想い出の小箱Ⅱ : 徒然草子

日常生活の中で感じたことを、徒然なるままに記述する。
OCNブログ人「想い出の小箱:レコード・コレクションからの続き。

価値観の違いの不幸

2015-01-14 15:05:06 | 日記・エッセイ・コラム
イスラム過激派によるテロ事件は残念ながら今後も発生しそうだ。
言論の自由を重視する西欧社会に対して、自分たちの崇拝するものに対する侮辱を許すことの出来ないイスラムとの対立は、簡単には解決しそうにない。
この価値観の差は、平行線だろう。
しかし、罪のない人たちを不幸に落とす対立の解決には、相手の立場を理解、許容する寛容さが求められる。
言論の自由といっても、やはり節度は必要だろう。
他の人たちを侮辱しても、言論の自由だと主張するのは、やや行き過ぎの感がある。
身近なところでも、価値観の差による対立は良くあることだ。
それでも話し合いにより、妥協点を見出す努力がなされるが、これもベースに共通する価値観があるから可能なのだろう。
これ以上不幸な事件が起きないよう、不要な摩擦を起こさないようにすることも必要と思うのだが・・・

白熱のテニス、ブリスベン大会

2015-01-12 12:33:17 | スポーツ
テニス・ツアーの緒戦となるブリスベン・オープンが終わった。
準決勝の錦織とラオッチの試合は見ごたえがあった。
3セットとも、ブレークなしのタイ・ブレークで、絶好のチャンスを逸した錦織が破れた。
220キロを超えるサーブをあれだけ決められてはどうしようもない。
決勝戦は見るつもりはなかったが、TVをつけると、試合が始まったところで、少しだけ見ようと思ったら、熱戦で最後まで見てしまった。
この試合もすばらしい内容で、ラオニッチに勝つチャンスがあったが、ワン・チャンスを逃さないフェデラーはさすがだ。
フェデラーは記念すべきツアー100勝を優勝で飾った。
それにしても、サーブは強力な武器だ。
ツー・ブレイク・チャンスを二人とも凌ぎあった。
逆に、ストローク、ボレーが楽しめないのは、多少残念だが・・・
この大会を見る限り、今年は3強に、錦織、ラオニッチほかの新しい勢力が加わりそうだ。
錦織は準決勝で敗れたが、ダブルスで決勝に進出し、これは、マッケンローのような多彩なプレーヤーになる可能性がある。
今シーズンもテニス界は面白そうだ。

すばらしかった新春コンサート

2015-01-10 17:10:31 | 音楽
今年の最初のコンサートは、ウインナ・ワルツではなく、「題名のない音楽会」に出かけた。
第1部は、日本のクラシック界を代表する4人による弦楽4重奏団「モルゴーア・カルテット」と山下洋輔の競演で、中々出会えない演奏である。
第2部は、第1部にもまして、すばらしい内容だった。
“激突、「打」楽器バトル“と題して、ジャズ・ピアノの松永貴志、津軽三味線の上妻宏光、マリンバの塚越慎子が、二人ずつのバトル競演と全員での演奏があった。
ジャズ・ピアノとヴィブラフォンの競演は、ジャズでは珍しくないが、ジャズ・ピアノとマリンバの競演は始めてであったが、まったく違和感がない。
3人とも、個々の能力が高いので、これだけのコラボレーション、演奏内容になるのだろう。
「題名のない音楽会」のすばらしいところは、普通のコンサートと異なり、予想をしない演奏を聴けることだ。
今日のコンサートは、今年のベスト・テンに入るだろう。

税金は自民党の金ではない

2015-01-09 15:28:51 | 政治
沖縄県知事が新年度予算の要請などで上京したが、関係閣僚は面会しなかったとの記事があった。
政府の方針に従わないので、予算で報復するつもりのようだ。
選挙で大敗しても、沖縄県民の気持ちを理解しようとの気はかけらもなく、スコットランドのように、独立を目指してもおかしくない。
国民は税金の使い道すべてを自民党に託したのではない。
小人(しょうにん)のやることは、この程度のことなのだろう。
自分たちに都合の良い報道を要請したり、賛成するものには予算を手厚く配分するなど、まったく論外である。
これからも、選挙に勝ったと、いろいろなところで驕りが出てくるのだろう。
現在はアメリカの景気回復に支えられ、回復基調にあるが、原油暴落で産油国やロシアの経済悪化は回りまわって、欧州からアジアへ波及するのは時間の問題で、もはや世界は自分たちだけ良ければ良いというのは成り立ち得ない。
何でも出来る絶対多数の与党だけに、国民は目を光らせておかねば、結局付けが回って来るのは国民である。

京都人の密かな愉しみ

2015-01-08 10:38:39 | 日記・エッセイ・コラム
「京都人の密かな愉しみ」という表題に惹かれて番組を視聴した。
京都は、学生時代に宇治に1年、銀閣寺前に3年下宿して過した。
勉学の合間に、出来るだけ、寺社、庭園、歴史にゆかりのある場所を訪れ、京都の文化、歴史触れてきたつもりであるが、やはり表面的で、京都人の真髄に触れたとは云いがたい。
京都の友人の家を訪問したり、家庭教師で中京区の町屋へは行ったことがあるが、あまり覚えていない。
この番組はフィクションであったが、随所に京都人の姿を見ることが出来、とても興味深かった。
私が過ごした昭和30年代は、今ほど観光客も多くなく、静かに愉しむことが出来た。
「ぶらタモリ」という番組でも京都の大プロジェクトを取り上げていたが、疎水については知っていたものの、秀吉の「お土居」についてはまったく知らなかった。
当時非公開の桂離宮、修学院離宮、京都御所や島原の角屋、ほとんど訪れる人もいなかった曼朱院、法然院ほか、いろいろ訪れたが、京都には知らない魅力がいっぱいある。
今年は「京都ぶらり旅」をしてみたいものだ。