閣下、
過去4か月の間に、フランスのジョリオ、またアメリカのフェルミとシラードの研究によって、大量のウランによる核連鎖反応が有望なものとなってきました。
この新たな現象は爆弾、それも、あまり確かとは言えないのですが、考えられることとしては極めて強力な新型の爆弾の製造につながるかもしれません。船で運ばれ港で爆発すれば、この種の爆弾ひとつで、港全体ならびにその周囲の領域を優に破壊するでしょう。
私の知るところでは、実際ドイツは、ドイツが接収したチェコスロバキアの鉱山からのウランの販売を停止しています。こうした、いち早い行動をドイツが取ったことは、おそらくはドイツ政府の外務次官フォン・ヴァイツゼッカーの子息が、現在ウランに関するアメリカの研究のいくつかを追試しようとしているベルリンのカイザー・ヴィルヘルム研究所に所属していることを根拠として理解できるでしょう。
「アインシュタインからルーズベルト大統領への手紙」である(500字ほどを要録した)。日付は1939年(昭和14年)8月2日。第2次世界大戦開戦の1ヶ月前である。ナチの政権掌握が1932年、翌年すでにアインシュタインはアメリカに亡命していた。
この手紙は、ナチが原爆の開発に着手しているからアメリカは後れを取ってはならない、との提言である。3年後、マンハッタン計画として実現しヒロシマ・ナガサキへと連なる。アメリカにおける「必要悪」論に科学的エビデンスを供するものとなった。
「ナチが核に手を染めた。アメリカよ、先を越せ!」
である。あまり知られていないことだが、実はアインシュタインは独り合点をしていた。ナチは核開発をしていなかったのだ。ヒトラーはアーリア人優越の人種的盲信を掲げ、ユダヤ人を徹して憎んだ。ユダヤ人の手になる書物を焚書に処し、ユダヤ人による学問的業績を根絶やしにした。果てはジェノサイド、ホロコーストとユダヤ人そのもの民族的絶滅を図った。そのヒトラーにユダヤ人科学者の存在など全く眼中になかった。一顧だにしなかった。ましてやユダヤ人が主導した核開発には何の興味も示さなかったのである。ヒトラーの関心は核にではなくミサイルに向いていた。大量の人員を投入し失敗を繰り返した末、1942年V2ロケットが完成する。中心者はのちアポロ計画を率いたヴェルナー・フォン・ブラウンであった。
アインシュタインに悪意はなかったにちがいない。ナチス憎しの先入主に眼が曇ったのだろう。後年、彼は大いに悔やむことになった。天才の手から水が漏れたというべきか。
常識のピットホールである。脳はもともと物臭で知的負荷を厭う。ために、ついピットホールに引っ掛かる。だが、たまにツッコミを入れると意想外な展開を見せる。知的“ノリツッコミ”も案外捨てたものではない。 □