伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

風が吹けば・・・

2010年11月09日 | エッセー

 むかしの道だ。強い風はたちまちに砂塵を巻き上げる。それは眼を直撃し、盲いる者が増える。かれらの多くは鍼灸按摩か三味線弾きを生業(ナリワイ)とする。だから、三味線が余計に要る。張るのは猫の皮。猫には迷惑な話だ。天敵がいなくなって喜ぶのは鼠。そこらじゅうの桶が齧られる。生活必需品が不足する。儲かるのは桶屋だ。

 風が吹けば桶屋が儲かる。

 江戸は元禄の世にはじまる浮世草子に出てくる話だ。およそ8つのステップを経る連鎖である。風と桶屋というまったく無縁のもの同士が、仕舞いには見事に繋がる。遠い浮世の市井の知恵には舌を巻く。巧まずして「ドミノ理論」を語り、「バタフライ効果」を説いている。

 冷戦時代、アメリカが掲げた外交政策の柱が「ドミノ理論」であった。一国が共産主義化すれば周辺国をドミノ倒しのように次々と赤化してしまうとして、武力介入を正当化した。ベトナム戦争はその典型である。転じて、ある事件につづいて同類の事件が連鎖的に発生する場合にもこの言葉を使う。吉事のドミノなら歓迎だが、往々にして悪事が連鎖する。

 「バタフライ効果」とは力学の世界だ。「カオスな系では、初期条件のわずかな差が時間とともに拡大して、結果に大きな違いをもたらす。そしてそれは予測不可能である」現象を、比喩として表現している。それが、「ブラジルで蝶が羽ばたけばテキサスでトルネードを引き起こす」である。別パターンで、北京の蝶とニューヨークの嵐、アマゾンの蝶とシカゴの大雨もある。
 芝居がかった措辞だが、つまりは蝶の羽ばたきのような微動が遥か時空を異にしてトルネードのごとく極大化される。それは予想不能で、かつそのようなものとして混沌の世界はあるとの知見だ。こちらも前者同様、人生観、世界観に転用される。

 してみると理論と名は付かずとも、浮世草子ははるか300年も前に易々(ヤスヤス)と両論を手挟んでいたといえる。まことに、いにしえの庶民の知恵は高高としていた。

 さて浮世草子の顰みに倣って、次のように並べるとどうだろう。

 普天間 → 尖閣諸島 → 北方四島

 なんと南洋から北端まで、日本列島3000余キロを一跨ぎに縦断する。
 
 普天間が吹けばロシアが儲かる。

 ではないか。
 はじまりは普天間だった。前首相の軽率極まりない空手形から、普天間で長年月の鬱積が大風となって吹き荒れた。沖縄全域を巻き込み、奄美にも及んだ。前政権は脆くも自壊した。
 見落としてならないのは、この風が日米の間に割って吹き込んだことだ。51番目の州と揶揄されるほど(実態的にはそうともいえる)強い紐帯を誇った両国間に、懸隔が生じ得ることが露呈した。過去、経済面で摩擦が生じたことはあったが、安全保障で齟齬をきたした局面は皆無だ(安保条約の改定は次元が異なる。この場合はその実際についてだ)。今年4月、オバマは露骨に首相(当時)を去(イ)なした。アメリカにとっては、普天間とは基地問題ではなく戦略マターなのだ。前首相は、憐れなほどこの認識に欠けていた。大きく外交を仕掛け米戦略を問おうとはせず、イシューを移転先に絞った。順序が逆だ。ガキの使いに等しい。
 バランス・オブ・パワー(軍事的なそれ)は、現にある。その積み木細工を作り替えようとすれば、慎重のうえにも慎重を期さねばならない。 ―― 言うまでもなく、筆者は現状を是とするものではない。変えるには大きな図と深謀遠慮を要するといっているのだ。 ―― たとえ悪しきバランスであろうとも、崩れれば件の風にもバタフライにもなり得る(イラクの泥沼が想起される)。その不安を肌で感じ取っていたのはアメリカだ。
 「首相に就任して学べば学ぶにつけ、沖縄の海兵隊などによって抑止力が保たれている現実を知った。(認識が)浅かったと言われれば、その通りかもしれない」この発言には失笑する。いな、憫笑すら誘われてしまう。「現実」とは「保たれている」現実ではなく、保たれなくなるかもしれない現実だ。学習機能が壊れた頭脳には、辞任直前になっても合点がいかなかったらしい。あれから4カ月、尖閣問題発生で、トリガーは自分ではなかったかと誰より肝を潰したのは彼であったもしれない。 …… ならばまだ救い道はあるのだが、次期引退を撤回するようではもはや付ける薬がない。
 普天間の膠着は『太平洋への出口』に隙(バランス・オブ・パワーの)を作った、もしくは隙を見せたといえる。揺さぶったのか、好機を逃さなかったのか。したたかに南の果てで鎧袖が擦過した。時を措かず、誘われたのか、奇貨居くべしと見たか、北の果てには珍客が蹌踉い出(イ)でた。

 普天間のバタフライが尖閣を時化に巻き、はては国後にトルネードを引き起こした。見事な「バタフライ効果」ともいえるし、奇天烈な「ドミノ理論」ともいえる。本邦流に言えば、風が吹けば桶屋が儲かる、か。「カオスな系では、初期条件のわずかな差が時間とともに拡大して、結果に大きな違いをもたらす。」なんにせよ、「カオスな系」ならではの現象である。 □