伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

天動説の意外

2012年06月29日 | エッセー

 コペルニクスの地動説が発表された時、ルターやカルヴァンなどのプロテスタントは一笑に付した。片やローマカトリック教会は表向き否定はしたものの、裏では密かに研究し始める。教会の権威をかけた新暦(グレゴリオ暦)の計算に必要だったからだ。ケプラーの蔵書を、焚書しようとしたプロテスタントの手から守ったのもローマカトリック教会の人たちであった。実はコペルニクス、ガリレオ、ケプラーなど当時の知識人はローマ教会の関係者であり、その頃の大学はローマ教会が運営していた。また天動説も決して漠たる理論ではなく、3000年以上の観測実績から緻密に構築されていた。だから非常に高い精度で天体の動きを計算していた。と、意外な話を数学者の柳谷 晃氏が書いている(青春新書「一週間はなぜ7日になったのか」今月刊)。
 まずはプロテスタントの対応が意外だ。ルター、カルヴァンとくれば、宗教改革。彼らは革新的との固いイメージがある。だがよく考えると、聖典に依拠すればこそローマ教会にプロテストしたわけで、ファンダメンタリストであるのは当然といえる。神の教えにあらざる学説に一顧だにくれるはずはない。筆者の意外は、先入主によるピットフォールの一例といえる。
 さて地動説を消費税に、プロテスタントをO沢グループに、ローマ教会をM主党に、グレゴリオ暦を社会保障に準えると、永田町のドタバタとそっくりに見えてくる。穿ったところでは、ローマ教会をJ民党に見立てる手もある。その場合は、コペルニクスがM主党か。マニフェスト違反はまさにコペルニクス的転回だ。海千山千のJ民党がこの敵失を逃すはずはない。汚れ仕事はM主党にさせておいて、実だけは採る。さすが腹黒い。いや、玄人芸というべきか。
 筆者、根が世故いゆえついつい話が生臭くなる。
 閑話休題。
 天動説といえば幼稚な迷信ぐらいにしか捉えていなかったが、人類史のほとんどはこの説で賄ってきたともいえる。いまだに「日の出」なわけで、「地の出」とは言わない。生活実感には馴染みが深い。天動説にはざっと3000年の歴史がある。AD140年にプトレマイオスが「アルマゲスト」として集大成した後も、営々と改良が加えられてきた。比するに、コペルニクスからはたったの500年少々だ。健気にも古人は天動という不抜の前提の上に、この上なく精緻な計算を積み重ねてきた。天動説も豊富な測量データと複雑な計算で埋め尽くされ、磨き抜かれていた。これも意外だ。
 柳谷氏によれば、天動説であっても太陽の運動の記述は数学的には可能だという。地球から見てどうかが問題なのだから、むしろ便利だともいう。ところが火星や水星、ほかの星々になると事情がちがう。円軌道を辿らないのだ。神の造り給うたものに完全なる円運動以外の動きはありえない。プトレマイオスは複雑極まりない計算で、天動説に円軌道モデルを押し込んだ。しかし地動説で、かつ神学者であったコペルニクスはこれには相当悩んだらしい。地動説上で円運動をごり押ししたために、惑星の位置計算が不正確になった。はたして天動説の方が優等だった。柳谷氏は「精度の悪い真実」と、含蓄ある言い方をしている。科学史を塗り替えた『転回』も、鮮やかなデビューではなかったのだ。生前、彼は自説を直隠しに隠した。傷つき、蹌踉う新学説。なんともいい景色だ。後にケプラーの天才が楕円モデルでこれを解明するのだが、彼自身実は占星術師だったというからさらにおもしろい。

 「それでも地球は回っている」というガリレオの捨て台詞が余りに強烈だったために、天動説を古い上着のようにかなぐり捨ててはこなかったか。もう流行らないデザインであっても、存外仕立てはしっかりしているのが古着だ。あちこちの染みも、よく見れば味がある。頑固な皺にも着癖にも、埃っぽい懐かしい香りにも先人たちの歩みが凝っている。たまに取り出して、眺めてみるのも一興だ。 □