春は桜だ。
全山を覆う桜がまばゆく輝き、地上の竜宮へと人を誘(イザナ)う。遠近(オチコチ)に滴り落ちた山桜の紅(ベニ)が艶(ツヤ)めき、匂い立つ。桜は春の似姿であろうか。
桜は雄弁だ。
三寒四温に揺らいで芽吹き、蕾み、咲きはじめ、咲き誇り、咲ききりつつ舞い散る。人は己の来し方、行く末をそれに重ねる。さらに、無骨な枝に艶(アデ)やかな花が咲き出(イヅ)る不釣り合いに人世のなにものかを仮託する。旬日にも満たない開花期の備えは遥か二百数十日を遡る。夏の真中だ。そして凍える冬をくぐらねば、時めく色香は約束されない。それもまた桜が訓える現人(ウツセミ)の処し方だ。そうして桜はいつもなにかを語る。
能「當麻」を観た小林秀雄は綴った。
美しい「花」がある。「花」の美しさといふ様なものはない。肉体の動きに則つて観念の動きを修正するがいい。前者の動きは後者の動きより遙かに微妙で深淵だから。(「無常といふこと」 當麻)
―― 肉体の動きという具体に即して美はある。美を抽象することは空に絵を描くに等しい、と氏は訓(オシエ)えてくれたのだ。点睛の一句である。 ―― と、かつてわたしは記した。(07年10月2日付本ブログ「控えのカナ」)
抽象は人間の属性だが、墓穴ともなる。ひとつの概念で括って、世界を掴んだ気になる。十人は十色なのに、ひと色に染めなしてしまう。プロクルステスの寝台はいつも手招きをしている。「イデオロギー」というドグマの怖さだ。振り返れば、司馬遼太郎はかたくなにこれを拒んだ。
究極の悪しき抽象は、「敵」をつくることだ。戦の大義はすべての具体を捨象する。生身の人間では戦にならぬからだ。「殺人」との分水嶺はここにある。
人は憎悪や欲得の果てに殺人を犯す。それは生身の、極めて具体に属する所業だ。しかし戦争の「敵」には具象は削ぎ落とされている。十人十色ではないのだ。男女の別さえもない。抽象された「敵」でしかない。人間からもっとも遠い存在である。否、人間であることを止めている。戦争の蛮行はここに起こる。
だから、戦争を防ぐには生身の人間に還ることだ。十人十色の具象に戻ることだ。国同士よりも、人と人が膝突き合わすことだ。抽象の海の中で具体をつねに手挟んでいることだ。「花」の美しさに足を搦め捕られずに、美しい「花」に直に触れることだ。
散り際をこれほど悪用された花はほかにない。風に誘(イザナ)われて一片(ヒトヒラ)、ひとひらが宙を舞う。絢爛であるがゆえに、なお過剰な意味を負わされてきた。
松之大廊下で刃傷沙汰が起こったのは今の暦で春四月であった。即日、将軍綱吉が乗り出し喧嘩両成敗を無視して、浅野内匠頭に切腹の下知があった。桜花の候である。散る桜とともに内匠頭も、散った。急ぎ辞世を認めて。
小林秀雄は綴った。
彼は、たしかに或る異様な心理状態に在つたが、ただ在つたのではない。同時に、否でもこれを承知してゐた。
彼は、彼なりに、その心事を処理した。歌人となつた彼は庭前の櫻を眺めたのかも知れぬ。だが、もう暇もなかつた ――
「風さそふ、花よりもなほ我はまた、春の名残を如何にとかせん」
「風さそふ」は常套語だが、「花よりもなほ我はまた」というやうな拙劣な言ひ廻しが、如何にもあはれである。さう誰もが感ずるこの「我」は、もはや、赤穂藩主でもなければ、その末路でもあるまい。ひたすら「春の名残」を思ふ一つの意識であらう。歴史から離脱して、「春の名残」と化さんと努めてゐる一つの命の姿であらう。(「考へるヒント」 忠臣蔵Ⅰ)
小林は通念の呪縛を解こうとしている。つづけて、
通念の力は強いものだ。人間を、そのまとつた歴史的衣裳から、どうあつても説明しようとする考へが、私達は、日常、全く逆な智慧で生活してゐる事を忘れさせる。(略)過去をふり返れば、こちらを向いて歩いて来る過去の人々に出会ふのが、歴史の真相である。後向きなどになつてはゐない。(略)歴史家の客観主義は、歴史を振り向くとともに、歴史上の人々にも歴史を振向かす。それは、歴史の到るところで、自分と同じやうに考へてゐる歴史家だけにめぐり会はうと計る事である。
と語った。「歴史的衣裳」を脱ぎ捨てた慧眼は、―― 「春の名残」と化さんと努めてゐる一つの命の姿 ―― をしっかと見据えていた。
わたしたちは落花にただ無念や愛惜、ある種の諦念や悲愴を観ているだけでいいのであろうか。通念が想像の翼を縛(イマシ)めてはないか。もっと高みへ、さらに彼方へ翔んでもいいのではないか。つまり、咲き終えた充足の舞、飛天へと化身する輪廻の歓び。咲いてるだけが花ではない。散りゆく花にも華がある。そう観て、なんの不都合があろう。こちらが、余程に明るい。
そういえば、小林は無類の桜好きだったそうだ。この時季、花を求めて各地を巡った。寸毫も及ばぬまでも、ことしは散る桜をしかと見届けたい。 □
☆☆ 投票は<BOOK MARK>からお入りください ☆☆
全山を覆う桜がまばゆく輝き、地上の竜宮へと人を誘(イザナ)う。遠近(オチコチ)に滴り落ちた山桜の紅(ベニ)が艶(ツヤ)めき、匂い立つ。桜は春の似姿であろうか。
桜は雄弁だ。
三寒四温に揺らいで芽吹き、蕾み、咲きはじめ、咲き誇り、咲ききりつつ舞い散る。人は己の来し方、行く末をそれに重ねる。さらに、無骨な枝に艶(アデ)やかな花が咲き出(イヅ)る不釣り合いに人世のなにものかを仮託する。旬日にも満たない開花期の備えは遥か二百数十日を遡る。夏の真中だ。そして凍える冬をくぐらねば、時めく色香は約束されない。それもまた桜が訓える現人(ウツセミ)の処し方だ。そうして桜はいつもなにかを語る。
能「當麻」を観た小林秀雄は綴った。
美しい「花」がある。「花」の美しさといふ様なものはない。肉体の動きに則つて観念の動きを修正するがいい。前者の動きは後者の動きより遙かに微妙で深淵だから。(「無常といふこと」 當麻)
―― 肉体の動きという具体に即して美はある。美を抽象することは空に絵を描くに等しい、と氏は訓(オシエ)えてくれたのだ。点睛の一句である。 ―― と、かつてわたしは記した。(07年10月2日付本ブログ「控えのカナ」)
抽象は人間の属性だが、墓穴ともなる。ひとつの概念で括って、世界を掴んだ気になる。十人は十色なのに、ひと色に染めなしてしまう。プロクルステスの寝台はいつも手招きをしている。「イデオロギー」というドグマの怖さだ。振り返れば、司馬遼太郎はかたくなにこれを拒んだ。
究極の悪しき抽象は、「敵」をつくることだ。戦の大義はすべての具体を捨象する。生身の人間では戦にならぬからだ。「殺人」との分水嶺はここにある。
人は憎悪や欲得の果てに殺人を犯す。それは生身の、極めて具体に属する所業だ。しかし戦争の「敵」には具象は削ぎ落とされている。十人十色ではないのだ。男女の別さえもない。抽象された「敵」でしかない。人間からもっとも遠い存在である。否、人間であることを止めている。戦争の蛮行はここに起こる。
だから、戦争を防ぐには生身の人間に還ることだ。十人十色の具象に戻ることだ。国同士よりも、人と人が膝突き合わすことだ。抽象の海の中で具体をつねに手挟んでいることだ。「花」の美しさに足を搦め捕られずに、美しい「花」に直に触れることだ。
散り際をこれほど悪用された花はほかにない。風に誘(イザナ)われて一片(ヒトヒラ)、ひとひらが宙を舞う。絢爛であるがゆえに、なお過剰な意味を負わされてきた。
松之大廊下で刃傷沙汰が起こったのは今の暦で春四月であった。即日、将軍綱吉が乗り出し喧嘩両成敗を無視して、浅野内匠頭に切腹の下知があった。桜花の候である。散る桜とともに内匠頭も、散った。急ぎ辞世を認めて。
小林秀雄は綴った。
彼は、たしかに或る異様な心理状態に在つたが、ただ在つたのではない。同時に、否でもこれを承知してゐた。
彼は、彼なりに、その心事を処理した。歌人となつた彼は庭前の櫻を眺めたのかも知れぬ。だが、もう暇もなかつた ――
「風さそふ、花よりもなほ我はまた、春の名残を如何にとかせん」
「風さそふ」は常套語だが、「花よりもなほ我はまた」というやうな拙劣な言ひ廻しが、如何にもあはれである。さう誰もが感ずるこの「我」は、もはや、赤穂藩主でもなければ、その末路でもあるまい。ひたすら「春の名残」を思ふ一つの意識であらう。歴史から離脱して、「春の名残」と化さんと努めてゐる一つの命の姿であらう。(「考へるヒント」 忠臣蔵Ⅰ)
小林は通念の呪縛を解こうとしている。つづけて、
通念の力は強いものだ。人間を、そのまとつた歴史的衣裳から、どうあつても説明しようとする考へが、私達は、日常、全く逆な智慧で生活してゐる事を忘れさせる。(略)過去をふり返れば、こちらを向いて歩いて来る過去の人々に出会ふのが、歴史の真相である。後向きなどになつてはゐない。(略)歴史家の客観主義は、歴史を振り向くとともに、歴史上の人々にも歴史を振向かす。それは、歴史の到るところで、自分と同じやうに考へてゐる歴史家だけにめぐり会はうと計る事である。
と語った。「歴史的衣裳」を脱ぎ捨てた慧眼は、―― 「春の名残」と化さんと努めてゐる一つの命の姿 ―― をしっかと見据えていた。
わたしたちは落花にただ無念や愛惜、ある種の諦念や悲愴を観ているだけでいいのであろうか。通念が想像の翼を縛(イマシ)めてはないか。もっと高みへ、さらに彼方へ翔んでもいいのではないか。つまり、咲き終えた充足の舞、飛天へと化身する輪廻の歓び。咲いてるだけが花ではない。散りゆく花にも華がある。そう観て、なんの不都合があろう。こちらが、余程に明るい。
そういえば、小林は無類の桜好きだったそうだ。この時季、花を求めて各地を巡った。寸毫も及ばぬまでも、ことしは散る桜をしかと見届けたい。 □
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