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音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

坂本龍一 他/ラスト・エンペラー

2009年12月26日 01時59分42秒 | サウンドトラック
 映画を観たついでにサントラも聴いてみた。日本では「ラストエンペラー」の音楽といえば、問答無用で「坂本龍一の音楽」ということになるのだうろれど(私のことなのなんですけど-笑)、映画を観ても、いや、このサントラ盤を聴いても分かるとおり、この作品の音楽は坂本龍一に、トーキングヘッズのテビッド・バーン、そして中国の作曲家コン・スーの三者が作品を持ち寄った形で作られている。先ほど観たこの作品でもこと音楽面についていえば、「坂本の音楽ってこれだけしか使われていなかったけ?」という印象であった。特に前半はそうである。なにしろ冒頭のメイン・タイトル(あのデザインはモーリス・ビンダーだったのね)は坂本の「ラストエンペラーのテーマ」ではなく、デビッド・バーンによる、彼らしいモダンでいささか乾いたアイロニー漂うものだし(紋切り型の中国スタイルなんだよな)、幼年期の溥儀のシーンはかなりデビッド・バーンが音楽が多用されているのだ。記憶のデフォルメは怖いものだ。私などこの20年で坂本の音楽をあれやこれや聴いているうちに、もうすっかりこの映画から音楽が塗りつぶされてしまい、メイン・タイトルからして坂本によるあのテーマ・ミュージックが使われていたような気がしてまっていた訳だ。

 確かアナログ盤ではA面が坂本、B面がバーンとコン・スーという構成で、それはそれで筋の通った構成だったけれど、CDになるとそれが繋がってしまい、坂本による「エンドタイトル」がが終わると、今度はバーンの「メイン・タイトル」というのではちょっと気持ち悪い。坂本の音楽はオーケストラを使ったスケールの大きなものというイメージがあったけれど、今聴くと民族楽器を使った中国風なもの、シンセでオーケストラを代行したもの(戦メリ風でもある)などがけっこう多いことに気がつく。せんだって「エイリアン」の完全版のサントラを聴いたけれど、この「ラストエンペラー」についても、それこそ坂本のパートだけで一枚、その他のパートでもう一枚みたいな2枚組完全版のようなもの発売してもいいように思う(「プレイング・ジ・オーケストラ」の演奏はいろいろな意味で不満があるし)。ともあれ、「エンド・タイトル」を筆頭にここに収録されたトラックは、坂本が作ったあまたの映画音楽の中でも、とりわけ心に残るものとなっている。ベルトルッチとはかなり葛藤があり、本人はいろいろと不満もあったようだけれど、優れた映画音楽というのは、監督、プロデューサーと作曲家の良心との葛藤、時間的制限....そういった制約だらけの孤独な作業から生まれてくることだってあるのだ。
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ラスト・エンペラー(B.ベルトリッチ 監督作品)

2009年12月26日 01時22分20秒 | MOVIE
  「ラストエンペラー」をほぼ20年ぶりくらいだろうに観た。先ほどNHKのBSHiでオンエアされたもので、ヴァージョンは劇場公開のそれではなく、全長220分に及ぶディレクターズ・カット版であった。なにしろ夜9時から始まり、終わったのは日が明けて、もう1時近かったから、その長さも分かろうものである(もっともベルトルッチでは「1900年」という320分にも及ぶ作品があったが)。今回はこれを観る予習(?)として、新書とはいえ「溥儀」の評伝も読んでいたこともあり、予備知識はばっちり、溥儀の前を通り過ぎる何人もの端役の歴史的ポジション、動きようなものが、今回はより明快に分かったし、「あぁ、この部分は映画的には○でも、歴史的には「嘘」だなと」とか興ざめしつつ、ベルトルッチにとって、溥儀が歴史的にどういう人物に写ったのか、よく分かっておもしろかったといったところだ。

 それにしても、前半~中盤で描かれる「紫禁城のたそがれ」の映像美は圧巻である。記憶によれば、もう少し壮大なスケールだったような気もしたのだが、その圧倒的な色彩感、秀逸なカメラワークなどは、今観ても思わず息をのむほどだ。よくわからないが、劇場公開版に追加されたシーンはほとんど紫禁城に舞台にした部分ではないか....そう思わせるくらいに、この紫禁城でのシーンは入念かつじっくりと描かれていて、まさに美術の国イタリアの映画監督が作った作品だなと思わせるシーンの連続であった(ついでにいえば乳母との関係や別れなどは、いかにもイタリア映画的情緒であったと思う)。また、最初はアシッドな雰囲気すら漂う紫禁城の内外が、様々な歴史的出来事によって否応なく、変貌していく様を映像はよく伝えていて、ジョンストンの登場、眼鏡、外から聞こえてくる怒号などを経て、紫禁城のどまんなかで溥儀たちがテニスをやっているところに、城の立ち退き命令が下されるあたりのシーンなど、あれやこれや説明せずともそういう歴史の荒波を感じさせる部分だった(この後の黒の衣装に、サングラスみたいな眼鏡をかけて、城を後にする溥儀は絵的にもカッコ良かったな)。

 ただ、まぁ、じっくりと観ていると、このディレクターズカット版、全体にちと冗長かなというところはないでもない。映像的に優れた場面をあれもこれも入れすぎたせいで、物語的にはテンポが落ちているような気がしないでもない。もうほとんど記憶にないが、劇場公開版では、最後までもうすこし締まったテンションが持続していたような気がするのだが....。などと、あれこれ考えながら観ていると、あのラストシーンがやってくる。くどくど説明しないけれど、映画の冒頭、溥儀が城内の誰かにコオロギ(キリギリス?)を貰うシーンに呼応したもので、これによって、スクリーンで起きた様々なドラマが想起され、その直後、畳み掛けるように現代の紫禁城の観光ガイドの画面に繋がるあたり、ドラマ的な起承転結という意味でも、申し分ない優れたシーンで、「いったい歴史に翻弄された溥儀という人物はなんだったのか」と、あれは観るたびに感動してしまう。という訳で、この「ラストエンペラー」、やはり名作であった。こうなると「1900年」ももう一度観てみたい気がしてきたが、そういえばこの作品の後、ベルトルッチはみたび歴史的大作を作ったのだろうか?。
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WINTON MARSALIS / Christmas Jazz Jam

2009年12月25日 22時23分11秒 | JAZZ
 こちらは出たばかりのウィントン・マルサリスのクリスマス・アルバムだ。前回の「Crescent City Christmas Card」が1989年の制作だから、20年振りのクリスマス物ということなる。ついでに書けば、私が最近けっこう聴いている彼のアルバムは1990年代初頭くらいのものばかりだから、一気に20年近くの年月を越えて(私はこの間に出た彼のアルバムを私は全く聴いていない)、最新の彼の作品を聴いたということにもなる。ちなみに前回のアルバムの時、彼は28歳だったから、今回のはだいたい48歳の時ということになる訳だけど(考えてみれば、彼はまだ48歳なのだ)、まさにジャズのメインストリームをあっと言う間に征服し、血気盛んだった秀才が、50近くになってどんな音楽をやっているのか....そんな興味も感じさせるアルバムだ。

 内容だが、基本的にはほとんどアルカイックといってもいい、ディキシー・ランド・ジャズである(マルサリス+10ピース・バンドという編成、曲にょってはボーカルも入る)。その意味では前回の「Crescent City Christmas Card」と似たようなところがないでもないが、今回は肌触りが大分違う。前回が全体に楷書体の演奏、アレンジで、生真面目かつ律儀に作られたアルバムだったとすると、本作は一曲目の「サンタが街にやってくる」から、ぐっと肩の力が抜けた、素直に音楽が楽しさのようなものを全面に出しているのが如実に感じられる仕上がりだ。なにしろアルバム・タイトルが「クリスマス・ジャム」だから、当然といえば当然かもしれないが、なにしろ最近は彼の若き日の制作した、細部までコントロールしきったような音楽を聴いていたので、このリラックスぶり、豪快のスウィングしている様は、やはり20年という歳月を感じないではいられない。「ジングル・ベルス」や「ブルー・クリスマス」などの曲で感じられる、良い意味で弛緩したムードなどその典型だ。また、定番の「Christmas Song」と「Have Yourself a Merry Little Christmas」は、前者はかなりムーディ、後者はこのアルバムでは唯一モダンで都会的なアレンジで演奏されているが、どちらもかなりいい仕上がりだ。

 他の曲も八割方お馴染みのものばかりである。前述の通り、基本的にはオプティミズム全開といった感じのディキシー・ランド・ジャズなので、あまり自分の嗜好からすると好みの音楽とはいえないが(もっともモダンなアレンジなども当然随所に取り入れてはいそうなのだが)、とりあえずどの曲も非常に快活にスウィングしているし、問答無用に楽しんでいることが伝わってくるので、以前の作品のような息苦しいところがないのはいい。もっともマルサリスだからして、完全主義的なところは随所に出てくるが、このくらいならあまり気にもならない。
 という訳で、本年のクリスマス・アルバム・シリーズは都合8枚も紹介することできた。例年に比べればけっこう多い方か。ちなみにマルサリスに始まり、マルサリスに終わったのは全くの偶然である(笑)。
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ジョン・レノン/ハッピー・クリスマス(戦争は終わった)

2009年12月24日 23時04分31秒 | Beatles
 このシングルを購入したのは、確か1972年、私が中学1年の時だったと思う。当時、ジョン・レノンが作ったクリスマス・ソングという触れ込みで、多少話題にはなったように思うが、これが大ヒットしたという記憶はなく、私自身もクリスマス云々に関係なく、単に「ジョンのシングルの一枚」として購入してきたような気がする。ビートルズ関連のクリスマス物といえば、個人的にはビートルズ活動中、毎年ファンクラブの会員宛に配布されたクリスマス・メッセージ集があり(もちろん海賊盤という形でだが)、これがほとんど決定打になっていたため、ジョンのこの曲はちょっと影が薄い気もしたものだ。クリスマス・シーズンにこれが街角で流れていないこともなかったけれど、そう沢山という訳でもなく、流れていたとしても「好き者がにやりとする」程度だったはずだ。そんな訳で、この曲、出てしばらくは、あまりクリスマスらしい佇まいを感じさせなかったような気がする。

 以来三十数年、先日、あるところでお茶を飲んでいたら、この「ハッピー・クリスマス」のカバーが不連続だったが都合3曲くらい流れたことがあった。仕上がりやパフォーマーはそれぞれだったが、どれもR&B風にアレンジした「濃い」ヴァージョンであった。私はぼんやりとそれを聴きながら、「あぁ、そういえば、この曲ももう立派にクリスマス・スタンダードになったんだな」と、ちょっと感無量になってしまったものだった。そういえば、近年、街角からオリジナルのこれが聴こえてくる機会もずいぶん増え、そもそもこれが流れると、聴いているこちらからして、「あぁ、クリスマスだなぁ」と思うようになったのは、やはり時の流れという他はない。別にクリスマス・ソングに限ったことではないが、曲なり、歌なりがスタンダードとなり、曲自体にある種の風格というか、オーラのようなものを滲ませるようになるには、やはりこれだけの年月がかかるのだと、つくづく思ったりしたものだ。

 ちなみにこのシングル、B面は「リッスン・ザ・スノウ・イズ・フォーリング(ほら、聞いてごらん、雪が降っているよ)というヨーコが作ったクリスマス・ソングで、仕上がりもごくまっとう、フォーク調の美しい曲だった。ヨーコといえば例のけろけろ声で歌うアヴァンギャルド作品というイメージがあるが、こういうオーソドックスなスタイルでも佳曲をいくつか残していて、これなど「ナウ・オア・ネバー」あたりと並んで、その代表曲だと思う。もっともこちらは現在でも十分に埋もれ続けている作品であるが....。
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KENNY BURRELL/Have Yourself A Soulful Little Xmas

2009年12月24日 00時01分32秒 | JAZZ
 こちらは1966年にケニー・バレルが作ったクリスマス・アルバムである。リチャード・エヴァンスの編曲によるオーケストラ(弦も入る)に、ベース、ドラムスを加えたスタイルで収録されている。ケニー・バレルといえばブルージーで、ややダークでアーシーなセンスが横溢するギターワークということで、ジャズ・ギターといえば、ウェス・モンゴメリーやバーニー・ケッセルだったりする私には、内容的にはどうだろう....と思わないでもなかったが、これがなかなかの出来であった。先のジミー・スミスのようにビッグ・バンドでガンガン迫る、あるいは通俗路線のポップさでノリノリみたいなところがなく(いや、ないではないが)、これみよがしなことがほとんどなく、しっとりと落ち着いて、センスよくリラクゼーションを誘う....とまぁ、私のような独身オヤジが今日みたい夜に、安酒でも飲みつつ耳を傾けるのにぴったりという感じの音楽なのだ。

 なにしろ、やや斜に構えたような編曲がセンスもいい。冒頭の「Little Drummer Boy」はラヴェルのボレロのハイライトのとこを拝借したような感じで始まり、そのまま例のブルージーなギターが縦横に歌うあたりは聴き物だし、お待ちかね「Have Yourself a Merry Little Christmas」と「Christmas Song」は、ストリングスをバックにしみじみと歌っているのがいい。暖かみのあるヴァイブや木管の響きもいいアクセントになっている。同曲の演奏としては久々のヒットという感じである。「White Christmas」はオーケストラなしで、ピアノ・トリオ+ギターの編成でもって、これまたしっとりとまさに「真夜中のギター」した演奏となっている。また、「Silent Night」はゴスペル風、「Twelve Days of Christmas」ではバロック風なオケを帯同、「Mary's Little Boy Chile」はカリプソ風、「Children Go Where I Send Thee」はゴーゴーと音楽的ヴァリエーションも豊富で実に楽しめる。ラストの「Merry Christmas, Baby」はオルガンを従えての、モロにバレルしたブルージーな演奏で彼の面目躍如である。

 そんな訳で、ジャズ系のクリスマス・アルバムとしては、かなり気にいった。もう間に合わないが、来年はカーコンポへ録音など、個人的にはクリスマス物の定盤になりそうである。実を云うと、これ先日のジミー・スミスと一緒に2,3年前に購入したものだが、なんでももっと早く聴かなかったのだろう....という気がしている。ちなみに何故だか3曲目にコルトレーンの「My Favorite Things」が入っていて、3分半と短いながら、ビッグバンドを従えて、実に気合いの入った演奏を展開しているのだが、これクリスマスに由来する曲なのだろうか。
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新東宝名画傑作選 「大東亜戦争と国際裁判」

2009年12月23日 22時14分52秒 | MOVIE
 昭和34年制作、新東宝の十八番「戦争物」の一作である(第4作目とのこと)。ただし、本作品はタイトルからも分かる通り、いわゆる戦記物ではなく、戦後になって行われたも今でも何かと物議を醸し出す極東国際軍事裁判(東京裁判)がメインテーマとなっている。前半部分では、日本が第二次大戦に雪崩れ込むまでのプロセスが描かれ、中盤以降はもっぱら東京裁判の法廷がドラマのメインとなる構成となっている。なにしろ嵐寛寿郎主演であるし、通俗路線の新東宝の戦争物ということで、前に観た「明治天皇と日露大戦争」のようなガチで浪花節調のドラマかと思いきや、本作はいささか趣が異なっていた。

 なにしろ、昭和34年といえば、戦争が終わってまだ十数年という時期であり、「国民は軍に欺されていた」「東條は極悪人」みたいなイメージが、一般的だったと思うのだが、本作での東條英機は、以外のも実直で穏やかな指導者として描かれており、また東京裁判自体の意義について、疑義を申し立てる法廷場面が大幅にクローズアップされるなど、第二次大戦における日本をある種、肯定的に捉える視点で貫かれているのが、かなり異色といえる。ただ、まぁ、なにしろ90分の映画である。前半は第二次大戦をニュース風に振り返り、中盤以降の法廷を舞台としたドラマは実質1時間にも満たないから、いきおい駆け足にならざるを得ない。狂人となった大川周明や溥儀の出廷、ジョセフ・キーナンと清瀬一郎との緊迫やりとりなど、めぼしいところは押さえているが、パール判事の弁護は出てこないし、いささか食い足りない感は残る。また、とってつけたようなラストも時代を考えれば当然だろうが、せっかくこうした視点で作った以上、あえてあのような「民主主義万歳」的な〆はやはり蛇足であったような気する。

 ちなみに出演陣は東條英機を演ずる嵐寛寿郎以外は、ほとんど知らない地味な俳優たちばかりであったのは(ウルトラQの一ノ谷博士でお馴染み江川宇礼雄が弁護士役でちらりと登場)、逆にある種のリアリティを感じさせたかもしれない。という訳で、新東宝にしては、なかなかシリアスで硬派な、骨太なドラマあった(今、こんな視点で映画を作ったら各方面、その筋の国からの横やり抗議で凄いことになること請け合い-笑)。ちなみにこれは偶然だが、本日、12月23日はこの作品のラストにも描かれている東條らの死刑が執行された日である。もう61年も前の話である。
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ハイドン 交響曲 第40番「フーガ」/フィッシャー&オーストリア・ハンガリー・ハイドンPO

2009年12月23日 14時15分05秒 | ハイドン
 昨年はほとんどレビュウできなかったことから遅々してはかどらないハイドンの交響曲全集聴き倒しシリーズですが、「このままではあと10年経っても最後までいかない!」とばかりに、最近では休みの午前とかゆったりとした気分の時には、努めて聴くようにしてきたおかげで、ようやく第40番に到達できました。やっと、交響曲全体の3分1ってところですかね。さてこの第40番ですが、エステルハージ家で副楽長をしていた時期の作品のようで、珍しいのは、本来別の目的に作られた楽章を組み合わせて交響曲にしたという点でしょうか。自筆譜の用紙や様式からそういった痕跡が伺えるようですが、これが本当だとしたら、まさにこの時代だからこそ、可能だった芸当としかいいようがないですね(そういえば、モーツァルトにはそういう例たくさんありますね)。

 さて、第1楽章はなだらか起伏、伸びやかな佇まいで進む快適なアレグロ楽章。第2楽章は「宮廷のけだるい午後」みたいなムードを持った緩徐楽章。ただし、アンダンテとはいえ、かなりくっきりとしたリズムをもっています。第3楽章はメヌエットですが、どうも第2楽章とかなり似た感じのムード、リズミカルさがあるところから、これなど第2楽章とは別のところから持ってきたパーツなのかもしれないですね。トリオではホルンとオーボエが活躍します。最終楽章はフーガになっています。ハイドンの交響曲の中ではきっちりとしたフーガが採用されたのは、この楽章が唯一の例なようですが、末広がりで立体感が増すような感じもなく、けっこう淡々としているところからすると、あんまりフーガという形式はハイドンのお好みではなかったのでしょうか。ともあれ、この楽章のフーガがハイドンとしては唯一ものであれば、ニックネームもそれにあやかって「フーガ」としておきましょうか。

 それにしても、ハイドンの交響曲、聴いてあれこれ感想書いてるだけでも、そろそろ書くべきことがなくなってしまいそうなのに(笑)、これを録音した方はさぞや大変だったろうな....とつくづく思いますね。フィッシャーは14年かけてこの全集をしたようですが、さもありなん。クラシックの場合はそれ譜面から曲を解釈しなくてはいけいはずで(まぁ、渡された譜面を職人的に振ってしまっているのかもしれないですが....)、今の感覚からすれば、曲が時代様式に埋もれてしまっているような曲ばかりを相手に、まずは曲を価値から定めていくのは、ものすごい研究心と根気が必要だったと思います。
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梁静茹/今天情人節 台北小巨蛋珍寶全記録(LoveCD)

2009年12月22日 23時56分37秒 | 台湾のあれこれ
 こちらはアルバム「今天情人節」のメイン・ソース(?)となるCD。DVDの方が「LiveDVD」だから、こちらはそれにひっかけてか、ディスク名が「LoveCD」とネーミングされている。内容は新曲5曲に、DVDと同じステージのライブ音源からベスト盤風な選曲で7曲、そしてジョナサン・リーの「理性與感性」というライブステージから師匠が作った名曲2曲という幕の内弁当的な構成になっている。まず新曲5曲だが、そのうちの4曲がトップからずらりと並べられている。
 最初はタイトル・チューンの「今天情人節」だが、ミディアム・テンポでゆったり歌われるラブリーなウォームな作品、サビの部分でターシー・スーの昔の曲に酷似した展開になるのだけれど同じ作曲者なのだろうか(こういう「コレって、ひょっとするとあの曲と同じ人が作った?」的パターンって、台湾ポップの場合、実はいろいろなところであったりするのだが、クレジットを確認するのが煩瑣でついつい放置してしまう)。2曲目「如果能在一起」はちょっとテンポが上がって、日本でいったら昔のZARDみたいな生活応援歌風な雰囲気。

 3曲目「我們就到這」はしっとりしたピアノに導かれて始まる典型的な台湾バラード。人恋しく、どこか懐かしくなるような作品だ、さすがにこういう曲では梁静茹は巧い。曲目の「我決定」も多少ギター・サウンドを取り入れたアレンジだが、基本は台湾風のバラードだ、サビがいかにも台湾的な展開。5曲目「滿滿的都是愛」は彼女にしては珍しいレゲエのリズムを取り込んでつくられた、ちとアイドル歌謡風なハッピーな感じの曲となっている(まぁ、こういう曲調なだけに、彼女の歌もいささか捨て曲的ななげやり感がないでもないのが微笑ましい)。
 以上、5曲コンサート・タイトルにちなんだ曲まで含んでいるのにもかかわらず、ライブDVDには1曲も収録されていないのは何故だろう。演奏したのだけれど、収録されなかったのか、そもそも取り上げられなかったのだろうか不明である(おそらく後者)。ちなみに一応新曲ということだが、この5曲、おそらくこのステージのバック・バンドとリハーサルなど一連のセッションと併せて録音されたものだろう。一応、完成品の体裁は整っているのが、ディテールに拘らないアレンジ、放送録音的なリマスタリングなど、今一歩詰めが甘いところが散見している。

 一方、ライブ音源だが、おそらくDVDと同じマスターを使っていると思われ、映像付きで観ると全く感じないのだが、やや細部の解像度があまいナローな音質なのが気になる。こういうおおらかなところがいかにも台湾という感じだが(笑)、日本ならこのマルチマスターから、誰からも文句つけられないように、ボーカルやドラムスなどを中心にあちこち整音して、おそらくDVDとはまったく違うCD用のマスターつくるところだ。映像付きだと気にならない、ボーカルの音程の揺れだとか、大所帯のバックバンドの混濁気味のサウンドなど、もう少しすっきりとしてもらっても良かったかなとは思う。ともあれ、CDでこのコンサートのハイライトをもう一度楽しめるのはありがたい。あ、あと「理性與感性」からの2曲では、確かサラ・チェンの持ち歌として有名な「誘惑的街」を非常に巧みに歌っているのが良かった。ある意味このアルバムの一番の聴きどころといえるかもしれない出来だ。
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チック・コリア・トリオ/ARC

2009年12月22日 00時21分27秒 | JAZZ-Fusion
 こちらは遡って1970年の作品。この時期のチック・コリアの音楽遍歴をまとめると、ざっくりといって、1968年の「ナウ・ヒー・シングス」で一躍注目を集め、マイルス・バンドへ加入、そこでしばらく活動した後に脱退、1970年にベースのデイヴ・ホランド(マイルス・バンドで一緒だった)とドラムのバリー・アルトシュルを誘って、サークルを結成する....という感じだろうか。このアルバムはチック・コリア・トリオ名義だが、おそらくメンツ的にも音楽的にもサークルそのものだったと思われる。サークル自体はフリー・ジャズにかなり近づいた音楽をやっていたようだが、ここで聴ける音楽はまさにフリー・ジャズ的なものである。
 アルバムはショーターの「ルフェルティティ」から始まる。本作では唯一、隅々までアレンジされたオーソドックスなジャズに近い作品である。もちろんこの時期のチック・コリアだからして、当たり前な4ビートなどやっていないが、「ナウ・ヒー・シングス・ナウ・ヒー・ソブス」の続編よろしく、かなり複雑にアレンジされ、かなり自由にアドリブを展開するものの、まずはフリー・ジャズ嫌いでも受け入れらそうな作品になっている。2曲目の「バラード・フォー・ティリー」はホランドのベースが主導し、それにコリアがインスパイアされているような落ち着いたインプロビゼーション、全編に漂ういささか虚脱したようなムードがいかにも1970年という時代のひとこまを感じさせる。タイトル・トラックは「トリオ・ミュージック -トリオ・インプロヴィゼイションズ-」でやったようなフリーなインプロで、けたたましいところまでいかないが、かなりパーカッシブな演奏になっている。

 ホランド作の「ヴェダーナ」は、ベースが発信源となり前半は印象派風な曖昧模糊としたムードで続き、中盤以降は爆発的なインプロの応酬となる。この曲が実際どの程度スコアリングされていたのか知るよしもないが、昔はまるでフリーのように感じたが、今の感覚で聴くとけっこうそこそこアレンジされていたのかな....という気もする。「サナトス」は長いインプロの途中を抽出したような趣、内容的には完全なフリー・ジャズだ。いかなる意図か、非常に長いフェイドインから始まり、やがて同じように長いフェイドアウトで締めくくられる。ラストの「ゲームス」はやはりホランド作、「ヴェダーナ」もそうだったがホランド作品は、コリアのようにはじけるような趣がなく、非常に落ち着いていて、フリーといってもかなり構造化されているのが特徴と感じた。
 という訳で、このサークルという活動、やはりチック・コリアとしては、時代の要請も基づき「一度はやっておかなければならなかったジャズの解体作業」といった通過儀礼的な活動だったような感が強い。その後に展開される音楽活動を既に知っている者からすれば、ここで聴ける音楽も悪くはないが、やはりチック・コリアという人が持つ多彩な手の内の中の、小さな一手に過ぎなかったようにも思える。ちなみにこのサークルが解散すると、その次の来るのがリターン・トゥ・フォーエバーなのは周知の通りである。
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JIMMY SMITH / Christmas '64

2009年12月21日 21時24分10秒 | JAZZ
 1964年に製作されたジミー・スミスのクリスマス・アルバム。1964年当時、ジミー・スミスといえば、ヴァーブ・レーベルのドル箱アーティストであり、それ故の企画だったのだろう。同じ頃、ヴァーブで彼と並ぶ両雄といえるウェス・モンゴメリーがこの種のアルバムを残さなかったのは不思議だが、ジャズでクリスマス・アルバムといったら、ヴォーカリストの専売特許だったところに、こういうインスト・アルバムでそれをやってしまえるのは、ジミー・スミスという実に華のあるアーティストゆえのことだろう。もっとも、内容的には特に気を衒ったところはなく、完全なヴァーブ・スタイルだ。つまりビッグ・バンドを従えたダイナミックなサウンドに、コンパクトにまとめたソロ・パートを配置したイージー・リスニング・ジャズである。身も蓋もない言い方をすると、「キャット」あたりのサウンドで、クリスマス・ミュージックをやっているというだけという感じである。

 収録曲は「ジングルベルス」「クリスマス・ソングス」「ホワイトクリスマス」「サンタが街にやってくる」「サイレントナイト」などなど有名曲8つで、今の感覚からすると、ちとひねりがなさ過ぎるガチな選曲な気がしないでもないが、これは1964年という制作時期ゆえだろう。さて、1曲目は「ゴッド・レスト・イ・メリー・ジェントルメン」、イントロはちょっとどんくさいトラッド調だが、40秒くらいのところから一転ビッグ・バンド・スタイルに雪崩れ込むところがカッコイイ。スミスのオルガンも例の手癖、崩し癖全開で、全盛期のジミー・スミスの豪快さが堪能できる。クリスマスだからといって、いつもペースを全く変えたりしないのはさすがだ。「3人の王」も同パターンでガチなスタイルから一転してスミス調になる。「クリスマス・ソングス」はそれこそ「ザ・キャット」的なアーシーでブルージーなアレンジ(もっともアレンジはラロ・シフリンではなく、ビリー・メイヤーズだが)、「ホワイトクリスマス」は、この有名曲をなんとボサ・ノヴァにアレンジして演奏している。ひょっとしてワルター・ワンダレーでも意識したのかもしれない、いずれにしてもヴァーブならでは演奏だ。

 一方、「ジングルベルス」「サンタが街にやってくる」、あと最後に入っている「ゴッド・レスト・イ・メリー・ジェントルメン」の方はオルガン・トリオ(オルガン、ギター、ドラムス)による演奏となっている。この中では「ゴッド・レスト・イ・メリー・ジェントルメン」が6分強の比較的長い演奏で、冒頭のビッグ・バンド・ヴァージョンに比べると、比較的淡々とした演奏だが、アドリブに入ってからの「濃さ」はさすがだし、とにかくテーマからアドリブまでスミスが活躍しているのはちょっとうれしい。あとの2曲はけっこう軽くポップなアレンジだが、「サンタが街にやってくる」では、ちょっとしたギター・ソロ(クウェンティン・ウォーレン)などもフィーチャーされている。
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DS関連小物

2009年12月21日 00時43分08秒 | GAME
年末恒例、「安物買いの銭失いシリーズ」第3弾、今回はDS関連の小物が3つ。

★USB ACアダプタ
ACソケットからUSB電源を供給するためのアダプタ。この種のアダプタはiPhoneの付属品(リコールがあったやつね)だの、PowerBankについてきたモバイル・クルーザー、以前に上海問屋で購入したものとかいろいろ持っているが、もう一個くらいあってもいいかなと思っていたところなので購入。デザインはご覧の通りださく無愛想だが、値段が199円と驚異的に安いの売り(まさかダイソーで100円で売ってたりしないよね)。


★PSP/DS/DSL/DSI/GBASP/iPod 超万能マルチUSBケーブル
USBケーブルが途中から5股に別れて、それぞれの末端がPSP、DS、DSi、GBA、そしてiPod用の端子になっているという、中国からいかにも出てきそうな製品。先のACアダプタにこれを繋げておくと、大抵のモバイル機器は充電できてしまうという優れもの(?)。ちなみに同時にいくつか繋げても充電できるのだろうか?。いや、こわくて試せないのだが(笑)。これが激安で477円。


★DSi専用LED充電スタンドライトグリーン
DSiの充電端子をこれに差し込むと、充電スタンドになる。充電中は半円のカープに沿ってランプがつくので、けっこうお洒落だったりする。おもしろそうだと思って購入したが、使ってみるとこんなものにガチャガチャと差し込むより、そのまま充電して方がよほど簡単だということに気がつく(笑うしかー)。これが799円。

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ハイドン 交響曲 第39番『the FIST』/フィッシャー&オーストリア・ハンガリー・ハイドンPO

2009年12月20日 19時02分22秒 | ハイドン
この交響曲39番はト短調です。そうです、モーツァルトの交響曲第40番、あと25番に使われた調性です(ついでにいうとバッハの小フーガもそう)。ディスクには38番に続いて収録されていたもので、ぱっと聴きで「おぉ、さすがはシュトルム・ウント・ドランク期の作品だわー」とか思ったんですが、いつも参照しているサイトで調べてみると、シュトルム・ウント・ドランク期の直前の作品に分類されています。そう考えると、余計にこの作品が珍品のように感じます(もっともWikiだと明快にシュトルム・ウント・ドランク期の作品としていますけど、大局的にみればそうなるのかな)。深刻ぶった作品を愛好する日本人としては、突如こうした作品を作った動機になにやらロマンティックな由来でもあったんじゃないかと勘ぐりたくもなったりしますが、おそらく気まぐれでしょう(笑)。

 まず第1楽章ですが、いかにもト短調したシリアスで暗い情熱に満ち満ちています。弦の細かい動きが転調を重ねて、ドラマチックにテンションを上げていく当たりは、どうしたってモーツァルトの25番を思い出しちゃいますよね。ちなみにモーツァルトが25番を作ったのは1773年、この曲は1768年頃の作曲といわれていますから、ひょっとするとモーツァルトは25番を作るにあたって、尊敬するハイドン師のこの作品を参考にしたという可能性もあるかもしれません。ただ、モーツァルトのような哀しみというより、ハイドンの場合、表だって出てくるのはベートーベン流の「悲愴」といった感情でしょうか。途中何回か休止が入りますが、これがいい効果あげます。あと、構えもきっちりかっちりしているのもドイツ流。第2楽章はかなりリズミカルなアンダンテの楽章、全体にしずしずとしていくらかユーモラスな表情で進んでいきますが、時折りフォルテで驚かすような楽句が頃合いのアクセントになってます。

 第3楽章はメヌエットですが、これはメヌエット部が短調で作られていて(かなり宗教的で敬虔な感じがします)、トリオが長調で田園的になるいつもパターンは逆の構成となっていますが、ここでは圧倒的に短調のメヌエット部の存在感が勝っている感じがします。続く第4楽章は当然ト短調となります。ここでもかなり劇的な様相を呈していますが、多少パースペクティブが開けたようなところがフィナーレに相応しい感じですね。ちなみに標題の「The Fist」なんですけど(iTunesで取り込むとこれが付いてくるんですよね)、これどういう意味合いなんですかね。直訳だと「握り拳」みたいなことになるんでしょうけど、どうも由来がわかりません。調べてみたんだけど、そもそもこの標題を採用している資料が少ないんですよね。どなたか適切な日本語訳教えてくださいませ。
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梁静茹/今天情人節 台北小巨蛋珍寶全記録(LiveDVD)

2009年12月20日 00時28分04秒 | 台湾のあれこれ
 ちょうど去年の今頃に訪台した時に購入してきたもので、ショップにはそこそこ大きな扱いでおかれていたように記憶している。一応メインとなるのはライブその他いくつかの音源を集めたCDのようだが、私の購入してきたのは、このCDにライブDVDが2枚組の計3枚のデラックス版である(ただし、ネックレスや写真集といった沢山のオマケがついて旗艦版ではない)。とりあえず今夜はDVDの方を視聴してみた、2008年6月7日、台北アリーナで行われたコンサートの2枚に分けて収録されている。このコンサートは「今日の私たちはヴァレンタイン・デイ」とかいう(途中、ほんわかカップルが実に沢山映し出せれる)、かなり規模の大きいアリーナ・クラスのコンサートだったらしく(台北アリーナは1万5千人収容だそうな)、演出の豪華さもボリューム感もたっぷりのステージになっている。

 1曲目は私が彼女のファンになるきっかけとなった、大ヒット曲「崇拜」からスタート。暗幕にアラビアのお城みたいな建物が写り、壮大なイントロダクションが静まると、オリジナル通りアカペラで歌い始めるのだが、よくみると暗幕越しの彼女の位置が妙に高い、やがて暗幕が取り払われると、数メートルはあるようなせり上がりポールみたいなところで歌っている。怖かったろうな(笑)。で、怖かったからそういう顔になったのか、歌が歌なだけにマジになっているのかは不明だが、かなり緊張した顔しているのが妙に印象的なのだ。とはいえ、歌そのもは出だしから非常に安定している、さすがはプロである(この曲のアカペラ開始は、歌手にとっては、マーラーの5番のトランペットなんかと同じで、かなり緊張する瞬間なんじゃないだろうか?)。このあとは一転して、多分彼女のヒットメドレーになって本格的なステージの開始となる。私は彼女のアルバムを「崇拜」くらいしかないので、ヒットメドレーといってもよく曲を識別できないところはあるのだが、ステージの冒頭近くでこういうメドレーを持ってこれるというのは、彼女のカタログが非常に豊富だということの証明だろう。

 いずれにしても、こうしたレパートリーの豊富さに加えて、このステージではサーカスみたいな中国舞踏(?)、フランス風なパントマイム、弦楽合奏団は出てくるし、飾り窓風な演出、汽車は走る、ミラーボールはうようよ出てくるは、張り出しステージには何度もでるわは、非常に豪華なステージだ(ターシー・スーのコンサート・ヴィデオでもそうだったけど、こういう派手さは台湾人の好むのところなのだろう、そういうところCDやDVDの豪華なパッケージでもわかる)、歌も緩急、硬軟をよくバランス良く配置されていて2枚組、30曲、ほとんど見飽きない。彼女のステージというのは初めて観たが、明るいキャラには違いなにしても、自分はあんまり踊ったりせず、あくまでも正統派シンガーというスタンスなのも好感がもてる。あと気がついたところでは、ライブにありがちなバック・バンドがそれなりで、歌をぶちこわしみたいなところが全くなく、かなりいいメンツを集めているらしく、歌の安定感に負けずおとらず、バックの面々も極めて安定しているのはこのパフォーマンスの価値を高めていると思う。という訳で、とても楽しめた1枚、いや2枚....あっ、あと一枚CDが残ってる(笑)。
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エンリコ・ピエラヌンツィ/プレイ・モリコーネ2

2009年12月19日 13時36分41秒 | JAZZ-Piano Trio
 当ブログにも大分前にレビュウした、エンニオ・モリコーネのカバー集の続編である。正編の翌年(2002年)に早々とリリースされているところを見ると、きっと好評だったのだろう。私も早々と購入したはいいが、もう何年も放置されたままになっていた。ところで、私がこれを購入した2005年頃の日本はというと、ビエラヌンツィ、ティエリー・ラング、ジョバンニ・ミラバッシ、ヨス・ヴァン・ビースト、トルド・グスタフセンといったヨーロッパ系のジャズ・ピアノが一種のバブル状態にあって、かなりの数リリースされていたように思う。もともとこの手の音楽に弱い私は、次から次へ出てくるこの手のアルバムの存在を知り、かなり枚数のアルバムを購入したものだった。なにしろ当ブログも、そもそもの始まりは、2005年の1月にこうした音楽を沢山聴いていて、次にピエラヌンツィの「メレディーズ」を取り上げたことにあったりしたのだった。あれから5年、このブームは(というほどのものでもなかった?)、今はどうなっているのだろうか。

 さて、本作だが相変わらず私自身がモリコーネの曲そのものをあまり知らないので、アレンジや選曲のセンスといった点を云々できないのがつらい。布陣はピエラヌンツィにマーク・ジョンソンとジョーイ・バロンというレギュラー・メンバーともいえる面々だから、演奏は非常に安定感があるし、ピエラヌンツィ自身もモリコーネの曲だからといって、特にいつも違ったことをしている訳ではないから、特にモリコーネを意識せずとも、ヨーロッパ系のピアノ・トリオ作品として十分楽しめる内容になっていると思う。1曲目の「シシリアン」はかなり有名な曲で、さすがに私も聴き覚えがある。イタリアっぽいドメスティックな旋律を、例によって徐々に解体していくピエラヌンツィ・ワールドであるし、2曲目の「ザ・ニンフ~ダーク・サンライズ・オブ・ラヴ」はビル・エヴァンス風なスロー・バラード、3曲目の「ゼロの世代~きみを想って」はアップ・テンポでシャープにスウィングする演奏という訳で、冒頭の3曲でほぼピエラヌンツィの個性が全面的に開陳されていると思う。ちなみに5曲目「ネクスト・ナイト」、10曲目のタイトル・トラックはピエラヌンツィのオリジナルで、これはいつも通りのピエラヌンツィのセンスとペースで押し切った、シャープな透明感とちょっとひりひりしたようなメランコリーが横溢する作品だ。

 個人的には、曲としてはミディアム・テンポで軽快にスウィングする4曲目「ゼロの世代~ジーズ・トゥエンティ・イヤーズ・オブ・マイン」が良かったかな。この曲、アストラッド・ジルベルトの名作「いそぎぎ」のラストに入っていた「ファニー・ワールド」そのもので、「へぇ、あれモリコーネの曲だったのねー」と思わずニタニタしてしまった。後半の4バース・チェンジからフリーがかった展開に雪崩れ込んでいくあたりもこのトリオは実に余裕綽々で実に洒落ている。ついでに8曲目の「ザ・ニンフ~プロミス・オブ・ラヴ 」は軽いボサノバ調、こういうのも楽しいものだ。あと、6曲目の「夜ごとの夢~イタリア幻想譚」9曲目の「イル・プラート」といった作品では、テーマはモリコーネ、途中からピエラヌンツィのオリジナルへとメドレーで繋げていく構成をとり、演奏そのものもモリコーネの作品を時に自然に、時に強引に彼自身の世界に引き寄せているのがおもしろい。
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ハイドン 交響曲 第38番『こだま』/フィッシャー&オーストリア・ハンガリー・ハイドンPO

2009年12月19日 11時25分52秒 | ハイドン
 全4楽章、演奏時間が約16分という比較的こじんまりとした交響曲です。第1楽章は序奏なしにティンパニを伴っていきなり第1主題から開始されますが、多少ありきたりに宮廷風な第1主題、リズム的なおもしろさはあるものの、とりたてて印象にも残らないような第2主題を使って、主題を縦横に操作する展開部が充実していて5分半程度の規模であるにもかかわらず、大きなスケール、山あり谷ありの起伏で、ベートーベンを思わす聴き応えがあります。この曲は作品表によるとシュトルム・ウント・ドランク期の作品に分類されていますが(この曲は短調ではなくハ長調ですが)、やはりこの時期ともなると、ハイドンも交響曲という様式を完全に自家薬籠中の物としはじめたのでしょう。素材自体の価値はともかく、交響曲という器に、いかに豊富な音楽情報を盛り込み、どれだけ充実した作品に仕上げることができるか....そんな点にかなり傾注している様が、この楽章からもうかがえるような気がします。

 第2楽章はしすしずと進みつつも、多少リズミカルなところもある緩徐楽章ですが、途中第1ヴァイオリンの音型を、第2ヴァイオリンが追っかけるところがあり、このディレイのような効果がおもしろく、この曲の標題を「エコー」だとか「こたま」とするポイントになったようです。第3楽章は2分ちょいで終わる小振りなメヌエットで、オーボエがうねうねと三連で綴られるトリオが印象的ですが、ここではむしろメヌエットとトリオがきっちり対象して、小振りながらもけっこう風格ある音楽になってもいるところがいいです。最終楽章はなんとなく爆発しそうでしないところがありますが、第1楽章の精力的な感じを再現しつつ、途中でオーボエがフェイントをかけるように入ってくるところが印象的です(ブラームスの交響曲第2番の第3楽章にもこういう場面がありましたが)。この曲には前述のとおり「エコー(こだま)」という標題がついている訳ですが、自分ならここをとって「フェイント」としたかもしれませんね。
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