伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

近ごろの出来事から ―― 英国に学べ

2010年05月19日 | エッセー

●第1党の保守党、自民との連立視野 英国の総選挙
【ロンドン=土佐茂生】6日投開票された英国の総選挙(定数650)で、第1党になった保守党のキャメロン党首は7日午後、ロンドンで会見し、第3党の自由民主党と連立政権を組むことも視野に協議を始める意向を明らかにした。保守党はこれまで連立には否定的だったが、議会の過半数をとれない状態になり、踏み込んだ。労働党のブラウン首相も自民党との交渉に意欲を見せており、新政権をめぐるつばぜり合いが激しくなった。(5月7日)

⇒7日、朝日は「英国総選挙―2大政党が負った疑問符」と題する社説を掲げた。「英国で、2大政党に向けられた不信と小選挙区制が示した限界。日本の各政党も自らへの問いとして受けとめるべきだろう。」と、機鋒をわが身に向けている。本ブログでも、2大政党制と小選挙区制については何度も非を鳴らしてきた。宗家の苦渋はあすのわが身であろう。「過ちては改むるに憚ること勿れ」ではないか。下表をご覧いただきたい。

              得票率(%)      当選者     増減
 保守党         36.1      306     +97
 労働党         29.0      258     -91
 自由民主党     23.0         57       -  5

 得票率で労働党に比肩する自由民主党が議席数で大差をつけられている。これが小選挙区制のマジックである。ゲリマンダーがそのタネだ。これでは民意の切り捨てでしかない。保守・自民の連立により36年振りのハング・パーラメントは収まったが、もはや制度的欠陥は明らかだ。宗家は今度こそ見直しにかかる。わが国はどうか …… 。

 奇想を飛ばしてみたい。推力は「日本辺境論」だ。(内田樹著、新潮新書。本年1月2日付本ブログ「大きな物語」で取り上げた)以下、骨格部分の抄録である。

◆今、ここがあなたの霊的成熟の現場である。導き手はどこからも来ない。「ここがロドスだ。ここで跳べ」。そういう切迫が辺境人には乏しい。
◆日本人はどんな技術でも「道」にしてしまうと言われます。柔道、剣道、華道、茶道、香道……。このような社会は日本の他にはあまり存在しません。
◆「道」という概念は実は「成就」という概念とうまく整合しない。「目的地」を絶対化するあまり、おのれの未熟・未完成を正当化している。
◆「道」は教育プログラムとしてはすぐれたものだが、「私自身が今ここで」というきびしい条件は巧妙に回避されている。
◆「辺境人であるがゆえに未熟であり、無知であり、それゆえ正しく導かれなければならない」という論理形式が「学び」を起動させ、師弟関係を成立させ、「道」的なプログラムの成功をもたらした。
◆つねに「起源に遅れる」という宿命を負わされたものが、それにもかかわらず「今ここで一気に」必要な霊的深度に達するためには、主体概念を改鋳し、それによって時間をたわめてみせるという大技を繰り出すしかないというソリューションでした。
◆「機」というのは時間の先後、遅速という二項図式そのものを揚棄する時間のとらえ方です。どちらが先手でどちらが後手か、どちらが能動者でどちらが受動者か、どちらが創造者でどちらが祖述者か、そういったすべての二項対立を「機」は消去してしまう。
◆後即先、受動即能動、祖述即創造。この「学ぶが遅れない」「受け容れるが後手に回らない」というアクロバシー(註・曲芸)によって、辺境人のアポリアは形式的には解決されました。

 まとめれば ―― 日本は辺境なるがゆえに「学び」を起動させ、「道」を誕生させた。しかし、それは未完成を正当化するものである。だから今、この場での成就のために「機」(=即)を案出した ―― となるか。
 突飛な譬えではあるが、野球はどうだろう。例に漏れず、このアメリカ生まれのスポーツも「学び」の対象となり、「道」になった。甲子園はそのティピカルな舞台だ。「ソリューション」たる「機」は天稟に負うしかない。そこでさらに跳ねてみると、〓〓 かつて、長嶋さんが原に打撃の指導をした。「腰をグーッと、ガーッとパワーで持っていって、ピシッと手首を返す」「ビューと来たらバーンだ」。天才の技が言葉になるはずがない。だから、ナガシマ語で表現するしかない。しかし驚くことに、原の「極意ノート」にはこの発言がそのまま書かれていたという。原の純朴を讃えるべきか。愚鈍を哀れむべきか。いずれにせよ、世の中には言葉にならない何かがあることを教える話だ。〓〓(06年8月2日付本ブログ「いわゆる一つの宗旨替えか?」から)となる。
 「『今ここで一気に』必要な霊的深度に達するためには、主体概念を改鋳し、それによって時間をたわめてみせるという大技」は、アプリオリに「主体概念を改鋳」する必要のない天才にして初めて可能となる。余人、凡人の理解力を峻拒するその「大技」はオノマトペ以外に表出する術はない。
 
 さて、英国に学んだというO氏の発議になるわが国の小選挙区制・2大政党制についてである。
 辺境国家の特性に立ち返って真摯に学ぶのか。だとすれば宗家に倣い、即刻見直しに掛かるべきだ。
 それとも、辺境ゆえに道半ばであり続けるのか。日暮れて道遠しとして、「未熟・未完成を正当化」し続けるのか。
 はたまた、件(クダン)の「大技」か。政治的アクロバシーなど、今や白昼夢だ。
 さらに、「『ここがロドスだ。ここで跳べ』。そういう切迫」は政治の自明の前提である。政治が存在するところ、そこはすべて『ロドス』だ。『跳べ』ない政治家など、その名に値しない。「道」を誤れば、『偏狭』国家に身を落とすだけだろう。今こそ、英国に学べ、ではないか。 □