goo blog サービス終了のお知らせ 

山田歯科エクセレンスクリニック:山田忠生の歯医者人生&文化活動人生

■ホームページ検索 ⇒ yamadashika-ec.com
■ゆめ機構・代表 

TOKYO-NEWYORKコンセプト1983-(73)

2014-06-19 | 山田忠生:論文・提言などなど(過去から現
宝塚仁川/山田歯科エクセレンスクリニック 歯科医師・山田忠生

新しい歯科医師の誕生

日本の企業は敗戦後、いち早くアメリカやヨーロッパのアイディアを採用し、今ではその本家からも脅威の目で見られるようになっております。
それに比較して日本の歯科医師は遅れてやってくる巨人になるのか、遅れてやってくるプロフェショナルになるのでしょうか。あるいは、このまま永遠に眠れる小人のままで終わってしまうのか、まさしく正念場に差し掛かっているといっても過言ではないと思います。

しかし、とはいっても私たちは、決して私たちの将来に対し悲観的な見方をしているわけではありません。私たちは1975年、歯科医師ロバート・バークリーの「Successful Preventive Dental Practices」の日本悟版の出版(縁があって、私が手掛けました。)が、エポックメイキングな出来事であったと認識し、日本に新しい歯科医師が誕生する出発点になったと考えます。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

TOKYO-NEWYORKコンセプト1983-(72)

2014-05-19 | 山田忠生:論文・提言などなど(過去から現
宝塚仁川/山田歯科エクセレンスクリニック 歯科医師・山田忠生


それをわかりやすく、(図7)で紹介しましょう。

★もちろん、この図も私のオリジナルで、1983年に発表したときには新鮮な驚きとともに受け入れられたのを覚えております。
いよいよ、“TOKYO-NEWYORKコンセプト”も佳境に入ることになります。30年前の渡しの主張ではありますが…。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

TOKYO-NEWYORKコンセプト1983-(71)

2014-04-21 | 山田忠生:論文・提言などなど(過去から現
宝塚仁川/山田歯科エクセレンスクリニック 歯科医師・山田忠生

そして、何よりも大きな変化は今まではおよそ私たちの概念になかった、“健康”という言葉を、その正確な理解は別にしても口にするようになったことであります。

あえて象徴的に述べるなら、“片手に亜ヒ酸、片手に抜歯鉗子”が、旧来の歯科医学の歯医者であるとすれば、
“片手に抜歯鉗子、片手にハンドピース”が、近代歯科医学の歯科医師であると言えるでしょう。

そして、“片手にハンドピース、片手に歯ブラシ”こそが、予防歯科医学を指向する歯科医師像と言えるのではないでしょうか…。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

TOKYO-NEWYORKコンセプト1983-(70)

2014-03-19 | 山田忠生:論文・提言などなど(過去から現
宝塚仁川/山田歯科エクセレンスクリニック 歯科医師・山田忠生

「一口腔単位」から「一人間単位」に、対象とするものが大きく広く、そして深くなりました。〝患者のために”という言葉に加えて、〝患者との人間関係”という表現も使用されるようになりました。

心理学や精神病医学などへの理解が必要不可欠なものとなり、その知識の習得が私たちに欠かせないものとして要求されるようになりました。その分野の専門書を備えている大型書店に出向いて、その立ち寄る先は歯科医学関係ではなく、心理学や精神病医学関係、あるいは人間関係を論じているコーナーになったのです。
まさしく必要に迫られた知識の吸収が始まったのです。結果として、私たちのオフィスの書棚にはその関係の書物が並ぶようになりました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

TOKYO-NEWYORKコンセプト1983-(69)

2014-02-14 | 山田忠生:論文・提言などなど(過去から現

宝塚仁川/山田歯科エクセレンスクリニック 歯科医師・山田忠生

 

この覚えやすいといえる1970年(昭和45年)ですが、この1970年が日本の歯科界における予防歯科医学元年ということができるのではと考えます。ブラックバーン先生と、バークリー先生には大いに感謝をしなければなりません。

 

また、この1970年は別の観点からも歯科界に大きな影響があった年であります。つまり、アメリカでパンキー・インスティテュートが開設された年でもあります。1950年代から修復歯科医学の画期的な展開として、パンキー・マン・スカイラー・テクニックの開発とともに、いわゆるパンキー・フィロソフィを考案し、充実させてきたパンキー先生の教えを継続的に、体系的に教育する機関が創設されたのであります。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする