伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

『グランデュードのまほうのコンパス』

2019年11月12日 | エッセー

 帯をそのまま写す。
──ポール・マッカートニーが贈る、とびっきりの冒険物語
      さあ、グランデュードといっしょに、ふしぎな旅にでかけよう! 
   グランデュードの世界へようこそ! 
      世界中で愛される伝説的ミュージシャン、ポール・マッカートニーからの贈り物。
      子どもも大人も、魔法のジェットコースターに乗っているかのように
      世界中をかけめぐったあとは、ふかふかのベッドへ! 

   キャスリンダーストのいきいきとした絵が、ストーリーに命をふき込みます。

   グランデュードはあっとおどろくまほうをかくしもつ、こわいものしらずの冒険家
   グランデュードがまほうのコンパスをつかえば、あっというまに、ちがうせかいへひとっとび。──
 潮出版社から今月5日に発刊されたポール・マッカートニー初の絵本『Hey Grandude!』の日本語版である。
 絵はいかにもの欧風タッチ。ストーリーはお馴染みのテレポーテーションと動物がらみのドタバタがあって、カール・ブッセの「山のあなた」風でお仕舞い。定番といえなくもないが、作者の超絶したプレゼンスが「たかが絵本」を「されど絵本」の遙か高みに押し上げている。
 ファンならずともビートルズ世代にはピンとくるものがあるはずだ。そう、『マジカル・ミステリー・ツアー』である。1067年、ポールの主導で作られたこの映画は、当時酷評された。魔法使いであるビートルズのメンバーと一緒に俳優やサーカス芸人が観光バスに乗り込んで旅をすれば、信じられないような不思議な出来事が起こるはず。それを記録しようという企画であった。目論見は無残にも外れ、なにごとも起こらなかった。「愚かなホーム・ムービー 伝説の終焉」などと散々なブーイングに見舞われた。
 臍が曲がっている稿者などは、ひょっとしたらあれから半世紀余を経てリベンジに出たか、そんなふうにも思案した。それにしても、ポール77歳。尽きぬ創作意欲にはただ脱帽するしかない。本物は「伝説的」や「レジェンド」なる献辞が大嫌いらしい。洋の東西を問わず。
 さて、対象者を考えると童話も昔話も同等に扱ってよかろう。ならば、そのドラマツルギーである。老人がなぜ主役なのか? 古典エッセイスト・大塚ひかり氏はこう語る。
〈最底辺の老人が、閉塞状況を打開させる役割を担い、仰ぎ見られるという逆転劇を実現する大きな要因は、長く生きた老人ならではの「知恵と知識」のせいでしょう。老人が「知恵や知識の象徴」と見なされていることは、昔話の多くの語り手が老人であることとも関係します。
 そもそも「弱い者」が、強い者を倒したり、主役を助けたりといった「意外な力」を発揮して、その存在感を示すというのは古今東西の物語のパターン。昔話の主役が老人である最大の理由、それは、「老人そのものがもつ物語性」です。〉(草思社、15年刊「昔話はなぜ、お爺さんとお婆さんが主役なのか」)
 グランデュードは「最底辺」ではないが、「老人」にはちがいない。物語のはじまりは、文字通り『つまんない なんだかパッとしない あさ』と子どもたちが嘆く「閉塞状況」からである。「お馴染みの」「ドタバタ」を切り抜ける「逆転劇」はグランデュードが備える「知恵と知識」と「意外な力」によってなされる。コンパス、つまり羅針盤はその象徴的アイテムである。裏打ちするのは長く生きてきた「老人そのものがもつ物語性」だ。ポールの化身であるグランデュードは有り余るほどその資格を有する。「『されど絵本』の遙か高み」とはその謂である。ポールが贈ったこの絵本は見事にセオリー通りだったのだ。
 「リベンジ」は成功したと見ていい。稿者の生まれ月にビッグなプレゼント、そう勝手に喜んでいる。(余談ながら、この絵本は今年誕生した孫娘に遺贈するつもりである) 

<跋>  せっかくだからこの絵本になにか曲を作ってほしかったところなのだが、やはり『Magical Mystery Tour』以外には考え及ばない。というか、他にはあり得ない。 □