「明けない夜」 (十一)―③

2017-08-23 08:18:18 | 「明けない夜」11~⑧

           「明けない夜」

           (十一)―③


 そもそも竹口さんは地元の広島でお好み焼き店を営んでいたが、ご存じ

のように広島風お好み焼きは大量のキャベツを入れるが、そのほとんどが

県外産で、地元のキャベツの生産量が消費量に比べて著しく少ないことに

疑問を抱いて、それではと、店を家族に任せて畑を借りて自分でキャベツ

を作り始めた。そもそも広島県は山間地が全体の70%以上占め、農作に

適した平地の少ないところなので、キャベツ栽培など広大な圃場で大量に

栽培しなければ収益が見込めない品目は生産者が敬遠した。そして、まず

始めに驚いたことは、虫による食害や病害からキャベツを守るために大量

の農薬を撒かなければならいことだった。それはわたし達も先日の見学の

ときに実感したが、それを調理して提供する事業者にとっては決して見過

ごすことができないことだった。実際、彼も指導通りに栽培してみて、防

除作業を省くと忽ち食害にやられてキャベツが葉脈だけを残してメッシュ

状になってしまった。それ以来竹口さんはキャベツを無農薬で作りたいと

思い始めたらしい。ちょうどその頃テレビでは「奇跡のリンゴ」という番

組が放送されて大きな話題になっていた頃で、

「それじゃあ私は『奇跡のキャベツ』を作ろうと思った」

と話した。とは言っても、非農家の素人が始めから「奇跡のキャベツ」を

作れるわけがないので、慣行農法による栽培から始めるしかなかった。そ

して最初の年は、借りた圃場がもともと水田だったこともあって、ところ

がキャベツなどのアブラナ科の野菜は水捌けが良くないと育たないので、

思い通りの収穫が得られなかった。それでも自分の店で使うだけなら充分

賄うことができた。翌年は、俄かに「地方再生」だの「地産地消」が叫ば

れて農政が見直され、行政も広島産キャベツの生産を奨励し始めた。竹口

さんは「渡りに船」とばかりに本格的にキャベツ栽培を始めるために中古

のトラクターを買ったり育苗ハウスを建てたりして作付面積を倍に増やし

た。そもそもキャベツは、気候にもよるが、一年で3回作付けできるので

何とか採算が合うと皮算用した。自然が相手の一次産業はどれほど綿密に

計画を立てても思い通りにならないことの方が多い。いきおい計画通りに

収穫できる施設栽培や水耕栽培へと生産者は傾く。

「しかし、カルチャーがないんだよね、カルチャーが。だから面白くない

ほら、農業ってアグリ・カルチャーって言うだろ。あれはアグリ・ファク

トリーだよ、だって耕さないんだから」

わたし達は、竹口さんの話をずーっと聴いて、ほとんど実際の作業をする

ことはなかった。

                            (つづく)



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