夜の音楽会のチケットを持っていたが、妻が、地震が来るかもしれないので、夜の外出はしない方が良いと云うので、止めにして、代わりに、新宿御苑へ出かけた。丁度、桜が満開。大勢の人出で、賑わっており、ここは、震災地とは別世界であった。
桜も咲き誇り、入学式の時期になった。新しいスタート・ラインである入学式の記憶をたどってみた。小学校の入学式は、終戦の年であり、空襲警報等で、それどころでなかったと思うが、全然記憶がない。
中学、大学の入学式についても、あまり思い出せない。
高校の入学式は良く覚えている。父が、新入学生徒の父兄代表として挨拶をしたからである。母も私も全然知らなかったので驚いた。両親揃って出席したことになり、母は知人に冷やかされたとのことである。
私の高校は、それなりの歴史もあり、近隣の約十の中学校から入学する。男子5クラス、女子6?クラスだったように思う。各クラス2名の委員は、入学試験とその後行われた実力テスト(英・数・国)の成績で、学校が指名したが、私もその中に選ばれていた。
大学の入学式は、多分、時計台のホールだったのだろう。
震災で、入学式が中止になっているところもあるが、大事なのは、入学式それ自体ではないだろう。
大学に入学して、初めて親元を離れて生活することになり、宇治に下宿することになった。もう、半世紀以上前のことである。
宇治のお茶店さんの2階の4畳、ひと間である。襖仕切りで、3人の学生が居住し、あまり居心地は良くなかったが、宇治分校の教養課程の1年間だけなので、我慢することにした。宇治は、住む環境としては、とても良いところであった。
宇治に下宿しているクラスメイトと下駄ばきで宇治川畔を散歩し、途中で、彼の下駄の鼻緒が切れて、応急処置をしてあげて以来、今日まで、彼とは交流が続いている。
最も気分の充実していた時期である。
希望にあふれたスタートにふさわしいレコードとして、「ペギー・リーとベニー・グッドマン」を選んだ。
ペギー・リーは、その温かみが魅力で、永年にわたり、トップ歌手の地位を維持したが、このレコードの彼女は19才であり、新人歌手の初々しさと溌剌さがうかがえる。
「PEGGY LEE BLUES CROSS COUNTRY」(Capitol CRS 1118)では、クイシー・ジョーンズ楽団をバックに、素晴らしいスイング感で、ブルースを歌っています。
ディズニー映画、「ワンワン物語」の作詞、作曲をしたのが彼女であると知る人は、少ないかもしれません。
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