伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

読んでから考えよう!

2013年06月27日 | エッセー

 30年前、確かに買ったのだがなくしてしまった。だれかにあげたのか、貸したままになったか。ともかく、消えた。
 法律というと六法全書しかない時代だ。そこに写真をふんだんに使い(中には家族の入浴シーンまで)、すべてルビが打ってある垢抜けした法書が登場した。82年(昭和57年)、小学館が世に問うた「日本国憲法」である。またたく間に92万部を売り上げた。随分、話題にもなった。その後も5千部前後を売り続けたロングセラーである。
 それが今回、復刻版を出した。コンビニ(セブンイレブン)にも置き、横書き版も出すそうだ。税抜き500円、「一家に一冊必備の『憲法』永久版です‼」がキャッチコピー、帯には「読んでから考えませんか?」とある。ここのところの改憲論議に乗って、売れているらしい。瓢箪から駒が出る。駒どころか、金の成る本を捻り出すのがこの大出版社の腕だ。
 一読した。とってもいい。すてきな条文がいっぱいある。「一家に一冊」、その通りだ。ワンコインを手に今すぐコンビニへと、一ツ橋の本屋さんに代わって申し上げたい。ともあれ「まず読んでから」だ。荊妻などはまったく読んだことがないと偉そうに言う。読まなくとも生きてはいけるが、それでは足元だけを照らしながら歩いているようなものだ。周りが見えずに危険極まりない(周りも危ない!)。盲蛇に怖じずは賢い人の振る舞いではない。日本に暮らす以上は本邦のルールぐらいは知らねばならない。野球のルールが解らねば野球の興趣は半減する。交通規則を弁えねば車をぶつける道理だ。
 さて、いくつかのすてきな条文を挙げてみよう。
〓・・・諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、・・・国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。・・・平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。・・・われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。・・・〓
 特にこの前文の翻訳臭さがたまらなくいい。「協和による成果」「自由のもたらす恵沢を確保し」「厳粛な信託によるものであつて」「公正と信義に信頼して」「保持しようと決意した」「無視してはならないのであつて」など、芬々たるものだ。他国から押し付けられたとする改憲論者はそれみたことかというだろうが、そうではない。それは短見というものだ。むしろ、戦争への深い反省と新生への初々しい謙虚さをこそ掬い取るべきではないか。日本語としての練度など考える暇(イトマ)もなく、先人たちは極限状況の中で必死に新しい国のかたちを弄った。その健気な辛苦にまっすぐに頭を垂れるべきであろう。

〓第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であり、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。〓
 多くは語るまい。司馬遼太郎がつとに論じるごとく、「象徴」こそが本来のあり方である。伝統を踏まえた見事な一文だ。

 第九条はスキップする。さんざん触れてきた。別けても、本条と自衛隊との関わりを論じた内田 樹氏の卓見はあらゆる九条論議を凌駕する。(昨年12月、本ブログ「新内閣への祝言」で紹介した)
                     
〓第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。・・・〓
 「不断の努力」を呼びかけている。「不断」は「普段」に通じる。 まさに「一家に一冊」ではないか。

〓第十三条 ・・・生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。〓
 自民党の改憲案は、「公共の福祉」が「公益及び公の秩序」に替えられている。人権の制限要件として公益と公秩序が持ち出されてきた。公共と公益と、どう違うのか。対語を考えればいい。公と私を入れ替える。公益は「私益」となるが、「私共」は公共の反対概念であろうか。同じトポスである。近年盛んに論じられる「新しい公」「新しい公共」は、決して新しくはない。60数年も前に憲法は提示していた。実に進んだ規矩であったといえる。
 つまり、ベクトルが違うのだ。公益、私益は上下の位階差にあり、公益は上から下位の私益にレギュレーションを掛ける。公共は連帯のためにお互いが制限し合う。これは大変な違いだ。だから、平気で「及び公の秩序」と連なる。ヒエラルヒーとチームワークの違いともいえる。しかし区々たる言葉の仕訳ではなく、この政党の人権感覚、ぶっちゃけていえば上から目線が言葉をチョイスしていると考えた方が正解だろう。

〓第十四条・・・③栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。〓
 「いかなる特権も伴はない」とはすばらしい。レスペクトだけを受けて、ボーナスはまったくない。寡聞にして諸外国の例を知らぬが、実に清々しい規定だ。

〓第十五条・・・④すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。・・・〓
 出口調査で大丙に訊かれたことがある。カチンときたので、「きみは、憲法15条を知っているかい? たかがマスコミになぜ秘密を明かさなきゃならない」と大見得を切った。大人気なかったかもしれぬ。せめて「吉田松陰」とでも応えてあげればよかったのに。

〓第十九条  思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。〓
 「良心の自由」とは何だろう。「信条の自由」ともいう。言葉の選択が難しいところだ。

〓第二十四条 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。〓
 これは困る。相当困る。「両性」を複数の性、つまり女性と女性、男性と男性と解釈すればクリアできるとの意見がある。自衛隊は戦力ではないという見解といい勝負だ。解釈改憲、極まれりだ。まあ、人が死ぬわけではなく平和的ではあるが。その伝でいけば、多夫(婦)多婦(夫)制もいけるのではないか。それは悪くない。

〓第二十六条・・・②すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。・・・〓
 教育の義務は誰が負うのか。子供ではない、親だ。知らない親が多すぎる。ボタンの掛け違いはそこから始まる。

〓第三十二条  何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない。〓
 裁判員制度については何度も触れてきた。問題はこの「裁判を受ける権利」の中身だ。第六章の「司法」の規定には、まったく裁判員は登場しない。当たり前だ。陪審も参審も現行憲法は想定していなかったからだ。定めにないものを勝手に付け加えていいのか。憲法に反しないか。大きな疑義がある。

〓第三十三条  何人も、現行犯として逮捕される場合を除いては、権限を有する司法官憲が発し、且つ理由となつてゐる犯罪を明示する令状によらなければ、逮捕されない。〓
 かつての拙稿「囚人の記 2」(08年2月)が蘇る。屁理屈と駄文の極み。恥ずかしくもあり、懐かしくもある。
 
〓第三十八条  何人も、自己に不利益な供述を強要されない。〓
 60数年も経ってやっと「取り調べの可視化」が論議され始めた。四の五のいう前に、とっとと決めよ。元々、当たり前なのだから。

〓第四十九条  両議院の議員は、法律の定めるところにより、国庫から相当額の歳費を受ける。〓
 「0増5減」論議でも触れたが(本年4月、本ブログ「それは逆だろ」)、「相当額の歳費」と高らかに謳われている。「相当」とは「応分の」との謂であろう。まさか「応分の」働きをしていないから歳費の減額や定数削減を言挙げするのではあるまい。「応分の」仕事をしますからどうぞお任せくださいと、公言し堂々と受け取ればいい。おそらく等価値である「5増0減」でまったくかまわない。何を上杉鷹山を気取っているのか。どっこい、国民は太っ腹だ。見くびってもらっては困る。

〓第五十九条・・・④参議院が、衆議院の可決した法律案を受け取つた後、国会休会中の期間を除いて六十日以内に、議決しないときは、衆議院は、参議院がその法律案を否決したものとみなすことができる。〓
 「みなし否決」を巡る諍いが今国会の終盤で見られたドタバタである。野党の対応はどだい幼稚園並だ。ために、電力関連をはじめ重要な法案が流れてしまった。攻守替われば同じことをやりかねないが、やっぱり歳費は下げたほうがいいかもしれない。

〓第六十八条 ②内閣総理大臣は、任意に国務大臣を罷免することができる。 〓
 帝国憲法との大きな違いだ。旧憲法には「内閣」という文言すらなく、「国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ」とあり並列的関係にあった。さらに総理に他大臣の罷免権がなく、行政府は常に脆弱だった。構造的に政争の芽を孕んでいたといえる。

〓第七十六条・・・②特別裁判所は、これを設置することができない。・・・〓
 これは明らかにアメリカの差し金だ。デパート法式と専門店の違いか。ドイツは拒んだが、日本は受け入れた。軍法会議が適例であろう。だが、当のアメリカもグアンタナモ米軍基地内の軍事法廷が有名になったようにいまだ捨て切れていない。

〓第九十六条  この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。〓
 要中の要である。『憲法館』の玄関の鍵だ。5月の本ブログ「錠ごと替える?」で述べた。本条の改変は叛逆ともいえる蛮行である。この理路が掴めないのは、余程頭の巡りが悪いにちがいない。

〓第九十九条  天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。〓
  そもそも憲法の名宛人は誰か。ここが押さえられていないと、話はてんでに拡散する。リバイアサンを持ち出すまでもなく、国家権力への軛が憲法だ。猛獣を放し飼いにするわけにはいかない。永い歴史の試行錯誤の果て、人類の英知が蓄積され凝結した結晶こそわが日本国憲法だ。押し付けられたとするなら、その人類史的課題を与えられたと解すべきではないか。自虐というなら、世界史の先端的使命を放擲することこそ自虐だ。

 さあて、お立会い。角は一流デパート赤木屋、黒木屋、白木屋さんで紅白粉つけたお姉ちゃんから下さい頂戴で頂きますと五千円や六千円は下らない品物だが今日はそれだけ下さいとは申しません! はい、たったの五シャク円だ。一家に一冊、読みやすい。版元さんも言ってなさる。「まず読んでから考えよう」ってね。さあ、買った、買った。 □