伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

聾唖内閣

2021年07月16日 | エッセー

 

「絹ごし豆腐より軟らかい地盤に構造物を設置するようなもので、あり得ない」
 辺野古の軟弱地盤を、ある識者はこう評した。政府はそこに土砂を投入し続ける。まるでパラノイアだ。
 土砂で珊瑚を踏み潰すように進めてきた埋め立てが、いよいよ軟弱地盤に行く手を阻まれた。もっともっと土砂が要る。昨年4月、沖縄防衛局は沖縄本島南部の糸満市と八重瀬町から県内土砂調達可能量の7割に当たる約3200万立方メートルを調達する設計変更申請を県に提出した。
 これが大問題なのだ。東京ドーム26杯分の土には沖縄戦戦没者の遺骨が含まれている。76年間、埋葬を待ち続けてきた同胞たちだ。靖国神社を英霊といっておきながら、こちらは単なる人骨だとでもいうのか。かつては本土防衛の捨て石にされ、今度は米軍基地の捨て石にされる。沖縄は2度に渡って陵辱されるのか。
 沖縄の地上戦では住民を含め県民の4分の1、12万人が亡くなった。だが、未だ2800柱は未発見のままだ。当然南部地域にも眠っている。そこを大型重機が無惨にも掘り返し、大型ダンプが否応なく持ち去っていく。想像するだに悍しい。旧稿を引きたい。


 イスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリはホモ・サピエンスは認知革命のおかげで、抽象思考、目に見えないものを認知する能力を獲得したという。併せてホモ属内での分岐の中で特徴的、いな唯一の出来事が起こる。それが墓だ。墓および葬送儀礼。これがサピエンスと他のホモ属とを別った。思想家内田 樹氏はこう語る。
 〈「死んでいる人間」を「生きている」ようにありありと感じた最初の生物が人間だ、ということである。「死んだ人間」がぼんやりと現前し、その声がかすかに聞こえ、その気配が漂い、生前に使用していた衣服や道具に魂魄がとどまっていると「感じる」ことのできるものだけが「葬礼」をする。死んだ瞬間にきれいさっぱり死者の「痕跡」が生活から消えてしまうのであれば、葬儀など誰がするであろうか。人間の人類学的定義とは「死者の声が聞こえる動物」ということなのである。そして、人間性にかかわるすべてはこの本性から派生している。〉(「街場の現代思想」から縮約)※19年3月「すべては墓から始まった」から


 寄り添うと言いつつも、本土の政権には靖国の声は聞こえても沖縄の声は専一的に聞こえていない。その聾者たる理路をぜひ語っていただきたい。「死者の声が聞こえる動物」という「人間の人類学的定義」を丸ごと放擲するほどの危機に人類が直面する事況をぜひ提示願いたい。
 寄り添うと言いつつも、沖縄の声をひとつとして米国に届けようとしない本土の政権。主権国家の平等を捨ててまで唖者の如く押し黙るその属国性について腑に落ちる理路の教示をぜひ要求したい。
 この2つができない限り、本土の政権は聾唖であることを免れない。
 さらにまた先月、菅総理と丸川担当相は五輪での感染拡大を純粋に科学的見地から懸念する天皇の声(世の専門家と同等の見解)を宮内庁長官の個人的発言だと強弁した。つまり、聞く耳を持たなかった。聾者を決め込んだ。これについても、個人的発言だったとする根拠を明示願いたい。加えて、天皇の発言を憲法違反だと無視することと天皇の発言を自分宛ではないと無視することとの逕庭はいかばかりかについて詳述を求めたい。併せて、天皇の意向に唖者の如く一切応答しなかったその合理的摂理を開示願いたい。
 今月14日宮内庁は、天皇は開会宣言のみを行い皇后は不参加、その他すべての競技にも皇室は出席しないと発表した。事由はともあれ、これが天皇のアンサーであり長官の忖度ではなかったことのなによりの証左である。
 刻下、五輪を目前にして聾唖内閣は断末魔の機能不全に陥っている。これを自業自得という。もはや救い難い。 □