折節の移り変わるこそ

季節の移ろいの中に、感じたままを一日一日。

春の名残の花

2006年05月30日 22時34分43秒 | 小満
  
春が進みに進んで、もう5月も残すところ1日のみです。

それは、待ちに待った5月でした。
薔薇・・・・夢やあこがれ、このために私の今年はある、そう思い込んでいました。
それは、いまもそうなのです。
逆に、そんな想いって、そうそう揺らぐわけがありません。

  

私は、A型のてんびん座、落ち着きとバランス感覚は、自分だけが認めるところ(?)です。
もっとも、一度こうと思い込んだったら、たいへんに一途なところがあります。

     

薔薇栽培だってそうですね。
育て方が少々むずかしかろうとなんであろうと、その先にある、あの花の美しさにぞっこんとなった以上、あとに引けるような軟弱な気持ちは、残念ながら持ち合わせていません。

          

いつの頃からでしょうか。
自分でこうと決めたら、正面突破を図るような、やや秘めた情熱を持った「A型」に変化してきたようです。

          

そういうわけで、今年になって、私の趣味の園芸は、メインとサブが交代しました。
メインは、一気の薔薇・・・・。
サブは、それ以外の私の周りの花たち。
私の気持ちとして、薔薇とそれ以外の花たちという図式になってしまいました。
だからと言って、薔薇以外の花たちをないがしろにしたり栽培をやめてしまうなんて、
できるわけありません。

     

私の大好きなビオラを始めとする、早春からずっと庭を彩ってきた草花たち。
もうそろそろ、お開きになりそうなのです。
ブログを開始したのが1月、それから2月、3月、4月、そして5月。

    

この冬から、薔薇の大苗を植え付けた頃から、私は休日の朝、庭の草花たちとの会話を日課にしていました。
ビオラ、プリムラ姉妹たち、そうした草花が、私の相談相手みたいなものでした。

    

彼ら、彼女らそれぞれに、私の様々な想いとともにありました。
庭の草花たちは、おそらく私の心の微妙な変化を読み取っていたかもしれません。

    

だから、冬から春への心の旅路をよくわかっていたはずです。
うれしいときも悲しいときも、愉快な気分も、言いようのない寂しささえも、
すべて分かち合っていたように思います。

       

このところ、忙しさにかまけてブログのアップも滞り、庭の草花にも十分に声をかけていられたわけでありません。
そうこうしているうちに、一年草とはもうそろそろになってしまいました。
それで、はっと気づいたんです。

    

彼らは彼女らは、私のすべての想いを、知っていて、理解もしてくれたんではないかと。
そう思えてなりません。

それほどの春の名残りの花たち・・・・。

今年ほど別れが心に響くことはないように感じます。
同時に、私は心にまた一つ、大切にしなければならないものを、確かに持ちえました。
自分の想いを大切に、たった一度きりの人生、今日のこの日を大切に、未来は今日からなんですよ・・・・違いますか?
そうでないと、この春を毎日静かに見つめてくれた草花たちに、言い訳が立ちません。

春の名残りの花たち・・・・どれだけ感謝してもし足りない、いまの正直な気持ちです。

          


◇◇◇  おまけです。そろそろ紫陽花が・・・・。

               

◇◇◇  私のうちの庭にまさか「ユキノシタ」が・・・・。

          


コメント (8)
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