「無題」 (六)―⑤

2012-09-02 17:56:54 | 小説「無題」 (六) ― (十)



                 「無題」


                  (六)―⑤



 山道を登りきると道の傍らには芽が出始めたばかりの畝が並ぶ畑

も目立ち始め、道は徐々に緩やかになり急に視界が開けてあちらこ

ちららの高台に民家が点在していた。その中のいくつかは明るい色

彩でペイントされていて、恐らく客をもてなすための建物だろう。

私は、思わぬところで人家に遭遇して足を止め、ズボンのポケット

からハンカチを取り出して流れるままにしていた顔中の汗を拭った。

そして、持っていたペットボトルの水を口にしていると、登って来

た道を一台の軽トラックがクラクションを短く鳴らして通り過ようと

した。驚いて後ろを振り返ると通り過ぎたトラックの遥か向こうに、

さっきタクシーを降りてから目にした大海原を更に上から俯瞰する

絶景の展望に、水を飲むのも忘れて息を呑んだ。なるほど、人がこ

こに集まる理由がよく分った。

 この辺りは不動産バブル全盛の頃に、国が音頭をとったリゾート

ブームに踊らされ、芸能人までもがテレビを通して囃し立てて、真

っ直ぐ立ってられないほどの斜面の土地でさえも求められ値が付い

たが、すぐにバブル崩壊ですべてが泡と消え、土地の値段はその斜

面を転げ落ちるよう暴落し、それで幕が下りたと思ったら、間もな

く相次いで群発地震が起こり土地だけでなく価格も揺れまくった。

その後、海底に棲む気まぐれな大鯰は棲家を替えたようだが、気ま

ぐれなだけに何時また元の棲家へ舞い戻ってくるかの心配は消えて

いない。かつて、元気象庁予報官であった方が「富士山大爆発」の

本の中で何年何月まで挙げて富士山の噴火を予言したが何も起こら

なかった。ところが、何と三日後に三宅島が噴火して、私はこの人

スゴイ!と思ったことがあったが、どうも世間ではそんな風には見

ていないようだ。

 しばらく行くと山肌に沿って走る舗装された車道にぶつかって私

を導いてくれた道はなくなった。

                                 (つづく)  


「無題」 (六)―⑥

2012-09-02 03:44:48 | 小説「無題」 (六) ― (十)



               「無題」

                (六)―⑥


 昔の人は、一本の草木、一握の土くれに到るまで、凡そ森羅万象

には魂があると信じてました。自然界とはそういった魂が絡み合っ

た世界だと思われていた。植わってる木を切る人は切り倒される木

の悲痛な魂の叫び声を同じ魂で聴いた。しかし、社会化が進むと人

々の仕事は分業機械化され、木を切ることは木を切ることを職業に

する人に任せてほとんどの人々は木の魂の叫び声など聴くことはな

くなり、更に機械化によって木を切る人にも聴こえなくなったのか

もしれません。そして、自然の訴えに耳を傾ける人が誰も居なくな

りました。文明社会は決定な力を手に入れて自然との繋がりを変え

てしまった。もちろん、木だけではありません。魚や鶏や豚や牛や、

誰もが毎日食べる生き物たちの肉にしても、我々が直接鶏の首を絞

めたり屠畜したりはしません。生き物たちの魂の叫び声を耳にする

ことなく、敢て言えば後ろめたい思いをすることなくそのいのちを

食べているのです。断っておきますが、私はどちらかと言えば無神

論者で現世利益を授ける昨今の如何なる信仰にも一切縋ろうなどと

は思っていません。それでも、スーパーで働いていて、いのちを奪

われた生き物たちが食べられもせずに毎日大量に棄てられているの

を見ていると、時々この社会が何時までも続くとは思えなくなりま

す。すでに、私たちは食べ物が魂を宿した生き物であることを忘れ

てしまったのではないか。食べるということが如何に後ろめたい感

情を伴う作業によってスーパーの店頭に並ぶのか知らないのです。

それは、生きるということが何ものかの犠牲の上に成り立っている

ということを知らないことになります。やがて自然との繋がりを失

った想像力は、自然の中でしか生きられないにもかかわらず、生き

る感受性を鈍化させ独善的になり、自分たちが安楽に暮らすためな

ら山を削り川岸を固め海岸を埋め立てても何の代償も求められない

と思っている。しかし、我々が何かを得れば間違いなく自然は何か

を失っています。秩序を破壊された自然は、破壊された秩序をその

まま我々に返してくるのです。つまり、如何なる文明であれ自然秩

序に従うことでしか繁栄できないことを我々は忘れてしまったので

はないだろうか。

 昔の人が言うように、自然にも魂があるとすれば、それを秩序と

言ってもかまわないが、自然にも意志があるに違いない。自然の中

で暮らした昔の人々は容易にそれを感じることができただろう。生

き物を殺して食べもせずにただ棄てることがどれほど後ろめたいこ

とであるか知っていた。一本の木を切るにしても無駄にならないよ

うに心掛け祈りながら切った。それほど自然を破壊することを畏れ

た。自然の中でしか生きられない人間は、自分たちの生存と自然秩

序の微妙なバランスの上にしか繁栄は築けないことを知っていた。

ところが我々は、文明への過度の依存から生存が自然の礎の上に築

かれているという当たり前のことさえ忘れてしまった。生きるとい

うことは食べることであり、食べるということは生き物たちのいの

ちを殺めることであるという、生きることの後ろめたさを忘れてし

まったように。自然の意志に逆らった文明は豊かな社会と引き換え

に環境の破壊をもたらし、自然の意志は破壊された環境を復元させ

ずにあるがままに我々に報いるのです。つまり「失くしたものは元

には戻らない」、これが自然の意志です。

 巨木に寄生して日当たりを求める植物が、代を繋ぐうちに大地か

ら遠く離れて、自らが宿主に依存していること忘れ、宿主である巨

木の日差しを奪ってついには宿主を枯らしてしまい、自らの仕業で

自らの「宿命」を終わらせてしまうように、我々の文明もまた、大

地からかけ離れた高層ビルの空調の効いた部屋の中で、生きるため

の糧はすべて大地に依存しながら、豊かさを享受して増長し、自分

たちが自然に依存して生きていることさえも忘れてしまい、ついに

は自分たちの「宿命」を自分たちの仕業で終わらせる時がやってく

るのかもしれない。食べるための生き物を自らの手で殺めることも

なく、奪ったいのちを平気で棄て、大地で作られたデンキがなけれ

ば一日たりとも過ごせないコードに繋がれた生活を送っている。デ

ンキがなければ生きられない人々がデンキが止まるかもしれない脱

原発に賛成するはずがない。また、デンキに頼った営みによって生

活を支えている人々も、原発の再稼働に賛成するのは至極当たり前

のことである。何れも、彼らは原発によるデンキに依存しているが

故に、いまさら原発の是非を問うまでもないことなのだ。考えた末

の結論などではない、そうしなければ生活を存続することができな

いからだ。一方で、脱原発を訴える人々は、果たして消費電力を3

0%減らした暮らしを受け入れる覚悟があるのだろうか。さらに、

経済が停滞し失業者で溢れ福祉が後退しても耐え忍ぶ覚悟はあるの

か。我々は、もはや思考停止の賛成や感情だけの反対を叫ぶばかり

ではなく、如何にして生活環境を破壊せずに豊かさを失わない社会

を築くことができるのか、誰にも負えるはずがない責任を「負う」

と出任せを語る政治家に預けるのではなく、高層ビルの部屋での宙

に浮いた議論ではなく地球内生物として大地に根付いた話し合いが

行われなければならない。恐らく、原発問題は継続するにせよ撤退

するにせよ、我々の社会にとって時代の大きな転換点になるだろう。

ただ、我々の意識が何も改まらずに継続されることだけは避けなけ

ればならない。もはや、水道の蛇口を捻ったら無尽蔵に水が出てく

るようにデンキが流れてくる時代は限界を迎えているのだから。


                                  (つづく)


「無題」 (六)―⑦

2012-09-02 02:29:17 | 小説「無題」 (六) ― (十)



          「無題」

         
           (六)―⑦


 道は正面の山の斜面に突き当たって左右に分れていた。T字路に

佇んでどっちへ行こうか思案していると傍らの畑に設えられたビニ

ールハウスの中から、

「おや、またお会いしましたね」

と、例のチョイ悪親父風が現れた。私は最前の経緯には一切触れず

に、

「このハウス、お宅のですか?」

ビニールハウスは入口のある半円の断面を通り過ぎた道に向けて三

棟並んでいた。

「ええ、ここは貸りてるんですがね」

「へぇ、で、いったい何を作ってらっしゃるんですか?」

「ちょっと、待ってください」

そう言って、彼はビニールハウスの中に入って行った。そして戻っ

てくると、真っ赤に熟れた大きなトマトを差し出した。

「えっ!これもしかして福寿ですか?」

「へえ、よく知ってますね。そうです」

「何でまたこんな品種を?」

「近頃の甘いだけのトマトは嫌いでね、まあ、食べてみて下さい」

私はそのトマトのお尻にかぶりついた。すると酸味と独特の匂いが

口いっぱいに拡がった。

「どうです?」

「トマトの味がします、いやあ、懐かしい味です」

「酸っぱいでしょ」

「ええ」

歩き疲れていたこともあったが、もともと私は胃を痛めていたので、

そのほどよい酸味がただれた胃壁を労わり、そして胃袋に冷たい

果肉がどっしりと落ちたがそれでもスーと軽くなり體の疲労物質が

消えていくのがわかった。食い終わると口の中に仄かな甘さと青

臭さが残った。

「これは美味い!」

それは、スーパーで売っている味もそっけもないトマトとは全く違

っていた。一言で言えばクセのある野生的な味だった。

「確かに、桃太郎にはない味ですね」

するとチョイ悪親父風は、

「何でそんなによく知っているのですか?」

「あっ、実は私、スーパーで働いてまして」

「ヘエ、そうですか」


                                  (つづく)