伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

奇想、天外へ!

2007年02月28日 | エッセー
 病膏肓か、習い性と成るか。はたまた、誇大妄想の癖か。またしても、奇想である。この度は天外より来たるのではなく、遙か天外へ放つのである。

 原発は「トイレなきマンション」と呼ばれる。排泄物、つまり核廃棄物の処理施設がないからだ。今は敷地内の肥溜めに貯めているようなものだ。あと数年であふれる。外に持ち出して処分せねばならない。なにやかやで厖大な費用が掛かる。3年前の経済産業省の試算によると、なんと総額19兆円。受益者負担となり、電力料金に上乗せされて消費者が払うことになる。この試算に含まれるのかどうか定かではないが、廃炉原発の始末にも巨費が掛かる。これは日本一国だけ。全世界の原発を考えると、空前の数字になる。
 糅(カ)てて加えて、核兵器だ。ウラン235にせよ、プルトニウム239にせよ、こちらは放射能の塊だ。地球上に3万発。ウルトラ・オーバーキルもいいところだ。造りも造ったりだ。廃絶が進んで、解体されると放射能物質が山を成す。こちらの処分は原発の比ではない。いくら掛かるか。おそらく試算のしようもないであろう。
 最終処分とは地中深く埋めることだ。地質を調べ、地下300mの硬い岩盤に封じ込めるのであろうが、どっこい地球には地震というものが起こる。いかな岩盤とて勝てる相手ではない。さすれば早い話、人類は放射能を枕に寝ている仕儀となる。半減期はプルトニウム239が2万4千年、ウラン235は7億年。気が遠くなる数字に、笑ってしまう。付言すると、ウラン235は自然ウランには0.7%しかない。抽出は砂金捜しを超える。自然(ジネン)に産するものでは決してない。プルトニウム239は人工物、つまりは人間がわざわざ造ったものだ。
 さて、その半減期である。レントゲン撮影に使うエックス線。これも放射線ではあるが、装置の電源を切ればばそれで終わり。しかし、原発で作られた核分裂生成物はそうはいかない。放射線を出さなくなるまで待つしか手はない。放射性元素の原子数が崩壊によって半減すれば概ね安心できる。これを半減期という。要するに無害化するまでの期間である。

 そこで、本題に入る。 ―― 核廃棄物、もしくは廃棄核兵器をロケットに詰めて、宇宙の果てに飛ばしてはどうか。できれば、ブラックホールめがけて。
 腰だめの試算をしてみる。
 スペースシャトルの製造費用は約2000億円。普通のロケットが製作に1000億円、打ち上げ費用が一回に100億円掛かる。
 ペイロード(積載量)は、スペースシャトルが約30トン。いま計画中のスペースシャトルを改良した大型物資輸送用ロケットだと、その3倍。約90トン運べる。
 日本の原発からは年間1000トンの核廃棄物が出る。リサイクルした後、最終処分、つまり埋設処理が必要な蓄積量は、平成14年時点で約3万トン。大型輸送ロケットで333回分になる。一機が3000億円と見積もると、約100兆円。GDPの5分の1、年間予算の1.3倍。アメリカの場合、原発数は日本の約2倍。従って、費用も2倍。GDPは1200兆。こちらも日本の2倍を超える。
 巨額のようだが、100年もかければ十分可能ではないか。途中には技術の進歩がある。スケールメリットも働く。代替エネルギーが開発、実用に供されると累積量は止まる。『世紀の事業』として各国共同して取り組めば、費用対効果は確実にある。
 一方、核弾頭は一個平均30キログラムとして3万発で約900トン。貨物ロケット10機分で足りる。総額3兆円、割安だ。こちらは解体せずにそのまま飛ばす ―― 。

 私の知る限り、このような案が提示されたことはない。問題はそこだ。この類いのプラン、誰かが着想したにちがいない。しかし、俎上に載らないのはなぜか。浮かんだ瞬間に、夢想として葬られたのだろうか。あるいは密かにどこかでプロジェクトが動いているのであろうか。いや、それはあるまい。おそらく着想した瞬間に、思考停止したのではないか。なにが阻んでいるのであろう。レギュレーションはなにか。
 以下、考えつくままに何点か挙げてみる。
① 荒唐無稽。バカバカしい。たわごと、戯(ザ)れ言。世迷い言。夢想として歯牙にもかけない?
 それに、際物として無視するも入るか。
② なんらかの倫理観が働いた?
 『宇宙的』倫理観とでもいおうか。宇宙を汚してはいけないという抑制が働いた。ただそうだとすると、なぜ地球はゴミだらけで平気なのか。養老孟司氏の言に、「部屋の掃除をしてキレイになっても、掃除機の中はゴミだらけ」というのがある。大気圏内では、所詮右のモノを左に持って行っただけではないのか。ならばと、大気圏外にぶっ放そうという発想はオカしいのか。あるいは、せめて宇宙だけはキレイにしたいとの犠牲的精神か。だが、やがて地球の引力によって墜ち、燃え尽きるとはいえ、プラネットアースの周りは宇宙ゴミでいっぱいだ。衛星の破片などが飛び回っている。
 宇宙は無限である。有限説もあるが、ウラン235の半減期7億年に光年を掛けても果てには届かぬ。遙か天外へ、銀河の先の、そのまた先へ運ぶこのプラン、「宇宙の無限性」で相殺されないものであろうか。「無限性」で相殺できないところに倫理の核心があるのだろうか。
③ 上記②と関連するが、宇宙への畏怖ゆえか?
 未知であるがゆえの畏怖。宗教的感情に近いもの。天に唾するか、神に弓射るか。
④ 将来の技術開発を待つのか?
 まさか半減期の短縮はできないだろうが、それこそ奇想天外な技術の開発に期待するため。これは世紀の単位を要する。
⑤ エイリアンの逆襲を恐れるためか?
 ひょっとして、これが現実的かもしれない。
⑥ やはり費用と技術的問題?
 でも7億年もの間、核を枕に寝続けるのか。そのうちに巨大地震でも来て地中の核物質が噴きだし、本物の『猿の惑星』にならないとも限らぬ。

 さて、いかがなものであろう。筆者としては②であることを望む。だとすれば、人間もまだ捨てたものではない。拙稿の読者諸氏の明察に期待したい。勿論、これ以外の意見も含めて。奇想にお付き合い願えるならば……。
 天外に放った奇想、ブーメランのように無知蒙昧なわが脳天に返って『来そう』だ。□