極東アジアの真実 Truth in Far East Asia

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幸せな会社と従業員

2018-05-18 15:01:53 | 日本社会

内閣府調査では2017年の障害者数は、身体障害者393万7千人、知的障害者74万1千人、精神障害者392万4千人となっています。人口千人当たりの人数で見ると、身体障害者は31人、知的障害者は6人、精神障害者は31人となります。複数の障害を併せ持つ人もいるため、単純な合計にはならないようですが、国民のおよそ6.7%が何らかの障害を有していることになり、私達はもっと身障者に対して関心を持つべきだと思います。

平成28年6月1日現在、厚生労働省職業安定局調査資料の民間企業・障害者雇用者総数は47.4万人・・・就業者数内訳は身体障害者32.8万人、知的障害者10.5万人、精神障害者4.2万人で厳しい状況です。

日本では、知的障害者がどんな産業でどんな職域・職種で活躍しているかと言うと、かつては農林漁業の仕事、その後は主に都市部ではメッキ、ダンボール・紙器、印刷製本といった製造業の職場で多く働くようになり、最近ではクリーニング・リネン、清掃、食品関係などのサービス業に就職されているようです。
職種にかかわらず、知的障害者が働いている環境には特徴があるといわれています。単純反復作業、仕事の内容や場所・人の変化が少ない、家庭的な規模、恩恵的な雇用主・現場責任者がいる職場等が主のようです。(日本障害者雇用促進協会提供資料)

障害者の一部は生涯就職することもなく、仕事の喜びを知ることも無く施設に入り生涯を閉じると言われています。このような厳しい状況の中、知的障害者を雇用し大成功、雇用主、従業員が物心とも互いに成長している会社があることをフジ・テレビ放送の「奇跡の会社・日本一幸せな従業員とは?」で知り大変感動しました。

私達は日々意識することは少ないように思う、「働くことの意義、素晴らしさ」を再認識させてもらいました。更に、人間愛、生きる目的等の一部を知ることが出来ました。

以下文はフジ・テレビ、毎週木曜日放送の奇跡体験、ストリーテラー・ビートたけしのアンビリバボー・「奇跡の会社・日本一幸せな従業員とは?」の記事で、5月17日に放送された内容です。フジ・テレビの放送がなかったら、私達はこのような感動する心温まる、人間愛の事実に触れることは無かったと思いますし、健常者と障害者に垣根はない社会のあるべき姿を具現してると思います。

昨今の暗い社会ニュースが多い中、このような会社が日本に存在していたことに深い感動を覚えます。是非、多くの方に日本にもこのような凄い会社があることを知ってもらい、あるべき社会の姿を少しでも感じとってほしいために記しました。

 

奇跡の会社・日本一幸せな従業員とは?

神奈川県・川崎市にある日本理化学工業、社員数85人の中小企業です。81年前に現在社長を務める大山隆久さんの祖父が創業、チョークを製造する会社です。当時、日本にはなかったチョークの粉が飛び散りにくいダストレス・チョークを開発、日本中に定着させた会社です。
後を継いだのが、大山隆久さんの父にあたる大山泰弘さん。

80年代にホワイト・ボード登場、それまで主流だった黒板が減少、90年代に入るとチョークの需要は激減・・・

その頃、大山隆久さんはアメリカ留学中、父の頼みを受け帰国し経営に加わりました。アメリカでマーケティングの勉強をしてきた隆久さんは会社の行く末に大きな不安を抱きました。

父の大山泰弘さんは、ある時期から知的障がい者を雇うようになっていました。大山隆久さんが入社した時には社員の約70%、63名が知的障がい者です。彼らは主力商品のチョーク生産に関わる重要な仕事を任されていました。
大山隆久さんは少しでも利益を上げるには、健常者が占める割合を増やし、仕事の効率を上げること・・・父にその提案してみましたが…父・大山泰弘さんは、彼らは我が社に必要なんだと言って譲りませんでした。

知的障害者を多く雇う理由、それを説くために父は会社の過去を語り出しました。

父・大山泰弘さんが会社を任されてまもない1959年、近くの養護学校教諭が知的障がいを持つ生徒たちの就職の相談に来ましたが、責任を持てないと思った泰弘さんは、依頼を断わりましたが教諭は諦めず、何度もやって来ました。生徒の幸せを心から願っている養護学校教諭・・・日本にこのような教諭がいたことに深い感動を覚えます。以下の流れはこの教諭の心が生かされたと思います。

知的障がいを持つ生徒たちは卒業後、就職先がない場合、親元を離れて一生施設で暮らすことになり、彼らは働くということを知らないまま生涯を終える・・・教諭は、雇用するのは無理でも、せめて彼らに働く体験をさせてもらえないかと頭を下げました。大山泰弘さんは、体験ならと承諾しました。

 

こうして、約2週間の期間を設け、15歳の知的障がい者2人を体験研修という形で預かることにしました。知的障がい者は一般的に読み書きや計算などに支障がある場合が多く、ラベル張りを任せることにしました。
ラベル張りを任された知的障がいを持つ2人の少女、彼女たちは真剣な眼差しで集中力を切らさず、こちらが止めるまで一心不乱に働き続けました。さらに印象的だったのが、褒めてあげた時の満面の笑顔、見ているだけで社員たちは癒されました。そして、研修が終わると…社員たちが彼女たちを雇って欲しいと、泰弘さんの元に直談判にやって来ました。こうして、泰弘さんは少女たちを雇うことを決めました。

社員となってからも、少女たちは毎日休まず働きました。ある日のこと…泰弘さんが出社すると、すでに少女たちが会社の玄関で待っていました。聞くと、7時には出勤していたという・・・大山泰弘さんは、出勤は8時半だからねと念をおしました。
大山泰弘さんには、障がい者を働かせている罪悪感があったようです。

同情心で雇ったものの、本当に彼女たちにとってこれが幸せなことなのか?

なぜここまで一生懸命働こうとするのだろうか?

悩んでいた時、たまたま知り合いの住職と話す機会がありました。

住職は泰弘さんにこう言いました。

人間の究極の幸せとは以下の4つです。

人に愛されること。

人に褒められること。

人の役に立つこと。

そして、人から必要とされること。

障がい者の方たちが施設で保護されるのではなく、企業で働きたいと願うのは、社会で必要とされて本当の幸せを求める人間の証しなのです。

大山泰弘さんには、思い当たることがありました。彼女たちは何気ない褒め言葉でも心から喜んでくれた。

だからこそ…時間を間違えたのではなく、つい早く来てしまうほど仕事をするのが楽しみになっていた。

健常者には当たり前すぎて気づくこともできない、幸せを手放したくなくて、2人の少女は頑張っていた。

こうして大山泰弘さんは、知的障がい者を毎年1人、また1人と雇用して行きました。

 

しかし、幾多の問題が持ち上がりました。読み書きや計算が苦手な彼らにできる仕事は限られ、覚えさせるのは一苦労でした。中でも特に手のかかる人物がいました。小松さんという男性は、重度の行動障で自分のペースを乱されると暴れ出してしまいます。
大山泰弘さんは、小松くん、家に帰ってしっかり反省したら会社に戻ってくるんだよと言って、小松さんを家に帰しました。数日後には職場に復帰するのだが…また暴れては帰される、この繰り返しでし。それでも大山泰弘さんは、小松さんをクビにはしませんでした。

 

長く勤める社員たちは、泰弘さんの気持ちを理解してくれていたが…後から入ったパート従業員の多くは、障がい者を雇った経緯を知らず、不満が出るようになって行きました。小さな町工場では、パートさんに辞められては仕事が回らなくなります、そこで泰弘さんは一計を案じました。
障がい者と一緒に働く従業員全員に、お世話手当として、臨時ボーナスを出しました。ほんの気持ち程度の額でしたが、大山泰弘さんの気持ちはパートさんたちに通じました。こうして全ての従業員が知的障がい者を雇うことに理解を示してくれました。

しかし…それは本当の意味での問題解決にはなりませんでした。佐藤さんという社員の仕事は、製品の箱詰めを補助です。

箱詰めをする際、製造過程でチョークを固定していた器具を外すのだが、それを回収するための空箱を準備し、作業の流れにそって運搬するのが佐藤さんの仕事です。だが彼は、精神的な不安などから仕事を休んでしまうことが多く、あまり休まれると、フォローする社員の負担が増えて業務に支障をきたしてしまいます。
世話をしないと働けない…お手伝いのような仕事では、本当の意味で働く喜びは得られないのではないか?

とはいえ、文字が読めない、数を数えられない社員が自分で作業できるようになるにはどうしたらいいのか?

人に必要とされる幸せを社員全員で感じたい…理想は早くも行き詰まってしまいました。

ある日、大山泰弘さんはあることに気がつきました。知的障がいを持つ従業員は、たとえ文字や数字が読めなくても、毎日信号を渡って会社に来ている・・・つまり、色の識別はできています。そこで、粉の測り方を色で区別する方法をとってみたらどうかと考えました。
チョークの原料を正確に計量させるために、原料が入っているバケツの色と分量を量るおもりの色を同じにしてみると・・・文字が読めない少年でも、色を頼りに原料を間違いなく計量できるようになりました。

これに気づいたことが、今後の全てのヒントとなりました。

数を数えられない社員には、作業の度に数字カードをめくらせる。こうすれば、回数を間違えずに済みました。時計が読めない社員には砂時計を使いました。
こうして、やりやすい環境を整えたところ、障がい者たちは十分に理解し、仕事を正確にスムーズにこなすことが出来ました。

1つできることがあると自信を持ち、安心して他の作業を学ぶことができる。

おのずと彼らは、健常者たちに世話をかけることもなくなり、自分たちが役に立っていると実感できるようになりました。

そして、今まで休みがちだった佐藤さんが出勤してきた日のこと、仕事を休むといかに他の人が困るかを教えるため、社員の1人が佐藤さんに一旦作業から外れるように指示し、製品の箱詰めをする際、製造過程でチョークを固定していた器具を外す、それを回収する空箱を準備するのが彼の仕事でしたが… 数分後、外された器具を入れる空箱がないため、製造ラインには器具が溢れかえりました。
この様子を見ていた佐藤さんにある変化が…なんと毎日休まず出勤し始めました。

一生懸命に働く姿は誇らしくもあった。

必要とされていることが伝わりました。

そんなある日のこと…佐藤さんがいつもより少々元気がないように思えました。

佐藤さんは高熱が出ていたのにも関わらず、出勤してきました。母親によると、朝起きた時から具合が悪そうだったそうです。
このことで大山泰弘さんは気づきました。

彼らはひとたび自分が必要とされていると感じたら、どこまでも純粋にひたむきに頑張ろうとする。

そんな障がい者の成長は、健常者の社員にとっても何よりの喜びとなりました。こうして、チョークの製造ラインは、ほぼ知的障がい者の社員だけで賄えるようになりました。

前に父が語った、障がい者を多く雇う理由…やり方を頑なに変えない父の姿勢を大山隆久さんは理解することができました。

 

日本化学工業を訪ねてみると、そこにいたのは、重度の行動障がいを持ち、暴れては帰されていた、あの小松さんでした!

何度、同じ事を繰り返しても、社員たちは彼を信じました。何ヶ月も、何年も…次第に役に立ちたい、その思いが忍耐力となり、苛立ちを抑えることができるようになったのです。

そして入社から5年後には、行動障がいを克服、今では製品の検品のほか、他の従業員の手助けまでこなしています。
勤続37年の小松さんは、昨年末の忘年会で会社から2つの表彰を受けました。皆勤賞に加え、戸締まりや清掃など細やかな取り組みも評価されました。

日本理化学工場では、他にも一人一人の個性を大切にし、毎年様々な表彰を行っています。

隆久さんの代になっても『知的障がい者』の雇用を続け、現在、その数は全社員の7割を超えている。 しかも、生産効率を年々アップさせ、チョークの国内シェア60%、トップを誇り年商8億円の優良企業となりました。

大山隆久さんは、主力であるチョークを学校だけでなく、家庭でも使って貰えるように様々な商品を開発、さらに、ホワイトボードやガラスなど、ツルツルした所にも書け、簡単に消すことが出来るマーカーも製品化、キットパスと名付けました。
こうして、チョークを軸に新たな商品を開発。 隆久さんが入社した時期と比べれば、売り上げを30%伸ばしています。

驚くことに、主力製品をほぼ100%知的障がい者たちが作っています。

多くの先進国で障がい者の雇用に取り組む企業は数多くありますが、知的障がい者が健常者よりも多く、かつ成功している例は少ないです。雇用主の人間愛、生徒の幸せを心から願っていた養護学校教諭、従業員の差別しない対応が集大成したと思います。

一昨年には、経済学者などで構成される人を大切にする経営学会から、日本でいちばん大切にしたい会社大賞、審査員会特別賞を受賞しています。

隆久さんは、最後にこう話してくれた。
みんな同じじゃないし、それを受け入れるってことがすごく大事なことなんだと思います。

自分の価値観を押し付けるようなことをしても全く意味のないことなので、違いを知ることが出来ればすごくいい信頼関係が生まれると思います。

信頼が出来ればその人が持っているものをもっと良い形で出してもらえる。それが力になって会社の力にもなるし、それがみんなの幸せに繋がっていくと思います。

 

会社の入り口に立つ像には、父・泰弘さんの思いが添えられています。
導師は人間の究極の幸せは、

*人に愛されること、

*人に褒められること、

*人の役に立つこと、

*人から必要とされること

この四つと言われた。働くことによって愛以外の三つの幸せは得られるのだ。私はその愛までも得られると思います。

日本理化学工業では月間MVPを設けているそうです。

今年の3月に受賞したのは、入社6年目の斉藤瑠偉さん。

月間MVPをは、目標に向かって頑張れば貰えるそうです。

斉藤さんが掲げた目標とは…ほうれんそう 報告、連絡、相談でした。人とのコミュニケーションが苦手だという斉藤さんは、ほう・れん・そうを通して、他の従業員とのコミュニケーションを頑張ったという。

今年も会社には1名、知的障がい者の新入社員が入りました。その教育を任されたのが斉藤さんです。人とのコミュニケーションが苦手だった斉藤さんが、見事に新人教育をこなしています。

実は、斉藤さんが後輩を指導できるほどに成長した裏には、ある人の存在がありました。あの小松さんです。掃除など細やかな取り組みを表彰されていた小松さんの背中を見て、成長して行きました。人から必要とされる幸せ、働く喜びは次世代に引き継がれています。

これらの成功は雇用主の人間愛、生徒達の幸せを心から願っていた養護学校教諭、知的障害者の前向きな姿勢、従業員の差別しない対応が集大成したと思います。私達は、働くことの意義を日々意識しませんが、このテレビ番組で私自身、働くことの意義、素晴らしさ、人間愛とは、生きる意義、幸せ等を教えてもらったと思います。

「奇跡の会社・日本一幸せな従業員とは?」は是非、再放送してもらいたい番組の一つになりました。

 

 

 


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