極東アジアの真実 Truth in Far East Asia

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1998年・金大中大統領の日本国会演説

2016-03-27 17:37:30 | 日韓
日本の最隣国韓国、好き嫌いに関係なく重要な国の一つであることは間違いないでしょう。
非営利団体、言論NPO(工藤泰志代表)と韓国のシンクタンク、東アジア研究院は2015年5月29日、日韓共同世論調査の結果を発表しています。(毎日新聞)
韓国に良くない印象を持つ日本人は52・4%、前年比2ポイント減、逆に日本に良くない印象を持つ韓国人は72・5%でした。現在の日韓関係を悪いという回答は日本側で6割強、韓国側で8割弱を占めています。関係改善の難しさが互いの民意からも明らかになったようです。この調査は2013年に始まり、今年が3回目で、日本は1000人、韓国は1010人から回答を得ています。

相手国の印象が良くない理由(複数回答)として、日本側は歴史問題などで日本を批判し続けるが74・6%、韓国側は侵略した歴史について正しく反省していないが74%で最多だったようです。日本に軍事的脅威を感じると答えた韓国人は58・1%(前年比11・8ポイント増)で、5割を超えています。日韓関係を重要という回答は、日本側で6割超、韓国側で9割弱ありました。

韓国の人達は、ヒステリックな教育、マスコミ等々の歴史認識に振り回されることなく、当時の白人支配、ロシア動向等に伴う、アジアの極めて厳しい不安定な状況、難しい朝鮮半島、日本の置かれていた状況等々、一人々が自分なりに歴史を精査、認識し、自己確立する必要があると思います。ミクロな歴史認識は愚かであり、両国に何も益をもたらさないでしょうし、不幸なことです。
今後、日韓の近代史研究機関等々の設置による、オープンな近代史研究が行われ、研究結果等を両国民に開示することが出来れば、両国の真の理解の一助になるように思います。
我々日本人も世界の現実は、正しさ、正義は、正しさ、正義を保つ努力が無ければ、正しさ、正義は無いと言う現実を認識する必要があるように思います。
戦後、戦勝国側の朝鮮半島策は、両国民が思っているようなものではないと思います。当然、戦勝国側に益があるように韓国と日本の位置付けを考えるでしょう。日韓が対立した場合と対立しない場合、支配するには・・・欧米の秩序のために翻弄される日韓、答えは自ずから出るように思います。

当時、国内で報道されることは限定的であった言われる、1998年10月8日の金大中・韓国大統領の日本国会演説、反日演説とも言われる方もいます。
この演説は、当時の韓国側から見た日本と言えると思いますし、この流れは現在も変わらないと思います。世論調査でも表していると思います。
金大中(キム・デジュン)氏は、韓国第15代大統領(在任、1998年 - 2003年)でカトリック教徒で、立命館大学の名誉博士でもあるようです。2000年に南北首脳会談を実現させたとしてノーベル平和賞を受賞しています。やはり金大中氏と言えば、金大中事件・・・韓国でも評価は複雑で難しいと言われています。
大統領在任後半には親日策を取っていると言う方も多いようです。在任中の日本文化の開放は以後、多くの韓国芸能人等の日本進出を促進したように思います。

原文のままです。
尊敬する斎藤十朗参議院議長閣下、伊藤宗一郎衆議院議長閣下、並びに衆参両院の議員の皆様
私は本日、日本の民主主義の本山であり、由緒深い歴史の現場であるここ国会議事堂の壇上に立つことができましたのをこの上ない光栄に存じます。二十五年前の東京拉致事件と、一九八〇年の死刑宣告をはじめとする民主化闘争の過程で、生命を失いかけた私が、今、大韓民国の大統領としてこの席に臨んでみますと、感慨無量な心情を禁じ得ません。

私は、私の生命と安全を守って下さるため、長い期間にわたって努力を惜しまれなかった日本国民と言論、そして日本政府のご恩を決して忘れることができません。本日、このように日本国民を代表される議員の皆様に感謝の意を表する機会を得まして、私は長年の宿願をかなえたようでこの上ない喜びに浸っております。日本国民の皆様に厚くお礼を申しあげます。

私は、ここ半世紀間の政治生活中、五度も死の峠を越えました。六年間を獄中で送り十年以上も自宅軟禁と亡命生活を強いられました。私は暴力をほしいままにした軍事独裁と、命を賭けて闘いながら人権と平和の尊厳さを悟りました。奇跡は、奇跡的に訪れるものではありません。韓国の民主化、特に韓国憲政史上初の平和的政権交代は、韓国国民の血と汗によって実現した奇跡であります。わが国民と私は、このようにして手に入れた尊い民主主義を、揺るぎなく守り抜く考えであります。

日本は興亡盛衰の近代史を経て、今や世界の中心国家として確固たる位置を占めています。日本は、明治維新で独自の近代化に成功し、西欧の文物を受容して大きな発展を遂げました。しかしながら、当時の日本は帝国主義と戦争の道を選択することにより、日本国民はもとより、韓国を含めたアジア諸国の国民に大きな犠牲と苦痛を与えました。
しかし、第二次世界大戦後、日本は変わりました。日本国民は汗と涙を流して、議会民主主義の発展と共に、世界が驚く経済成長を遂げました。そしてついに世界第二位の経済大国となった日本は、アジア各国の国民に無限の可能性と希望の道標を示したのであります。今の日本は発展途上国に対する世界最大の経済援助国として、自国の経済力にふさわしい国際的役割を忠実に履行しています。また、人類史上初めて原爆の被害を体験した日本国民は、常に平和憲法を守り非核平和主義の原則を固守してこられました。

かくごとく、戦前の日本と戦後の日本は、実に克明な対照をなしています。私は戦後の日本国民と指導者たちが注いだ、血のにじむような努力に深い敬意を表する次第であります。しかしながら、わが韓国を含むアジア各国には、今も日本に対する疑懼(ぎく)と憂慮を捨てきれない人々が大勢います。その理由は、日本自ら過去を正しく認識し謙虚に反省する決断が足りないと考えているからであります。こうした疑念と不信が存在しているということは日本のためにもアジア各国のためにも、大変不幸なことであると言わざるをえません。反面私は、過去を正しく認識し反省する、道徳的勇気のある、数多くの日本の民主市民がいるということもよく知っています。

尊敬する議員の皆様。
韓国と日本の関係は、実に長くかつ深いと言えましょう。われわれ両国は千五百年以上に及ぶ交流の歴史を持っています。
数多くの人々が韓半島から日本に渡りました。韓日両国は共にウラル・アルタイ系統の言語を使用しており、仏教や儒教文化も共有しています。徳川三百年の鎖国の時代にも日本は韓国と頻繁に往来しました。それに比して歴史的に日本と韓国の関係が不幸だったのは約四百年前に日本が韓国を侵略した七年間と、今世紀初めの植民地支配三十五年間であります。このようにわずか五十年にも満たない不幸な歴史のために、千五百年にわたる交流と協力の歴史全体を無意味なものにするということは、実に愚かなことであります。またそれは長久な交流の歴史を築いてきた両国の先祖に、そして将来の子孫に対して恥ずかしく、かつ非難されるべきことではないでしょうか。一九六五年の韓日国交正常化以降、われわれ両国間の交流と協力は、飛躍的に拡大しました。今は互いに必要不可欠なパートナー関係に発展しています。

一九六五年当時は、二億ドルに過ぎなかった両国間の貿易規模が昨年は四百三十億ドルに達して、実に二百倍以上に拡大しました。昨年一年間だけにしても、百六十七万人の日本国民が韓国を訪れ、百十二万人の韓国人が日本を訪れました。また、われわれ両国は、安保上の利害も共有しています。以上のように、両国間を行き来した膨大な人的、物的交流は、だれも止めることができず、逆らうこともできない滔々(とうとう)たる時代の流れであり、これからも継がれていくべき、両国の絶つに絶たれない因縁なのであります。

今、韓日両国は過去を直視しながら、未来志向的な関係を築いていくべき時を迎えました。過去を直視するということは、歴史的事実をありのままに認識することであり、未来を志向するということは、認識した史実から教訓を得て、より良い明日を模索するという意味であります。日本には、過去を直視し歴史を恐れる、真の勇気が必要であり、韓国は、日本の変化した姿を正しく評価しながら、未来の可能性に対する希望を見いだす必要があります。

尊敬する議員の皆様。
私は本日、小渕総理大臣との首脳会談を通じて、「二十一世紀の新しい韓日パートナーシップ」に関する宣言を共同発表しました。
日本は、この共同宣言を通じて過去に対する深い反省と謝罪を表明し、私はそれを両国国民間の和解と、今後の善隣友好を志向する日本政府と国民の心の表現として、真摯に受け止めました。私はこの宣言が韓日両国政府間の過去の認識問題に一段落をつけ、平和と繁栄を目指す共同の未来を開拓するための礎になるものと、確信する次第であります。私はまず、新時代の韓日友好関係をさらに増進させるため、日本の大衆文化の韓国進出を段階的に開放する考えであります。
文化は相互交流を通じて発展するというのが、私の所信であり国交正常化後三十余年が経過し、二十一世紀を目前に控えた時点で、日本の大衆文化開放の第一歩を踏み出すのは未来志向的な韓日関係のために、その象徴的意味が大変大きいと考えております。
さらに、青少年交流を含むすべての分野において、両国国民間の交流を活発に進めるのは真に必要なことであると思います。

われわれ両国間では、既に学者たちの歴史に関する共同研究をはじめ、芸術家と市民団体、それに地方自治体間の交流が盛んに行われています。私は人々が会えばお互いを理解するようになり、また、理解すれば互いを信じ協力するようになるものと堅く信じております。
二〇〇二年のワールドカップ大会は、両国国民間の団結した力と友好を世界に誇示できる絶好のチャンスであります。お互いに心と力を合わせて大会を成功裏に開催すれば、二十一世紀のわれわれ両国国民間の友好と親善はさらに強固なものとなることでしょう。私はこの大会が、一億七千万人の韓日両国国民皆が協力し合う友情の祭典となるよう心より期待するものであります。

私はまた、七十万在日韓国人の未来を考えないわけにはまいりません。彼らが今後、日本社会により多く貢献できる立派な構成員となれるよう制度的条件と社会的雰囲気がさらに改善されることを心より願ってやみません。
特に、地方参政権の獲得が早期に実現できれば、在日韓国人だけでなく、韓国国民も大いに喜び、世界もまた日本のそのような開かれた政策を積極的に歓迎してやまないでしょう。

尊敬する議員の皆様。
多くの東西洋の識者たちが「アジア的価値」という言葉を口にしながら、アジアには西欧式民主主義は適さないとか、時機尚早という主張をしてきました。そしてそのような主張は、権威主義的統治と官治経済の合理化に利用されました。しかし、このような主張は、明白な誤りであります。アジアにも西欧に劣らない人権思想と、国民主権の思想があり、そのような伝統もありました。

孟子は「国を統べる者は天の子、即ち天子である。天子は天の意思に従って民に善政を施す責任がある。万一、それに逆らって民に悪政をしくならば、民は天に代わって決起し、その天子を追放する権利がある」と述べています。これは、西欧近代民主主義の哲学的基礎を築いたジョン・ロックより二千年も前に、そのような思想を孟子が主張したのであります。それだけではありません。釈迦は『天上天下唯我独尊』と唱えて、人間の尊厳性を強調し、『一切の衆生は平等である」と善言しました。わが韓国にもそのような伝統があります。東学という民族宗教の創始者たちは『人すなわち天なり』(人乃天)、「人に仕えるに天の如くせよ』(事人如天)と教えています。

こうした人権と国民主権の思想だけにとどまらず、それを裏付ける多くの制度もありました。ただ、近代民主主義の制度を西欧が先に発見しただけであります。もちろんそれは天才的な発見でありました。しかし、発見はどこまでも発見であります。西欧の河に設置した水力発電機から電気が生産されるのと同様に、同じ発電機をアジアの河に据え付けても、電気は生産されます。わがアジアにおいても、民主主義は本質的なものであります。
今、韓国はじめ東アジアは深刻な経済難に直面しています。私はそのような危機も、民主主義と市場経済の並行発展を通じて、克服できるものと、堅く信じています。特に韓日両国は、民主主義と市場経済という、普遍的価値を増進していく模範となり、政治・経済的にアジア・太平洋の時代を先導する主役になりうると確信します。また、韓日両国はアジア地域の人権と民主主義の伸張のために、共同の努力を惜しんではなりません。併せて、環境、麻薬、貧困問題等、全世界的な課題についても、われわれ両国はお互いに協力していくべきであります。

尊敬する議員の皆様
北東アジア地域は、世界で最も注目をされている躍動的な歴史の現場であります。現段階において、北東アジア地域の安定と繁栄をもたらす鍵は、韓半島に平和の根を下ろすことであります。私は、韓半島では統一よりも先に、南北韓間の平和と協力が、何よりも重要であると考えております。
私は、就任と同時に、新政権の対北政策について、三つの原則を発表しました。
第一は、北韓のいかなる軍事的威嚇や武力挑発も、決して容赦しない、という点であります。
第二は、われわれは北韓を害したり吸収統一を追求したりせず、第三は、南北間の和解と交流協力を通じて、南北関係を実質的に改善する、というものであります。
われわれのこのような対北政策に対して、韓国国民はもとより、日本を含む全世界が支持を寄せています。私は、確固たる安保体制を基とする、南北の和解と協力の増進は、究極的に、北韓を

国際社会の責任ある一員として引き出すことに、寄与するものと確信しています。
最近、北韓は人工衛星発射実験を通じて、中長距離ミサイルを開発する能力があることを見せました。北韓のそのようなミサイル開発能力は、この地域の平和と安定を深刻に脅かしています。
私は、このような事実に対する、日本国民の衝撃と憂慮を十分理解しており、こういう時であるほど、韓国と日本、それに米国が協力し合って、強固な対北韓共助体制を維持する必要があると考えます。
ただ、北韓を相手にするに当たり、われわれは、一喜一憂するよりは、断固たる安保体制と共に、忍耐と包容の姿勢を堅持しなければなりません。孤立した時の北韓は、最も危険な存在になるという事実を、われわれは忘れてはなりません。

われわれは、七〇年代の半ば以降、力を基に米国が推進した『デタント』政策が、ソ連をはじめとする共産圏の変化をもたらしたことから、多くの教訓を学ぶことができます。また、日本が中国に対して取った、政経分離と国交正常化の決断が、東北アジアの平和と発展に資した点を、われわれはよく承知しています。その延長線上で、私は日本が韓国、米国と共に、韓半島エネルギー開発機構(KEDO)事業の主要参加国として、韓半島と北東アジアの平和と安定に、重要な役割を担当しているのを、高く評価するものであります。

尊敬する議員の皆様
わが民族は過去半世紀間、祖国の分断と、同族が殺し合う戦争という、つらい経験をしました。しかしその中でも、わが韓国国民は決して挫折することなく、一九四八年の建国以来、四つの大課業を遂行してまいりました。

第一は、共産主義者たちの反対を押し切って、国連監視のもと、圧倒的な国民が参加した民主選挙を通じて、大韓民国政府を樹立したことと、第二には建国後わずか二年にして、北韓共産主義者の南侵が行われた時、韓国国民は数百万の犠牲を払いながらも撃退したことであります。そして第三は、戦争の廃虚の中で再起して、世界で第十一位規模の経済大国を築き上げたことであり、第四には、下からの運動により、韓国国民の自力で民主政府を実現させたことであります。
しかし、急速な産業化と高成長の過程で、政経癒着と官治金融が澎湃(ほうはい)し、世界経済の変化に適応しきれなかった結果、ついに外貨危機を迎えるところとなりました。そしてわが国民はいま、全面的な経済構造の調整に伴う苦痛を耐え忍んでいます。
昨年の十二月十九日、私が当選した時、わが国の外債総額は実に千五百五十億ドルに達していました。うち、すぐに返済すべき短期外債が二百三十億ドルであったのに対して、外貨保有高はわずか三十八億ドルに過ぎませんでした。それこそ国家破産の危機にひんしていたのでありました。
そのような外貨危機を克服する過程で、日本の支援が大きな力となりました。日本は、韓国の短期債務延長にあたり、その三分の一を超える七十九億ドルを、中長期債務に転換して下さいました。世界のどの国よりも、多くの協力をして下さったのであります。
「苦しい時の友人が真の友人」という言葉があります。私はこの席をかりて、改めて、日本の積極的で誠意のこもったご協力に対し、衷心より感謝の意を表する次第であります。

今、わが韓国の国民は一丸となり、経済難局克服のために邁進しています。現在、外貨保有高はかなりの程度に達しており、外国の投資も引き続き増加しています。国内的にも金融、企業、労働、それに公共部門に対する改革が、着実に進んでいます。私と韓国国民は現在推進中の改革を必ず成功させ、経済再跳躍の基盤を固めるため、全力を傾注しています。

韓国が経済危機を克服する上で、何よりも切実なのが外国からの投資であります。わが政府は、外国の投資家が国内投資家と同一の条件下で活動できるよう、関連制度と法律を果敢に改善しました。韓国は今、外国投資家たちが安心して、自由に企業活動ができる国を造りつつあります。私はわが韓国国民に、「外国資本もわが国に投資すれば、われわれの企業である。今は、資本所有主の国籍が問題ではなく、その企業が、どこに投資しているかが重要である。われわれは外国資本を歓迎し、積極的な協力を惜しんではならない」と、説得してまいりました。
私は、日本の投資家たちがこうした韓国政府の努力を信じ、韓国に対して積極的に投資を拡大して下さるよう、期待しております。
世界経済とアジア経済における日本の役割は、いくら強調しても強調しきれません。私は、日本の構造改革と内需振作努力が成功を収めて、日本経済が早急に回復し、アジアの経済危機克服の機関車となって下さるよう、心より期待しております。

尊敬する両院議長、並びに議員の皆様
われわれ両国は共に強力な人的資源を有しています。われわれ両国には文盲率が「ゼロ」に近く、高い教育水準と勤勉性に富んだ国民がいます。また、東洋と西洋の文化に対して、深くかつバランスのとれた識見を持っている知識人たちがいます。それに、西欧で始まった民主主義と市場経済を、自らの土壌に根付かせた、政財界の指導者たちがいます。われわれ両国が良き隣人、良き友人同士として手を握り、二十一世紀を開拓していくのに、克服できない障害は何もないと私は確信しています。ただ、両国の政府と国民の、強力な実践意志が要請されるのみであります。

千五百年にわたった韓日交流の歴史が、われわれを見守っています。われわれ両国は、長くて篤(あつ)い交流の歴史に劣らぬほど、幅広く活発な協力の歴史を、創っていくべきであります。世界化を志向するわれわれ皆の未来には、両国国民の篤い友好と親善が待っていることでしょう。

今回の私の訪日が、こうした両国の国民的期待と時代的要請に応え、二十一世紀の韓日パートナー関係を構築する、堅固な礎になりますよう祈念してやみません。
ご清聴、ありがとうございました。
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