極東アジアの真実 Truth in Far East Asia

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日本軍に感謝した毛沢東

2023-05-20 14:13:37 | 日中

日本は敗戦国故、独立国としての日中問題対応は難しいようです。日中両国は互いにあらゆる面で依存し、日本の国益を考えた場合、孫氏の兵法を守れば益は極めて大きく、これからも関係がなくなることはないと思います。以下文は古い記録ですが、歴史・過去の事実として知る必要があると思います。私達がマスコミ報道等から得て来た情報とはかなり違います。

昭和39年、日本社会党の佐々木更三委員長は人民大会堂で毛沢東と会った際、次のような記録があります。

「中国外交部・中共中央文献研究室・編纂「毛沢東外交文選」・1994年 中央文献出版社に記載」

*佐々木

今日、毛主席から非常に寛大なお話を伺いました。

過去、日本の軍国主義が中国を侵略してみなさんに大へんご迷惑をおかけしたことを申し訳なく思います。

佐々木更三氏

*毛沢東
なにも謝ることはありません。

日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらしました。おかげで、中国人民は権力を奪取しました。
日本の皇軍なしには、わたくしたちが権力を奪取することは不可能だったのです。
この点で、わたしとあなたの間には、意見の相違と矛盾がありますね。

日本の皇軍が過去において中国の中国の大半を占領したため、中国人民は教育を受けることができました。
もし日本の侵略がなければ、我々は今でも山の中にいて、北京で京劇を観ることもできなかっただろう。
日本の皇軍が中国の大半を占領したからこそ、我々はたくさんの抗日根拠地を作り、その後の解放戦争における勝利の条件を作り出すことができたのだ。
日本による資本の壟断と軍閥は我々に対して「好いこと」をしたのだ。
もし感謝が必要なら、むしろ我々が日本皇軍の侵略に感謝したいと思う。

 

「1961年1月24日、日本社会党議員黒田寿男との会見談話」

黒田寿男氏

あなたたちは我々の先生だ。我々はあなたたちに感謝しなければならない。
あなたたちがあの戦争をし、中国人民を教育してくれたため、撒かれた砂のような中国人民は団結をすることができたのだ。
だから我々はあなたたちに感謝しなければならない。

李大倫著の「毛沢東は日本の侵略に感謝する」講話の由来(日本新華僑報、1月8日掲載)

訪中した日本の元陸軍中将、遠藤三郎との談話、同年、接見した日中輸出入組合理事長、南郷三郎にも同様の話をしています。

元陸軍中将、遠藤三郎氏

左から2人目、南郷三郎氏

1964年7月10日、毛沢東は北京に来あわせた、社会党系の五つの訪中代表団(佐々木視察団、社会党平和同志会代表団、社会党北海道本部代表団、社会主義研究所代表団、全国金属労組代表団に対し、会見は、人民大会堂で行われ、午後6時から2時間40分にわたりました。

中国側からは廖承志、趙安博らが同席しました。当時、北京にあった西園寺公一も同席

西園寺公一氏

趙安博氏・・・戦後、日中の橋渡しとなり、多くの問題の解決に尽力されています。

歴史の語り継ぎ_中国国際放送局 (cri.cn)

asahi.com:朝日新聞 歴史は生きている

*主席

友人の皆さんを歓迎します。日本の友人の皆さんを大いに歓迎します。我々両国人民は、団結して、共通の敵に反対しなければなりません。
経済の面では、お互いに援助しあい、人民の生活を改善させていくことです。文化の面でも、お互いに援助しあいましょう。
皆さんの国は、経済の面でも、文化の面でも、技術の面でも、われわれの国よりも発達していますから、おそらく、我々がみなさんを援助することは問題にならず、皆さんがわれわれを援助する方が多いでしょう。

政治のことになりますと、まさか、政治の面では、われわれはお互いに支援しあわなくてもよいというわけではないでしょう? 

互いに対立しあうというわけではないでしょう?

数十年前のように互いに対立しあうというわけではないでしょう?

そうした対立の結果は、皆さんにとってはよいことはなかったし、我々にとっても、よいことはありませんでした。

同時に、他方では、それとは逆のことが、皆さんにとっては、有益だったし、我々にとっても有益だったのです。
20年前のあのような対立は、日本人民を教育しましたし、中国人民をも教育しました。

私は、かつて、日本の友人に次のように話したことがあります。
かれらは、日本の皇軍が中国を侵略したのは、非常に申し訳ないことだ、と言いました。私はそうではない!

もし、皆さんの皇軍が中国の大半を侵略しなかったら、中国人民は、団結して、皆さんに立ち向かうことができなかったし、中国共産党は権力を奪取しきれなかったでしょう、と言いました。ですから日本の皇軍は我々にとってすばらしい教師であったし、彼ら〔その日本の友人のこと〕の教師でもあったのです。

戦争の結果、日本の運命はどうなったでしょうか ?

やはり、アメリカ帝国主義に支配されるようになったではありませんか?

同じような運命は、わが台湾、香港にもみられますし、南朝鮮にもフィリピンにも南ベトナムにもタイにも及んでいます。

アメりカの手は、我々西太平洋並びに東南アジアの全地域に伸びてきており、その手は余りにも長く伸びすぎています。第7艦隊はアメりカの最大の艦隊です。アメリカは航空母艦を12隻持っていますが第7艦隊はその半数6隻を占めています。アメリカは、そのほかに、地中海に第6艦隊を持っています。

1958年に、我々が金門を砲撃した時、アメリカ人はあわてふためき、第3艦隊〔第六艦隊の誤植〕の一部を東に移動させました。 アメリカ人はヨーロッパを支配し、カナダを支配し、キューバを除くラテン・アメリカ全体を支配しています。今では、その手をアフリカまで伸ばして、コンゴで戦争をやっています。

皆さんは、アメリカ人が怖いですか?

*佐々木 ―

私は、中国を訪問した5団体を代表して一言ご挨拶します。

*主席

どうぞ。
*佐々木 

主席が、お忙しいなかをわたしたちを接見して下さるとともに、有益なお話をしてくださったことに感謝します。私は主席が、非常にご健康で、中国の社会主義の躍進のために、全世界の社会主義の事業を指導するために、日夜奮闘しておられることを拝見し、ここで、主席に敬意を表します。
*主席

ありがとう。

*佐々木

今日、毛主席の非常に寛大なお気持のお話をうかがいました。過去において、日本軍国主義が中国を侵略し、みなさんに多大の損害をもたらしました。われわれはみな、非常に申し訳なく思っております。
*主席

何も申し訳なく思うことはありません。日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらし、中国人民に権力を奪取させてくれました。みなさんの皇軍なしには、われわれが権力を奪取することは不可能だったのです。
この点で、私とみなさんは、意見を異にしており、われわれ両者の聞には矛盾がありますね。(皆が笑い、会場が賑やかになる)。
*佐々木

ありがとうございます。
*主席

過去のああいうことは話さないことにしましょう。過去のああいうことは、よい事であり、我々の助けになったとも言えるのです。

ごらんなさい。中国人民は権力を奪取しました。同時に、みなさんの独占資本と軍国主義はわれわれをも〔日本側の記録では、「みなさんをも」となっており、文脈からはその方が適切と思われる〕助けたのです。

日本人民が、何百万も、何千万も目覚めたではありませんか。中国で戦った一部の将軍をも含めて、かれらは今では、われわれの友人に変わっています。
*細迫

私はかつて長いこと牢獄に入っていました。私のような善良な者まで牢獄に入れられてしまい、病気の妻の看病もできませんでした。このような悪らつな政府に対して、私は、主席のような寛大なやり方はとれません。
こんどの中国訪問は、神戸から中国の「燎原」号という貨物船に乗ってきたのです。日本の友好団体は小船を借り、旗を振り、音楽を演奏して、見送ってくれました。しかし、日本の警察側の小船も、そこを行ったり来たりして、別のある種の行動をとりました。
われわれが中国に着きますと、中国の政府要人と人民が一体となってわれわれを歓迎してくれました。日本も一日も早く、政府と人民が一体となって中国の友人を歓迎できるようにしたいと思っています。
*主席

皆さんは上海から上陸したのですか?
*細迫

そうです。日本政府のような悪い政府を早く打倒して、人民の政府をつくらない限り、真の友好を実現することはできません。私は、私を虐待した政府を許すことはできません。私は年をとりましたが、遺言の中で、自分の子供に、お前たちは政府を打倒するように、と訴えたいと思っています。
*主席

いくつになりましたか?
*細迫

67歳です。
*主席

私より若いではありませんか! 

あなたが百歳まで生きれば、すべての帝国主義はみんなくつがえされてしまいます。皆さんが、日本政府と日本の親米派をにくんでいるのは、我々が、かつて、国民党政府の親米派-蒋介石をにくんだのと同じです。
蒋介石は、いったいどんな人物だったでしょうか?

かつては、我々と合作して、北伐戦争をやったことがあります。それは一九二六年から一九二七年にかけてのことでした。
1927年になると、かれは共産党〔員〕を殺し、数百万人の労働組合、数千万人の農民組合をきれいに根こそぎにしてしまいました。 蒋介石が我々に戦いを教えてくれた最初の人だというのは、この時のことを指しているのです。
その戦いは10年続きました。われわれは軍隊を持たない状態から、30万の軍隊を持つ状態にまで発展しました。
結果的には、われわれ自身誤りを犯しましたが、これは蒋介石のせいにすることはできません。南方の根拠地を全部失い、2万5000華里の長征を行わざるをえなくなってしまったのです。この席にいる人で〔長征に参加した者は〕、私と廖承志向志です。
残った軍隊はどれだけだったでしょうか?

30万から2万5000人に減ってしまいました。
我々はなぜ、日本の皇軍に感謝しなければならないのでしょうか? 

それは、日本の皇軍がやってきて、われわれが日本の皇軍と戦ったので、やっとまた蒋介石と合作するようになったことです。
2万5000の軍隊は8年戦って、120万の軍隊となり、人口1億の根拠地を持つようになりました。感謝しなくてよいと思いますか。

 

これらの文献等々が日本国内で報道、議論されることはありません。

これらの記述は、私達がマスコミから知りえた情報等とはかなり違い、当時の中国の日本に対する見方を知ることが出来ますし、この想いは両国で生きていると思います。

 

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