伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

割り切れすぎて……

2013年09月16日 | エッセー

 あまりにも割り切れすぎて、なんだか割り切れない話だ。

 「日本大復活の真相」  
 三橋貴明(経済評論家)著、株式会社あさ出版、本年6月刊。

 氏は、日本をデフレのど壺に嵌めた“罪人”として9者を槍玉に挙げる。大骨だけを抜き書きしてみる。

❶ 小泉純一郎の罪
a. 構造改革という名のインフレ対策を決行した
b. デフレを加速させた張本人
c. 「アメリカ企業のための日本」のモデルケースを作った
❷ 竹中平蔵の罪
a. 「プライマリーバランスの黒字化」「自己責任論」を世に広めた             
b. 財政出動を嫌い、デフレ対策が片翼に留まり、結果的にデフレを長期化させた
──中央政府の自国通貨建て負債(国の借金)など、金額が1000兆円だろうが1京円だろうが、インフレ率さえ無視すれば、問題視するほうがおかしいのだ。そして、日本政府の負債は「100%日本円建て」だ。
 (デフレ対策の)代表的な政策を一つ上げておくと、もちろん「公共事業」である。量的緩和プラス公共事業、これがデフレ脱却の王道であり、そしてアベノミクスの要でもある。
 小泉政権は、デフレ脱却のための「解決策の一つ」である量的緩和は実施したものの、同時に公共事業は削り続けてしまった。デフレ脱却には金融政策と財政政策の両翼が必要であるにもかかわらず、片翼によるデフレ脱却を敢行した。
❸ 鳩山由紀夫の罪
a. 麻生政権の「正しいデフレ対策」を振り出しに戻した
b. 対米関係をドン底まで悪化させた
──日本は先進国のなかでも大衆の知的レベルが高いと筆者は確信しているが、それでも「経世済民」を理解するには至らず、経済を家計簿や企業経営にたとえられると、そのまま信じてしまう。
 子ども手当に高校授業料無償化、高速道路無料化、農家の戸別補償など。民主党のマニフェストに並んでいた政策は、ことごとく「雇用=所得」を創出しない政府支出だった。すなわち、バラマキ政策だ。
❹ 菅直人の罪
a.国の将来より市民活動家としての悲願を優先
b.東日本大震災後の復興を致命的に遅らせた
c.消費税増税、TPP参加の道筋を作った
──史上最低の首相(鳩山)、史上最悪の首相(菅)と続いたあの時代のことを、日本国民は決して忘れるべきではない。「政治など、誰がやっても同じだ」などと、以前の日本国民は適当なことを言っていたが、ようやく理解できただろう。「誰がやっても同じ」などと、適当な扱いをしても構わないほど、政治とは軽くはないのだ。
❺ 野田佳彦の罪
a.ISD条項など、中身も知らないままTPPを推進
b.間違った「財政悪化デフレ論」を吹聴した
c.ビジョンなき「職業政治家」
──「社会保障を安定させるため」との名目で、消費税増税をぶち上げた。デフレ期に増税したら、国民の所得が小さくなり税収も減る。税収減少とは財政の悪化であるわけだから、当たり前の話として社会保障は安定化しない。
 「国の借金が増えた」原因を公共事業に押しつけているが、国の借金すなわち政府の負債が増えたのは、税収不足を埋めるための赤字国債が発行され続けたためだ。公共事業の財源である建設国債は、05年から10年まではまったく増えてはいない。公共事業を削り続けていた以上、当然だ。
❻ 橋下徹の罪
a.国家をバラバラにする道州制を推進している
b.労働市場の自由化が「時給100円」時代を招く
c.文化、伝統を完全否定する個人主義者ぶり
──新自由主義者たちのやり口はいつも同じだ。まず弁護士や企業経営者などをテレビに頻繁に出演させ、タレント化する、彼らを人気者に育てたあとで、どこかの市長に据え、最終的に国家の権力を握らせる。たとえば、サルコジ元フランス大統領と李明博元韓国大統領である。権力を握ったあとに新自由主義的な政策を国内でバリバリ推進していく。
 日本維新の会は政府を企業と同一視するため、彼らは企業経営のために必要とされるものを、中央政府に安易な形に持ち込もうとする。「企業にとっては当たり前のことを、なぜ国はしないのだ?」などと叫びながら。
 政府が「非効率部門だ」といって無闇に社会保障を切り下げようとするのは、主権者に損をさせる政策だ、だからこそ、美辞麗句ではなく真剣に経済、社会への影響を議論し、民主主義で決着を着けなければならない。「ムダだから、削るのです。当たり前でしょう」といった態度で議論してはならないのだ。
 道州制──産業が集まり、税収もたっぷりある都市部と、人口が日本最少の鳥取県と「市場競争」を繰り広げる際のルールを同一にして、本当にフェアなのか。まるで、ストロー級ボクサーとヘビー級ボクサーが、同じリングで殴り合いをするようなものではないのか。
❼ 日本銀行の罪
a.本格的なデフレ対策に乗り出さなかった
b.「人口減少デフレ論」等を、デフレ対策失敗の言い訳にした
c.奇妙なインフレ目標を定義した
──本来、リスクをとってお金を貸すのが銀行の仕事であるわけだが、現在の日本ではこれが機能していない。銀行は、とにかく国債が大好きである。
 アベノミクスによるデフレ脱却の手法は、「政府がお金を借り、それを財政出動(公共投資など)で使います。そうすれば、日銀が発行したお金が国民の所得として行きわたるでしょう」というものである。
 量的緩和はインフレ率を上げる政策、構造改革はインフレ率を抑制する政策であり、日銀は、「われわれはアクセルを踏むから、政府はブレーキを踏んでくれ」といい続けたわけである。
 日銀が言い訳をするがごとく持ち出してきたのが、「人口減少デフレ論」である。これは、そうはお目にかかれない。不思議な話としかいいようがない。生産年齢が減ったところで、需要はそう簡単には縮小しない。それに対し、生産年齢人口減少で供給能力は確実に落ちていく。需要に対し供給能力が落ち込む以上、デフレどころか、逆にインフレになり、物価は上昇していくのではないか? さらに世界には人口が減っている国が20力国以上あるのだが、そのほとんどが日本以上に早いペースで人口が減り続けている。しかし、デフレになっているのは唯一日本だけだ。
❽ 財務省の罪
a.デフレ期にも財政均衡を譲らず、デフレを深刻化させた
b.マスコミと癒着して増税を煽る卑怯な手口を使う
c.「外需を目指せ!」の一本槍で、税収の源である内需を見ない
──財務省の教義は「財政は均衡しなければならない」というものである。公共事業も社会保障も、「税収の範囲でやりなさい」という主張を譲ろうとしない。日本の財務省がこの種の新古典派経済学の教義に染まったのは、バブル崩壊後のことである。
 財政均衡はある「前提」がないと成り立たない。その前提とは、経済がインフレ基調で成長していっていることである。
 財政黒字そのものを目標にしてしまうと、緊縮財政をするしかなくなってしまう。増税しましょう、政府の支出を削りましょう、公共事業を削りましょう、公務員を減らしましょう。デフレ期にこんなことをしたら、国民の所得であるGDP縮小で税収が減り、結局のところ黒字化の目標を達成できなくなってしまう。
 なぜ、財務省は財政を悪化させる緊縮財政を強行するのか? 1つの仮説としては、財政悪化が増税を実施する理由作りになるからだ。
 トヨタがアメリカでモノを生産し、莫大な利益を上げたとしても、財務省は税金を1円もとることはできない。当たり前だが、アメリカ政府がトヨタの現地法人から税金をとる。日本国の税金は、日本国内の所得からしか徴収できない。
❾ マスコミの罪
a.悪辣な反自民、反安倍、反麻生キャンペーンを打った
b.「報道しない自由」を悪用した
c.TPPを農業の関税に矮小化した 

 いかがであろう。冒頭の「割り切れすぎて、割り切れない」に納得いただけたであろうか。三橋氏は、他の著作で次のようにも述べている。
〓日本の場合、日本銀行は日本政府の子会社である(日銀の株式の55%を日本政府が保有している)。日本銀行が日本国債を買い取ると、日本政府は「子会社の日銀からお金を借りた」形になる。親会社と子会社間のお金の貸し借りや利払いは、連結決算時に相殺されてしまう。いわば「同一人物の右手が左手にお金を貸した」のと同じ扱いになり、実質的な返済負担や利払い負担は発生しないのだ。「政府ばかり、ずるい!」と思われた方がいるかもしれない。国家の仕組みとはそもそもそういうものなのだ)無論、中央銀行が政府発行の国債を大量に買い取ると、マネタリーベース(日銀が供給する通貨)、マネーストック(金融機関から経済全体に供給されている通貨の総量)が拡大し、デフレギャップが埋まることでインフレ(物価の継続的上昇)率が上昇を始める。上記の「政府の資金調達方法」は、現在の日本がデフレに苦しめられているからこそ可能なのだ。「どんな国でも、いつでも」可能という話ではない。〓
 「TPP亡国論」が話題を呼んだ中野剛志氏がメンターと仰ぐ人物である。袈裟懸けのような凄味を覚えるのは確かだ。
 ❷ のa. は、“ブレイン”の功罪について認識を新たにさせられる。
  ❸ ❹、特に❹は、稿者と大いに共鳴する。「皆の衆も悪い」。c.は忘れられがちだが、まるで現政権の露払いである。野党が与党になって、野党(=次の与党)のためにお膳立てをする。なんと、バカな! 疫病・貧乏・死、3点セットの厄神にちがいない。
 ❻ は、快哉を叫びたい。考えてみれば、サルコジの浪花版だ。「政府を企業と同一視」は、鋭い。ここからボタンの掛け違いは始まる。
 唐突だが、「3世紀の危機」を迎えたローマ帝国はどうしたか。属州の拡大が行き詰まり、拡大再生産体制が維持できなくなって経済成長が止まった。当然、社会不安が増す。そこに登場したディオクレティアヌス帝は「ドミナートゥス」、つまり専制君主制を敷いた。ここにローマ帝国伝統の「共和制」が終焉を余儀なくされ、最大の美質であり禁忌であったシステムが破綻した。ナチスも然り。太古より、経済危機は経済以上に国そのものを危機に落とす。『強がり』が強かった例しはないのだ。
 ❼ のb.は、藻谷浩介氏の「デフレの正体」とはどうなのだろう? 悩ましいところだ。
 ❽ のトヨタの件(クダリ)は、内田 樹氏の「壊れゆく日本という国」と通底する(本年5月、本ブログ「国民国家の解体」で紹介した)。

 全体の肝は次だ。
〓「経世済民」の意味は、民を救うために世を統べるということだ。平たくいえば、国民が豊かになる政策、国民の所得を増やすための政策を打つことが経済の目的なのである。
 デフレ期の政府は、借金を増やすことが「経世済民」という目的を達成するうえで正しい選択なのである。デフレ期にはおおいに借金し、国民の所得を増やすために使うことが、政府の役割なのである。
 現在の日本に必要なのは、プライマリーバランスの黒字化などではない。政府の負債と投資(公共投資)の拡大だ。企業がお金を使わない以上、政府が使うしかない。「そんなことをしたらインフレになる!」と反駁する人が少なくないが、今はデフレ対策の話をしているのだ。〓
 「企業がお金を使わない以上、政府が使うしかない」。これが氏の論攷の要だ。政府は営利団体(=企業)ではない。「経世済民」のために存在する。だから、次のような大胆不敵な理路に至る。
〓財政赤字や財政黒字というのは、単年度のフローの話、つまりは所得の話だ。それに対し、国債残高800兆円は、負債の残高であるわけだから、ストックの話になる。「赤字」という言葉が持つおどろおどろしい印象を利用し、ストックとフローを混同するという印象操作をやっていたのである。さらに、「国の借金」というフレーズ。国債とは、政府が国内の金融機関などから借りたお金だ。当たり前の話として、「国の借金」ではなく「政府の負債」というべきなのだ。ところが、財務省はいまだに「国の借金」と呼んでいる。さらに、「国の借金」を人口で割り、「国民1人あたり800万円の借金」などとアピールしてくる。これまた統計的に間違ったフレーズだ。何しろ、国民は国にお金を貸しているほうなのである。〓
 それにつけても拙稿が引っ掛かる。本年2月の『アベノミクス考』である。稿者一人が悩んでも、九牛の一毛どころか億牛の一毛である。だがタックスペイヤーのはしくれであるし、国債の“貸し方”の一人でもある。じっくり悩んで損はなかろう。 □