伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

ノートルダム大火災

2019年04月19日 | エッセー

 火焔は免れたものの、一部が壊れ瓦礫や埃を被ったらしい。修復に2年は掛かるという専門家もいる。15世紀から数世紀に亘って廓大され、今ではパイプが8千本近い。ノートルダム大聖堂が誇る巨大パイプオルガンである。
 本来キリスト教は偶像崇拝を禁じている。それでも信徒は神を感じたい。ならばお姿を目で見る代わりに、お声なりと耳で聴こう。そこで聖歌が生まれた。さらに世界中のネットワークで、どの教会でも同じ歌を歌えるようにと五線譜の楽譜が創案された。西洋音楽の淵源には「神のお声」があったのである。
 パイプオルガンは9世紀あたりからカトリック教会で使われ始め、13世紀には「教会の楽器」として定着した。「パイプオルガンは、その音色が教会の祭式にすばらしい輝きを添え、心を神と天上のものへ高く掲げる伝統的楽器として大いに尊重されなければならない」と、バチカンの公式文書にある。プロテスタントではルター派が音楽を重要視し、マルティン・ルター自身が多くの賛美歌を作詞作曲した。約200年後、ルター派から「音楽の父」バッハが生まれた。比するに、カルヴァン派は歌舞音曲の類いには否定的だった。プロテスタンティズムに厳格で勤勉、倹約を説いたカルヴァンが無伴奏での詩篇歌斉唱を採ったためである。始祖によって文化にもバイアスがかかる。とまれノートルダム大聖堂は失った「声」を取り戻すため、格闘を始めることになる。
 世界遺産ノートルダム大聖堂は11世紀中葉に着工され13世紀中葉に竣工した。約200年を費やした代表的ゴシック建造物である。ゴシック宗教建築には、天に聳える尖塔、多量の外光を取り入れる大きな窓、外壁から飛び出たアーチ型梁を特徴とする。今でいえば、これ見よがしなド派手な建物である。均整のとれた古典文化を旨とするイタリア知識人には歪で不揃いに見えたに相違ない。評するに、野蛮人の意味を持つ「ゴート人の」という蔑称を使った。ゴシックとはその転訛である。
 吉本隆明は、ヨーロッパ人は堅固な建築物を造って思想を哲学として表現し、日本人は思想を能や茶道の芸道として表現した、と語ったことがある。高々と聳えるノートルダム大聖堂の偉容はヨーロッパの常道であろう。養老孟司氏は西洋の街には中心に教会と劇場の二つの大建造物があるとし、建物の立派さが中で生じている非現実の世界を保証している、と言ったことがある。なんとも辛辣だ。ともあれ人類の足跡を刻む世界の遺産であることに変わりはない。フランスは威信をかけて復元に挑むだろう。
 「ノートルダム」とはフランス語で「我らの貴婦人」という謂だ。貴婦人とは聖母マリアであり、聖母マリアに捧げられた大聖堂との意義である。聖母といえども跪く。なぜか。先代のローマ教皇ベネディクト十六世はキリスト者にこう呼びかけた。
 「信じることを学ぶ者は、ひざまづくことも学ぶ。そして、ひざまづくことをもはやしなくなった信仰や典礼は、その中核が病んでいることになる。それは私たちの祈りにおいて、私たちが、使徒たちや殉教者たちと繋がるため、全宇宙(コスモス)とイエズス・キリストご自身との一致において繋がるためである。」
 さて、今上天皇になって大きく変わったことがある。被災者や障害者などの慰藉に際して、天皇皇后は跪く。初めは皇后だけであったが、その内お二人とも膝を付くようになった。昭和まではなかった振る舞いだ。「平成流」と呼ばれる。皇后が始めた。聖心女子大を出、キリスト者を両親にもつ皇后ならではだろう。直截的なシンクレティズムというよりは「象徴」としての立ち居に対するひとつの明確な、そして鮮やかな解答ではないか。そこにキリスト教的素養が与ったとみていい。令和に継承されるはずだ。
「パリは燃えているか」
 降伏時に焦土作戦を厳命していたヒトラーはパリ前線にそう詰問した。かつて建築を志望した彼の脳裡にはあの大聖堂も浮かんでいたにちがいない。パリ軍事総督であったコルティッツ将軍は命令に従わず連合軍に無条件降伏し、パリを救った。この大火にはテロルの疑いはないという。胸をなで下ろすところだが、異常時をかいくぐっても危機は日常にもある。破壊は刹那に襲ってくる。万般の教訓となろう。 □