伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

希望を

2019年01月01日 | エッセー

  世界で800万部を売り上げた『サピエンス全史』で、ユヴァル・ノア・ハラリはその超絶する学識と炯眼で人類史を俯瞰してみせた(2年前の1月、拙稿で紹介)。今度は返す刀の切っ先が未来に一閃し、人類の行く末を通暁する。続編『ホモ・デウス』(河出書房新社)である。
 この長講をひと言に括れば、「サピエンスは自らをアップグレードし、神たるホモ・デウスを目指すが、かえって墓穴を掘る結果になる」となる。
 サピエンスは有史以来背負ってきた宿業ともいうべき「飢饉・疫病・戦争」の3つの課題を21世紀初頭までにほぼ克服した。克服の意味を「この先何十年も厖大な数の犠牲者を出し続けることだろう。とはいえ、それらはもはや、無力な人類の理解と制御の及ばない不可避の悲劇ではない」(上掲書より、以下同様)とハラリは語る。(戦争については前々稿で触れた)
 だが、渇望、野心は熄むことを知らない。ホモ・サピエンスの生命と幸福と力を神聖視し自らを地球の支配者とする「人間至上主義」と科学が協働し、「不死と至福と神の如き力」の獲得、すなわち「神の人(ホモ・ゼウス)」の高みへと駆け登っていく。
 そこに待ち受けているものはなにか。人知を凌駕したAIは大多数のサピエンスからその存在価値を奪い、「無用者階級」へと貶める。一握りの特権エリート層だけが残り、ホモ・デウスにアップグレードしていく。彼らが無用者階級を支配し、切り捨てて生き残りを図る。ここに人間至上主義は潰え、新たに登場するのがデータ至上主義だ。
 データをあらゆる意味と権威の源泉とするデータ至上主義の大量急速なデータフロー。人間は対処不能となり、その構築者からチップへ、さらにはデータへと落ちぶれ、挙句は急流に呑み込まれ消えていく。もはや人間の経験は神聖ではなくなり、データ至上主義は物事の正邪を決める宗教と化し、至高の価値は「データの流れ」に措かれる。
 振り返れば、農業革命以来サピエンスは「家畜」という新種の動物を生み、なおあらゆる動物を支配下に措いてきた。だからハラリは「他の動物たちにしてみれば、人間はすでにとうの昔に神になっている。私たちはこれについてあまり深く考えたがらない。なぜなら私たちはこれまで、とりたてて公正な神でも慈悲深い神でもなかったからだ」とし、因果は巡り、今度は「データ市場主義は、ホモ・サピエンスが他のすべての動物にしてきたことを、ホモ・サピエンスに対してする恐れがある」というのだ。「墓穴」とはこの謂である。
 以上が『ホモ・デウス』のギリギリ削った梗概である。決して明るくはない。否、絶望的に暗い。しかし、生命はデータ処理だけでは捉えきれないことやいつまでも未解明な「意識」は知能以上に支配的要因であることを挙げ、こう結ぶ。
「本書で概説した筋書きはみな、予言ではなく可能性として捉えるべきだ。こうした可能性のなかに気に入らないものがあるなら、その可能性を実現させないように、ぜひ従来とは違う形で考えて行動してほしい。」
 希望はある。未来は変えられる。そうハラリは呼びかける。では、どうするか。敬愛する橋本 治氏の卓説『負けない力』を徴したい。
 氏は悲観を楽観に変えるものとして「対話」に目を向ける。それは、
 〈自分一人で考えていると、どうしても「自分対全世界」というような考え方になってしまいます。なぜかと言うと、「自分」も一人なら「全世界」も「全世界」という一つの塊だから、「自分対全世界」という一対一対応が自然と頭の中に出来上がってしまうからです。〉
 として、その理由に言及する。
 〈「全世界」というのは、分かりやすいのが取り柄なだけの漠然とした一つの概念です。「自分」と一対一対応にしてしまうのには、無理があります。実は、「全世界」なるものは、「大勢のいろんな人によって出来上がっているもの」です。それをそのまんまにしておくと扱いにくいから、便宜的に、手のひらに収まるような「一つの小さな概念」にしてしまったのです。最大の困難というのはここに由来するはずです。〉
 言葉は平易だが、氏の知性はこのように首根っこを鷲掴みにする。「一つの小さな概念」という陥穽を脱するものはなにか。氏は続ける。
 〈行き詰まっているかもしれない「世界」や、あなたの周りの「外部」は、ギュッと固まった一つの概念ではなくて、一人一人の人間の集まりなのです。あなたも「一人の人間」なら、あなたの周りにいるのもあなたと同じような「一人の人間」で、すごいことに、この「世界」はそういう無数の「一人の人間」によって出来上がっているのです。「世界」は、そういう対話が可能な無数の「一人の人間」の集まりとして出来上がっているのです。もしかしたら、現代日本の最大の困難は、「世界」を、あるいは「自分の外部」をただの「一つの塊」と思ってしまって、「対話が可能な人間達」が作り上げているということを忘れてしまったことによるものかもしれません。あなたが「一人の人間」なら、「あなたの外部」を作っている人達も、それぞれがみんな「一人の人間」なのです。あなたと「一対一対応」をするものは、抽象的な「世界」とか「外部」というものではなくて、「一人の人間」なのです。〉
 目の前の一人と語り合う。そこにしかパラダイムシフトへの突破口はない。そう橋本氏はいいたいのではないか。ハラリが求める「従来とは違う形」とはこれであろう。ホモ・ゼウスの罠に嵌まらぬ秘策は対話にある。希望はきっとそこにある。(年明けに「希望」を探って) □