「ラジオ体操と共同幻想」④

2013-10-24 04:36:18 | 「ラジオ体操と共同幻想」



       「ラジオ体操と共同幻想」④


 近代文明の頂上(サミット)に登りつめた経済先進国は、更に成長

することが出来ずに「経済成長の終わり」を迎えている。実は、頂

上とは行き止まりあって、サミットとはリミットのことでそれより

上はない。植物で言うなら、花を咲かした草木は種を残して潔く枯

れる、次世代のために。ところが、われわれの果てしない欲望は更

なる上を目指そうとそこに留まろうとする。例えば、富士山の登頂

を目指す人は頂上を制すれば自ずから次の目的は明白である、つま

り無事に下山しなければならない。ところが、われわれの社会がテ

ーマ(目的)を見出せないのは頂上に佇んで更にありもしない上を目

指そうとしているからではないか。少子化や年金問題が深刻な事態

になることはすでにバブル崩壊後には分っていた。本来ならば、安定

成長を促すための構造改革が求められた。ところが、それらの問題

を更なる経済成長によって克服しようとした。成長幻想を追い求めて

空手形が乱発された。アベノミクスがやろうとしていることはこれまで

の蹉跌を繰り返しているだけではないか。

 何もかも失った焼け野原から急成長して経済大国まで成り上った

国民にとって、かつてのカラーテレビや自動車やクーラーなどの新

製品は身を削ってでも手に入れたい画期的なものだった。ところが、

今のわれわれは、たぶん、そんなモノを持たない途上国の人々より

も、そんなモノがなくたって構わないと思っている。ま、あるに越

したことはないがそんなモノが自分の人生の幸福を満たしてくれる

とはもはや思っていない。新しいテレビがどれほどきれいに映ろう

とも、自動車の燃費がさらに良くなっても、そして多機能化はただ

消費者を迷わすだけで、マニア以外の人々にとってはすでに大きな

関心ではなくかつてのような消費意欲を刺激しない。成熟した消費

者の関心は表象的なモノ社会のその深部へ向けられ、すでに世界

経済はゼロサム社会を迎えて、これまでの価値観が見直され自分

にとって本当に意味のあるモノ以外に惑わされたりはしない。偉そ

うなことを言えば、イノベーションを迫られる産業界は、ひたすら目

先の便利を追求するが、たぶん消費者はたとえ不便であっても新

しい価値を認めれば買い求めるだろう。産業人は消費者の深部に

訴える新しい価値の創造を忘れている。

                                   (つづく)



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