「あほリズム」(630)

2020-01-13 12:58:20 | アフォリズム(箴言)ではありません

        「あほリズム」

 

         (630)

 

 グローバル化によってマクロ世界が限界に達したとすれば、

われわれはミクロ世界へ向かうほかない。ところで、限界から

世界を再構築する箱庭文化とはわれわれ日本人の得意分野では

ないか。

 

          (631)

 

 逆に言うと、我々日本人はマクロ世界、たとえば地球温暖化

問題などはどう扱っていいのか知恵が浮かばない。


「中国の歴史ある独立映画祭、終了へ 政府の検閲強化が背景に」

2020-01-13 05:44:19 | 従って、本来の「ブログ」

「中国の歴史ある独立映画祭、終了へ 政府の検閲強化が背景に」 

https://www.afpbb.com/articles/-/3263178

【AFP=時事】中国で最も長い歴史を持つインディペンデント映画
祭の一つである「中国独立影像展」(CIFF)が、政府による検閲強化
の影響を受け、その幕を下ろすことになった。同国で「純粋に独立
した」映画祭を続けていくことはもはや不可能だという。

 CIFFはメッセンジャーアプリ「微信(ウィーチャット)」の公式
アカウントで映画祭の終了を発表。「目下、地方における活動の状
況では、純粋に独立した精神と実質性を持つ映画祭を企画すること
は不可能であると考える」と説明した。

 それ以上の詳しい理由については明らかにしていないが、現在同
国では、習近平国家主席が率いる政権の下でメディアやエンターテ
インメント業界での検閲が劇的に強化されている。

 発表によるとCIFFは、2003年に同国東部南京市で開始され、これ
まで14回にわたり開催されてきた。

 CIFFは、同性愛や大規模な三峡ダム計画をめぐる論争など、セン
シティブなテーマを取り上げた映画を上映することで知られていた


 北京電影学院の教授を務め、CIFFの主催者の中心人物である張献
民氏は、香港の英字紙サウスチャイナ・モーニング・ポストに対し
、映画祭の終わりは、もっと映画が規制されていた時代に中国を引
き戻すとコメント。「われわれは20年前に戻ってきた。インディペ
ンデント映画の余地も機会もない時に」と語った。
                   【翻訳編集】AFPBB News


      *      *      *

 いよいよ中国が芸術文化に対する検閲を強化して管理社会への道を

突き進もうとしている。私はこれまでにも何度か中国文化の衰退を指

摘してきたが、遂に映画も自由に創れなくなったということは、そも

そも映画とは政治、文学、社会が複雑に絡み合った総合芸術で、かつ

て中国は独自の優れた映画文化を育んできたが、もしも、「われわれ

は《真理》のために没落することがないようにするために、芸術を持

っている」(ニーチェ)とすれば、いずれ中国社会はかつてのようなニ

ヒリズム社会、それは多くの国民が麻薬に依存する社会、へと再び没

落するのかもしれない。その結果(アヘン戦争)中国は香港を失ったが、

今や再び香港を失おうとしている。それは権力者だけが思うがままの

特権に与って、ほとんどの国民が絶望の中で暮らす、謂わば中国の北

朝鮮化である。私には、中国の未来は共産党支配の崩壊しか見えてこ

ない。


仮題「科学と自然」②

2020-01-13 04:52:00 | 従って、本来の「ブログ」
         仮題「科学と自然」


              ②


 いまや近代科学文明社会は急速なグローバル化によって外部を失

い閉じた世界となった。これまでは外部として開いていた自然環境

に大量放棄してきた人工物質は再生されずに閉じてしまった世界を

汚染し始めている。捨て場所を失ったゴミは再生されずに自然循環

を妨げ、地球は「ゴミの星」と化した。生成としての世界が循環再

生によって永遠性を維持していたとすれば、固定化した近代社会は

永遠に続くことはないだろう。つまり、変遷流転する生成の世界か

ら見れば固定化した科学文明は一瞬だけ繁栄してすぐに消滅する《

幻想》の世界にほかならない。もっと分かり易く言えば、われわれ

は世界をバラバラにして自分たちの都合の良いように組み換えたが

それは失敗だった。

                        (つづく)

「あほリズム」(629)

2020-01-13 03:14:16 | アフォリズム(箴言)ではありません
         「あほリズム」


          (629)


 愛は本能である、理性からは生れない。

 理性に強いられた愛は「偽愛」である。

 もっと分かり易く言えば、国家主義者の愛国心は「偽愛」である。

 愛するのに理由などいらない。

 にもかかわらず彼らの愛国心は押し付けがましい。