、双方ともにクラシック音楽に名を連ねていると信じて疑わない。

<追記>今回で495回。今年のオーラスである。年内での500回をめざしていたが、5回分残してしまった。手前勝手な目論見だから、義務でも責任でもない。来年早々には辿り着ける。
 それにしても本年も多くの方々にお読みいただき、衷心より御礼申し上げたい。また、暖かいコメントを寄せ続けてくださった方々に、満腔の謝意を表したい。
 存在証明のためにはじめた本ブログも、いつしか生存証明となってしまった。馬齢を重ねた報いであろうか。
 皆さま、よいお年を。そして来年もご愛顧を。 □