長くて恐縮だが、10年前(99年10月)、あるミニコミに寄せた拙稿をそのまま引く。
〓〓 今すでに畏るべし
「後生畏るべし」という。だが、この場合「今すでに畏るべし」である。三歳にして世界中の国旗が識別できるなどというのは単なる芸の内でしかないだろうが、中三にしてこれだけのものが書けるのは天稟以外のなにものでもない。
今回は書評としたい。書評と言うより、感動の一書を紹介したい。
題名は「四人はなぜ死んだのか」。文芸春秋より今年七月に発刊された。著者は三好万季。都内の中学に通う愛くるしい女の子である。(今は都立高校一年生)原作は中三の夏休みに理科の宿題として書いたレポートだったというから、もはや脱帽。第六〇回文芸春秋読者賞を受賞した。(以下、『』部分は原文の引用)
『犯人は他にもいる』と昨年和歌山で起きた「毒入りカレー事件」を追う。一つ違いの女生徒の死に衝撃を受けたのが動機だった。
『カレーで食中毒?』……この素朴な疑問からインターネットを駆使した追求が始まる。彼女にとってインターネットはごく普通の日用品だ。事典や参考書を開きペンを握るのと同じレベルで、何のてらいも構えもなく使われている。「21世紀人」の姿がここにある。
食中毒の起こりやすいインドや東南アジアで生まれたカレーは食生活の知恵であり、殺菌、滅菌、防腐作用をもつスパイスが多く含まれている。『保健所が、毒物ではないかと疑う空気をあえて無視し、「食中毒」と断定したのは、決定的な過失である』と断罪する。これが、そもそもの「ボタンの掛け違い」だ、と言う。
現に、病院では毒物中毒への処置ではなく、食中毒の対処に追われた。『気休めにすぎない点滴や抗生物質が処方され、催吐や下痢ではなく、逆に鎮吐剤などが処方された。これは、医療による「さらなる加害」と言えないだろうか』。病状への対処がまったく逆さまだったのだ。
二つ目の「掛け違い」は捜査当局によってなされる。『捜査本部は、患者たちの症状に、青酸中毒に典型的な呼吸機能への打撃が見られず、青酸中毒では考えられない激しい下痢などの症状が共通に見られていたにもかかわらず、軽率にも谷中さん(自治会長、筆者注)の死因を「青酸中毒」と断定』した。この誤認が、砒素に対しては致命的な逆効果の処方へと医療機関を奔らせる。
『断定の根拠は、青酸予備反応検査で胃中の未消化物が陽性を示したことによるらしい。(中略)信頼性が薄いとされる便宜的方法で出た結果を、死因の断定の根拠にしたとするなら、明らかに本末転倒であろう』と切り込んでいく。
青酸を疑うなら、現場に残っていたカレーを十円玉にのせて試してみれば、たちまちに光沢が出る筈。『理科の時間に習った』レベルではないか、と手厳しい。『八日目の砒素の検出は、全くの偶然からである。毒物中毒の場合、何はさておき、青酸、砒素、黄燐の三点セットを最初に疑い、分析するのは定石であるという。青酸が出た(と思われた)ことでよしとし、砒素、黄燐等の分析を考えもしなかった』、と糾弾する。
さらに、『「食中毒」や「青酸中毒」を鵜呑みにしてしまった』医療機関の愚昧。『仮に毒物の知識や情報を欠いていたとしても、文献を調べたり、インターネットにアクセスしたり、JPIC(日本の中毒情報機関、筆者注)と密に情報交換をしていれば、少なくとも砒素中毒の可能性に到達するのは、十分に可能であった』にもかかわらず、「文献がない」と言い繕った医師の怠慢。渦中でねぶた見物をした和歌山市議会の脳天気な大失態。『サリン事件の教訓にもかかわらず、解毒剤の配備や緊急輸送など、救急救命体制はまるで整備されていない』行政の『戦慄すべき危機管理体制の実態』へと、批判の矢は向かう。
加えて、『社会の木鐸としての責任を果たしていない』マスコミを弾劾。『新聞社には科学部があり、理系卒のスタッフも多数いるはず』なのに、保健所や捜査当局のミスリードを指摘できなかった無能。『保険金詐欺の追求や、容疑者宅の包囲網に精力を傾けるうちに、事件の本質をえぐり、人々に真実を提供するという大切な報道姿勢が忘れ去られて』いた報道機関の有り様を指弾する。
最後に、『犯人の犯罪意図もさることながら、社会的医療体制の種々の不備や欠陥の中で、人の命に関わる各分野の専門家たちの複合過失によって拡大された社会的医療事故、すなわち「業務上過失致死傷」ではないかとの疑問』を呈して終わる。
以上が大づかみな内容である。インターネットを中心に収集された豊富な文献、知識、情報によって、隙間のない論理構成となっている。いわゆる大人社会の「権威」が中三にメッタ切りにされているのだ。その小気味のよさ。痛快さ。「今すでに畏るべし」である。
実はまだある。『大人たちの過ちをあげつらい、批判しているだけではないかという、内心忸怩たるものがなかったと言えば嘘になる。もっと建設的なこと、つまり直接に被害者たちの役に立つことをしたいという思い』を抱き続ける中、ある医療専門書から飛躍的な着想を得る。中国野菜の香菜(シャンツアイ)が砒素の排出に有効では、とのアイデアだ。さっそく関係筋に手を打ち、六十三名の中毒患者への義捐提供にこぎつける。効果はてきめん。なんと、六十名の体内砒素濃度が発ガンの危険が限りなく少ない正常値に戻ったのだ。
もうここまでくれば、半端ではない。畏れ入るばかりだ。ただただ平身低頭するしか術を知らない。
この「怪物君」。どんな育てられ方をしたのか。大いに興味あるところだが、答えは原作に譲るとしよう。
中三といえば21世紀の主役。「怪物」たちの時代が、もうそこまで来ている。〓〓
当時、「天才少女論客」の名を取った。その後、とんと消息を知らずに来た。医者志望だった彼女、いまごろは研修も終え第一線に立っているのかと、期待しつつ調べてみた。ところが時の人となった翌年、高校を辞めていた。理由は定かではないが、ブラックジャーナリズムの好餌にされた痕跡が窺える。
99年12月発行の雑誌「噂の眞相」に「『天才少女論客』三好万季の親父は詐欺師だった!」が載った。なにかと物議を醸し訴訟沙汰を繰り返した、あの曰く付きの雑誌である。04年に休刊となったが、実態は廃刊であろう。良書は悪書を駆逐する好例としたい。ショーぺンハウアーは「悪書は単に無益であるのみでなく、断然有害である」と警告した。実存主義の嚆矢となった彼の哲学者は言論の暴力と常に対峙した。売文の欺瞞と暴力性を断じて見過ごさなかった。
しかし、名うての売文屋にとって年端の行かない少女の出鼻を挫くことぐらい赤子の手をひねるに等しい。「噂の――」と父君の間で何度か攻防がなされたようだが、『書き逃げ』『書き得』そして『書かれ損』に終わったらしい。詳しい経緯は与り知らぬが、ショーぺンハウアーが弾劾した「断然有害」の暴力性、その毒牙にかかった可能性が高い。
なんとも口惜しい限りだ。事の「真相」は措いてでも、『怪物』をおもしろがり育てようなどという優しさや度量は、この社会から消えてなくなったのだろうか。「出る杭は打つ」どころか、「出る」前に打ち込んでしまおうというまことに貧しい国に成り下がってしまったのか。三文雑誌が『五人目』のスケープゴートを生んだことだけは確かだ。
あの人は今? ―― 砂を噛むがごとき不興を託つとともに、『怪物君』にエールを送りたい。一敗地に塗れようとも、断じて再起せよ! 応援は惜しまぬ! と。
もう一人の「あの人」
〓〓林被告、死刑確定へ 最高裁が上告棄却 カレー事件
和歌山市で98年7月、夏祭りのカレーに猛毒のヒ素が入れられ、4人が死亡して63人が急性ヒ素中毒になった事件などの上告審判決で、最高裁第三小法廷(那須弘平裁判長)は21日、殺人罪などに問われた林真須美被告(47)の上告を棄却した。林被告の死刑が確定する。
カレー事件について林被告は一貫して無罪を主張。犯人の動機が未解明で、林被告と犯行を直接結びつける証拠もないなかでの判断が注目されていたが、判決は「林被告がカレー事件の犯人であることは合理的な疑いを差し挟む余地のない程度に証明されている」と結論づけた。弁護側は再審請求を申し立てる方針。
第三小法廷は(1)カレーに混入されたものと同じ特徴のヒ素が林被告の自宅から発見された(2)林被告の頭髪からも高濃度のヒ素が検出され、取り扱っていたことが認められる(3)夏祭り当日、林被告だけにカレー鍋にヒ素を混入する機会があり、林被告が鍋のふたを開けるなど、不審な挙動が目撃されている――といった点を被告が犯人だと判断した理由として挙げた。
弁護側が上告審で展開した「林被告は保険金詐欺は繰り返していたが、カレー事件のような無差別殺人を起こす動機がない」という主張については、「犯行動機が解明されていないことは林被告が犯人だという認定を左右しない」と退けた。〓〓 (asahi.com 09年4月22日)
この判決には問題が多い。かつ、根が深い。
自白がなく、直接証拠がなく、状況証拠だけであること。1700点とはいえ、状況証拠だけで立件が完結される不可解と危険性。
遂に明らかにならなかった動機は有罪の認定に左右しないという拙速な判断。
「被告が事件の犯人であることは合理的な疑いを差し挟む余地のない程度に証明されている」という木で鼻を括った結論。
―― ならば、「疑わしきは被告人の有利に」の原則はどうなったのか。「たとえ千人の真犯人を逃すとも、一人の冤罪者を生むなかれ」の鉄則はどこへいったのか。市(イチ)に虎あり。まさかこの事件、『法に名を借りた集団リンチ』にならぬことを希(コイネガ)うばかりだ。
この上告審判決の1週前、同じ最高裁第三小法廷は痴漢事件で逆転無罪の判決を出した。初動捜査や証拠収集に疑問を投げかけ、検察の立証に合理的疑義がある場合は無罪に処すとの原則を適用した。わずか7日間でこうも違うものか。こうなると、何度も異を唱えてきた「裁判員制度」もますます心配になってきた。
さらにカレー裁判と同じ日、次の報道が流れた。(asahi.com)
〓〓再鑑定「DNA型不一致」 足利女児殺害、再審の公算大
栃木県足利市で90年、当時4歳の女児が殺害された事件をめぐり、無期懲役判決が確定した菅家利和受刑者(62)の再審請求の即時抗告審で、東京高裁が依頼した鑑定の結果、女児の着衣に付いていた体液と、菅家受刑者から採取した血液などのDNA型が一致しない可能性が高いことが関係者の話でわかった。
この事件では、犯罪捜査に活用されるようになって間もないDNA型鑑定が逮捕の決め手となり、一審・宇都宮地裁から最高裁まで、その鑑定の証拠能力が認められていた。「不一致」が正式な結論となれば、確定判決の有力な根拠を覆す形となり、再審開始の可能性が高まりそうだ。
警察によるDNA型鑑定は警察庁科学警察研究所(科警研)が89年に始め、3年後に全国の警察で導入。当初は「16~94人に1人」を識別できる程度の精度しかなく、捜査でも補助的な役割だった。現在は「4兆7千億人に1人」の確率で識別できる。〓〓
物証とて当てにならぬという一例だ。事々然様(サヨウ)に「藪の中」である。藪をつついて蛇を出す愚は避けねばならない。なにせ人生と人命が懸かっている。
カレー裁判の再審はおそらく叶わぬであろう。「あの人」の「今」は、まもなく失せていくのか。 □
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〓〓 今すでに畏るべし
「後生畏るべし」という。だが、この場合「今すでに畏るべし」である。三歳にして世界中の国旗が識別できるなどというのは単なる芸の内でしかないだろうが、中三にしてこれだけのものが書けるのは天稟以外のなにものでもない。
今回は書評としたい。書評と言うより、感動の一書を紹介したい。
題名は「四人はなぜ死んだのか」。文芸春秋より今年七月に発刊された。著者は三好万季。都内の中学に通う愛くるしい女の子である。(今は都立高校一年生)原作は中三の夏休みに理科の宿題として書いたレポートだったというから、もはや脱帽。第六〇回文芸春秋読者賞を受賞した。(以下、『』部分は原文の引用)
『犯人は他にもいる』と昨年和歌山で起きた「毒入りカレー事件」を追う。一つ違いの女生徒の死に衝撃を受けたのが動機だった。
『カレーで食中毒?』……この素朴な疑問からインターネットを駆使した追求が始まる。彼女にとってインターネットはごく普通の日用品だ。事典や参考書を開きペンを握るのと同じレベルで、何のてらいも構えもなく使われている。「21世紀人」の姿がここにある。
食中毒の起こりやすいインドや東南アジアで生まれたカレーは食生活の知恵であり、殺菌、滅菌、防腐作用をもつスパイスが多く含まれている。『保健所が、毒物ではないかと疑う空気をあえて無視し、「食中毒」と断定したのは、決定的な過失である』と断罪する。これが、そもそもの「ボタンの掛け違い」だ、と言う。
現に、病院では毒物中毒への処置ではなく、食中毒の対処に追われた。『気休めにすぎない点滴や抗生物質が処方され、催吐や下痢ではなく、逆に鎮吐剤などが処方された。これは、医療による「さらなる加害」と言えないだろうか』。病状への対処がまったく逆さまだったのだ。
二つ目の「掛け違い」は捜査当局によってなされる。『捜査本部は、患者たちの症状に、青酸中毒に典型的な呼吸機能への打撃が見られず、青酸中毒では考えられない激しい下痢などの症状が共通に見られていたにもかかわらず、軽率にも谷中さん(自治会長、筆者注)の死因を「青酸中毒」と断定』した。この誤認が、砒素に対しては致命的な逆効果の処方へと医療機関を奔らせる。
『断定の根拠は、青酸予備反応検査で胃中の未消化物が陽性を示したことによるらしい。(中略)信頼性が薄いとされる便宜的方法で出た結果を、死因の断定の根拠にしたとするなら、明らかに本末転倒であろう』と切り込んでいく。
青酸を疑うなら、現場に残っていたカレーを十円玉にのせて試してみれば、たちまちに光沢が出る筈。『理科の時間に習った』レベルではないか、と手厳しい。『八日目の砒素の検出は、全くの偶然からである。毒物中毒の場合、何はさておき、青酸、砒素、黄燐の三点セットを最初に疑い、分析するのは定石であるという。青酸が出た(と思われた)ことでよしとし、砒素、黄燐等の分析を考えもしなかった』、と糾弾する。
さらに、『「食中毒」や「青酸中毒」を鵜呑みにしてしまった』医療機関の愚昧。『仮に毒物の知識や情報を欠いていたとしても、文献を調べたり、インターネットにアクセスしたり、JPIC(日本の中毒情報機関、筆者注)と密に情報交換をしていれば、少なくとも砒素中毒の可能性に到達するのは、十分に可能であった』にもかかわらず、「文献がない」と言い繕った医師の怠慢。渦中でねぶた見物をした和歌山市議会の脳天気な大失態。『サリン事件の教訓にもかかわらず、解毒剤の配備や緊急輸送など、救急救命体制はまるで整備されていない』行政の『戦慄すべき危機管理体制の実態』へと、批判の矢は向かう。
加えて、『社会の木鐸としての責任を果たしていない』マスコミを弾劾。『新聞社には科学部があり、理系卒のスタッフも多数いるはず』なのに、保健所や捜査当局のミスリードを指摘できなかった無能。『保険金詐欺の追求や、容疑者宅の包囲網に精力を傾けるうちに、事件の本質をえぐり、人々に真実を提供するという大切な報道姿勢が忘れ去られて』いた報道機関の有り様を指弾する。
最後に、『犯人の犯罪意図もさることながら、社会的医療体制の種々の不備や欠陥の中で、人の命に関わる各分野の専門家たちの複合過失によって拡大された社会的医療事故、すなわち「業務上過失致死傷」ではないかとの疑問』を呈して終わる。
以上が大づかみな内容である。インターネットを中心に収集された豊富な文献、知識、情報によって、隙間のない論理構成となっている。いわゆる大人社会の「権威」が中三にメッタ切りにされているのだ。その小気味のよさ。痛快さ。「今すでに畏るべし」である。
実はまだある。『大人たちの過ちをあげつらい、批判しているだけではないかという、内心忸怩たるものがなかったと言えば嘘になる。もっと建設的なこと、つまり直接に被害者たちの役に立つことをしたいという思い』を抱き続ける中、ある医療専門書から飛躍的な着想を得る。中国野菜の香菜(シャンツアイ)が砒素の排出に有効では、とのアイデアだ。さっそく関係筋に手を打ち、六十三名の中毒患者への義捐提供にこぎつける。効果はてきめん。なんと、六十名の体内砒素濃度が発ガンの危険が限りなく少ない正常値に戻ったのだ。
もうここまでくれば、半端ではない。畏れ入るばかりだ。ただただ平身低頭するしか術を知らない。
この「怪物君」。どんな育てられ方をしたのか。大いに興味あるところだが、答えは原作に譲るとしよう。
中三といえば21世紀の主役。「怪物」たちの時代が、もうそこまで来ている。〓〓
当時、「天才少女論客」の名を取った。その後、とんと消息を知らずに来た。医者志望だった彼女、いまごろは研修も終え第一線に立っているのかと、期待しつつ調べてみた。ところが時の人となった翌年、高校を辞めていた。理由は定かではないが、ブラックジャーナリズムの好餌にされた痕跡が窺える。
99年12月発行の雑誌「噂の眞相」に「『天才少女論客』三好万季の親父は詐欺師だった!」が載った。なにかと物議を醸し訴訟沙汰を繰り返した、あの曰く付きの雑誌である。04年に休刊となったが、実態は廃刊であろう。良書は悪書を駆逐する好例としたい。ショーぺンハウアーは「悪書は単に無益であるのみでなく、断然有害である」と警告した。実存主義の嚆矢となった彼の哲学者は言論の暴力と常に対峙した。売文の欺瞞と暴力性を断じて見過ごさなかった。
しかし、名うての売文屋にとって年端の行かない少女の出鼻を挫くことぐらい赤子の手をひねるに等しい。「噂の――」と父君の間で何度か攻防がなされたようだが、『書き逃げ』『書き得』そして『書かれ損』に終わったらしい。詳しい経緯は与り知らぬが、ショーぺンハウアーが弾劾した「断然有害」の暴力性、その毒牙にかかった可能性が高い。
なんとも口惜しい限りだ。事の「真相」は措いてでも、『怪物』をおもしろがり育てようなどという優しさや度量は、この社会から消えてなくなったのだろうか。「出る杭は打つ」どころか、「出る」前に打ち込んでしまおうというまことに貧しい国に成り下がってしまったのか。三文雑誌が『五人目』のスケープゴートを生んだことだけは確かだ。
あの人は今? ―― 砂を噛むがごとき不興を託つとともに、『怪物君』にエールを送りたい。一敗地に塗れようとも、断じて再起せよ! 応援は惜しまぬ! と。
もう一人の「あの人」
〓〓林被告、死刑確定へ 最高裁が上告棄却 カレー事件
和歌山市で98年7月、夏祭りのカレーに猛毒のヒ素が入れられ、4人が死亡して63人が急性ヒ素中毒になった事件などの上告審判決で、最高裁第三小法廷(那須弘平裁判長)は21日、殺人罪などに問われた林真須美被告(47)の上告を棄却した。林被告の死刑が確定する。
カレー事件について林被告は一貫して無罪を主張。犯人の動機が未解明で、林被告と犯行を直接結びつける証拠もないなかでの判断が注目されていたが、判決は「林被告がカレー事件の犯人であることは合理的な疑いを差し挟む余地のない程度に証明されている」と結論づけた。弁護側は再審請求を申し立てる方針。
第三小法廷は(1)カレーに混入されたものと同じ特徴のヒ素が林被告の自宅から発見された(2)林被告の頭髪からも高濃度のヒ素が検出され、取り扱っていたことが認められる(3)夏祭り当日、林被告だけにカレー鍋にヒ素を混入する機会があり、林被告が鍋のふたを開けるなど、不審な挙動が目撃されている――といった点を被告が犯人だと判断した理由として挙げた。
弁護側が上告審で展開した「林被告は保険金詐欺は繰り返していたが、カレー事件のような無差別殺人を起こす動機がない」という主張については、「犯行動機が解明されていないことは林被告が犯人だという認定を左右しない」と退けた。〓〓 (asahi.com 09年4月22日)
この判決には問題が多い。かつ、根が深い。
自白がなく、直接証拠がなく、状況証拠だけであること。1700点とはいえ、状況証拠だけで立件が完結される不可解と危険性。
遂に明らかにならなかった動機は有罪の認定に左右しないという拙速な判断。
「被告が事件の犯人であることは合理的な疑いを差し挟む余地のない程度に証明されている」という木で鼻を括った結論。
―― ならば、「疑わしきは被告人の有利に」の原則はどうなったのか。「たとえ千人の真犯人を逃すとも、一人の冤罪者を生むなかれ」の鉄則はどこへいったのか。市(イチ)に虎あり。まさかこの事件、『法に名を借りた集団リンチ』にならぬことを希(コイネガ)うばかりだ。
この上告審判決の1週前、同じ最高裁第三小法廷は痴漢事件で逆転無罪の判決を出した。初動捜査や証拠収集に疑問を投げかけ、検察の立証に合理的疑義がある場合は無罪に処すとの原則を適用した。わずか7日間でこうも違うものか。こうなると、何度も異を唱えてきた「裁判員制度」もますます心配になってきた。
さらにカレー裁判と同じ日、次の報道が流れた。(asahi.com)
〓〓再鑑定「DNA型不一致」 足利女児殺害、再審の公算大
栃木県足利市で90年、当時4歳の女児が殺害された事件をめぐり、無期懲役判決が確定した菅家利和受刑者(62)の再審請求の即時抗告審で、東京高裁が依頼した鑑定の結果、女児の着衣に付いていた体液と、菅家受刑者から採取した血液などのDNA型が一致しない可能性が高いことが関係者の話でわかった。
この事件では、犯罪捜査に活用されるようになって間もないDNA型鑑定が逮捕の決め手となり、一審・宇都宮地裁から最高裁まで、その鑑定の証拠能力が認められていた。「不一致」が正式な結論となれば、確定判決の有力な根拠を覆す形となり、再審開始の可能性が高まりそうだ。
警察によるDNA型鑑定は警察庁科学警察研究所(科警研)が89年に始め、3年後に全国の警察で導入。当初は「16~94人に1人」を識別できる程度の精度しかなく、捜査でも補助的な役割だった。現在は「4兆7千億人に1人」の確率で識別できる。〓〓
物証とて当てにならぬという一例だ。事々然様(サヨウ)に「藪の中」である。藪をつついて蛇を出す愚は避けねばならない。なにせ人生と人命が懸かっている。
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