伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

『燃えよ綱』

2015年02月01日 | エッセー

 司馬遼太郎『燃えよ剣』から

         他国では考えられないことだが、この武州では、
        百姓町人までが、あらそって武芸をまなぶ。
         いったいに武侠の風土といっていいが、いま一
        つには武州は天領(幕府領)の地で、大名の領
        国とはちがい、農民に対する統制がゆるやかだった。
         自然、百姓のくせに武士をまねる者が多く、どの
        村にも武芸自慢の若者がおり、隣村との水争いな
        どにはそれらの者が大いに駈けまわって働いた。
         その勇猛果敢ぶりは、三百年の泰平に馴れた江
        戸の武士のおよぶところではない。


        「役目は、将軍家の警固だよ」
         上総介のいうところでは、近く、将軍家が京へおの
        ぼりになる。
         京は、過激浪士の巣窟だ。毎日、血刀をもって反
        対派の政客を斬りまくっている。将軍の御身辺にど
        のような危険があるかもわからない、武道名誉の士
        を徴募するというのである。
        「それは」
         近藤は、感激した。
        「まことでござりまするか」
         このときの近藤の感激がいかに深いものであった
        か、現代のわれわれには想像もつかない。将軍とい
        えば、神同然の存在で、二百数十年天下すべての
        価値、権威の根源であった。浪人近藤勇昌宜は、
        額をタタミにこすりつけたまましばらく慄えがとまら
        なかった。歳三がそっと横目でみると、近藤は涙を
        こぼしていた。事実近藤にすれば、一生も二生も
        ささげても悔いはない、という気持だった。

 薄茶に褪色した文庫本に見当を付け、捲ってみると如上の二節が目に飛び込んできた。近藤も土方歳三も出自は武州の百姓であった。彼らは身を焦がさんばかりに武士を憧憬し、ついに武士以上の武士となった──。それが司馬の見立てである。近藤たちは三百年の太平に弛緩した武士群に分け入り武術、忠義ともに武士たらんと努め、結句日本史上に屹立した武者振りを塑像するに至った。そう司馬は物語を紡いだ。エピゴーネンが時としてプロトタイプを超える。人の世の妙であり、綾でもあろう。
 突飛なようだが、白鵬のことだ。
 初場所、大鵬の記録を塗り替えた。それはいい。だが、中身が悪い。かつ、行儀も悪い。
 昨年夏場所では、優勝の一夜明け会見をボイコット。今場所では、稀勢の里戦での物言いに疑義を呈し審判を口汚く罵った。千秋楽では入場が遅れ、先行の取組仕切り中に審判の前を横切るという前代未聞の失態を演じた。遠藤戦では、「遠藤コール」の大合唱に激情して張り手、搗ち上げの荒技を連発した。ほかにも不要なだめ押しなど、顰蹙を買う場面が続出している。
 「日本人以上の日本人」と言われてきたこの相撲取りが、あろうことか「品格問題」を起こしている。そこで、冒頭の引用となった。
 09年1月の拙稿「悪童が帰ってきた!」で触れたが、朝青龍は「日本人」の対極にいた。「品格」を嘲笑うように悪童に徹した。稿者はそこを評価した。比するに、白鵬は「日本人以上の日本人」たろうとした。「エピゴーネンが時としてプロトタイプを超える」やもしれぬところまで至っていたといえる。ところが、大記録を前にエピゴーネンに逆戻りし始めたのではないか。
 双葉山や大鵬のビデオを観て勉強してきたというが、おそらく区区たる技の学習に過ぎなかったのではなかろうか。大鵬の夫人納谷芳子さんは白鵬の審判批判に対し、大鵬の連勝が四十五で止まった戸田戦での誤審を振り返ってこう語った。
「テレビで見ていた私たちは悔しかったんです。宿舎で帰りを待って『お疲れさま。絶対勝ってたのに…』と言ったら『そうなんだよ』とは言いませんでした。『そういう風に見られる相撲を取ったのが悪いんだ』と言ってました。逆に私たちが励まされました」
 まことにロールモデルは超えがたく、大きい。協会のお叱りなぞ吹き飛ばすほどの大鉄槌ではないか。
 ついでにいえば、懸賞金を受け取って押しいだき拝むような仕草。あれはいけない。謝意は手刀だけで十分だ。鳥目を離れたところに勝負の真髄はある。少なくともそういう虚構で土俵は設えられている。勝者にその場で直接現金が手渡されるプロスポーツは、もちろんアマも含めて大相撲以外にはあるまい。ならば余計楚々たる振る舞いであらねばならぬ。敢えて執着を見せず、枯淡であること。これは彼がなろうとしている「日本人」の一典型である。
 日本人の習俗は大概が江戸期に形作られている。浅田次郎氏が清の弁髪に起源を持つと推論する「髷」も江戸期に完成した。維新、文明開化が太古となった今、ウィッグではなく正銘の髷を冠して堂々と街中を歩けるのは関取を措いて外には皆無だ。かつ周囲は違和感を覚えるどころか、あこがれの的となる。まさに江戸時代が歩く。妙な話だが、実におもしろい。さらに土俵入りには刀(竹光だが)、行事は誤審時の切腹に使う脇差し(こちらは真剣)を帯している。これほどまでに日本人の原型的習俗に忠実な世界は、万邦広しといえども大相撲だけではないか。巨大なタイムスリップといえなくもない。
 これといったライバルがなかったとはいえ、三十三回優勝の大記録は大いに嘉したい。しかし、『相撲界の近藤勇』はそう容易くはない。三十四回目の優勝より、実はこちらが難関だ。『燃えよ綱』はいまだ高々と中天に掛かったままだ。 □