伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

断簡 【全部だきしめて】

2018年03月06日 | エッセー

 ポピュラリティにおいて、「全部だきしめて」は「結婚しようよ」と双璧をなす。吉田拓郎クロニクル前後期それぞれの金字塔ともいえる▼「結婚しようよ」は間違いなくラブソングである(ただし、髪が肩まで伸びたら結婚するとは「御両家御婚儀相整いまして」の因習に訣別を宣したただのラブソングではないが)。「全部だきしめて」も『きみのすべてをぼくの自由にしたくて ずっと大切にしてたわけじゃない』とのっけにくれば、確かにラブソングの風ではある。さらに、『さびしさの嵐のあとで きみの笑顔をさがしてあげるよ』『きみのためにできることを あれからずっと探してる』と続けば、ますますラブラブだ▼ところが、後半のパラグラフに入ると『ひとりになるのは誰だって恐いから つまづいた夢に罰をあたえるけど』と、にわかにトーンが変わってくる。夢の不首尾のせいにすれば、なぜ一人にならずに済むのか? 『間抜けなことも人生の一部だと 今日のおろかさを笑いとばしたい』と未熟を肯定し、『なにかをひとつ失くした時に 人は知らずになにかを手にする』と諭す。これははたして恋人同士の会話であろうか? そして、『きみのためにできることを あれからずっと探してる』のフレーズがリフレインされる。なんとも平仄が合わないのだ▼そこで、この曲の成り立ちに戻ってみた。1996年から始まった拓郎とKinKi KidsがコラボしたフジTV「LOVE LOVE あいしてる」のテーマソングとして作り、KinKiにトリビュートした曲である。作詞は康珍化(カンチンファ)。康は並の作詞家ではない。番組タイトルに引きずられることなく、曲想をホストのKinKiに絞ったに違いない。となると、『きみ/ぼく』は誰だかはっきりしてくる。そう、光一と剛だ。これで平仄が合う。すべてに脈絡が通じる。ストンと腑に落ちる。男と女に敷衍もできなくはないが、一意的には男同士の友情の歌。それが『全部だきしめて』なのだ▼“光一/剛”そのままでは照れくさい。変に誤解されても困る。かといって『同期の桜』というわけにはいかない。だからラブソングで包(クル)んだ。さらに拓郎のメロディーで弾かせた。そう合点した▼この牽強付会でいくなら、「秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず」という世阿弥の骨法通りではないか。康珍化、恐るべし。死語になりかけていた「友情」が「花」としてラブソングの衣装の内に秘されていた……と、暇に飽かせて積年の疑問符に一人合点してみた。□