Blogout

音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

梁静茹/今天情人節 台北小巨蛋珍寶全記録(LoveCD)

2009年12月22日 23時56分37秒 | 台湾のあれこれ
 こちらはアルバム「今天情人節」のメイン・ソース(?)となるCD。DVDの方が「LiveDVD」だから、こちらはそれにひっかけてか、ディスク名が「LoveCD」とネーミングされている。内容は新曲5曲に、DVDと同じステージのライブ音源からベスト盤風な選曲で7曲、そしてジョナサン・リーの「理性與感性」というライブステージから師匠が作った名曲2曲という幕の内弁当的な構成になっている。まず新曲5曲だが、そのうちの4曲がトップからずらりと並べられている。
 最初はタイトル・チューンの「今天情人節」だが、ミディアム・テンポでゆったり歌われるラブリーなウォームな作品、サビの部分でターシー・スーの昔の曲に酷似した展開になるのだけれど同じ作曲者なのだろうか(こういう「コレって、ひょっとするとあの曲と同じ人が作った?」的パターンって、台湾ポップの場合、実はいろいろなところであったりするのだが、クレジットを確認するのが煩瑣でついつい放置してしまう)。2曲目「如果能在一起」はちょっとテンポが上がって、日本でいったら昔のZARDみたいな生活応援歌風な雰囲気。

 3曲目「我們就到這」はしっとりしたピアノに導かれて始まる典型的な台湾バラード。人恋しく、どこか懐かしくなるような作品だ、さすがにこういう曲では梁静茹は巧い。曲目の「我決定」も多少ギター・サウンドを取り入れたアレンジだが、基本は台湾風のバラードだ、サビがいかにも台湾的な展開。5曲目「滿滿的都是愛」は彼女にしては珍しいレゲエのリズムを取り込んでつくられた、ちとアイドル歌謡風なハッピーな感じの曲となっている(まぁ、こういう曲調なだけに、彼女の歌もいささか捨て曲的ななげやり感がないでもないのが微笑ましい)。
 以上、5曲コンサート・タイトルにちなんだ曲まで含んでいるのにもかかわらず、ライブDVDには1曲も収録されていないのは何故だろう。演奏したのだけれど、収録されなかったのか、そもそも取り上げられなかったのだろうか不明である(おそらく後者)。ちなみに一応新曲ということだが、この5曲、おそらくこのステージのバック・バンドとリハーサルなど一連のセッションと併せて録音されたものだろう。一応、完成品の体裁は整っているのが、ディテールに拘らないアレンジ、放送録音的なリマスタリングなど、今一歩詰めが甘いところが散見している。

 一方、ライブ音源だが、おそらくDVDと同じマスターを使っていると思われ、映像付きで観ると全く感じないのだが、やや細部の解像度があまいナローな音質なのが気になる。こういうおおらかなところがいかにも台湾という感じだが(笑)、日本ならこのマルチマスターから、誰からも文句つけられないように、ボーカルやドラムスなどを中心にあちこち整音して、おそらくDVDとはまったく違うCD用のマスターつくるところだ。映像付きだと気にならない、ボーカルの音程の揺れだとか、大所帯のバックバンドの混濁気味のサウンドなど、もう少しすっきりとしてもらっても良かったかなとは思う。ともあれ、CDでこのコンサートのハイライトをもう一度楽しめるのはありがたい。あ、あと「理性與感性」からの2曲では、確かサラ・チェンの持ち歌として有名な「誘惑的街」を非常に巧みに歌っているのが良かった。ある意味このアルバムの一番の聴きどころといえるかもしれない出来だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

チック・コリア・トリオ/ARC

2009年12月22日 00時21分27秒 | JAZZ-Fusion
 こちらは遡って1970年の作品。この時期のチック・コリアの音楽遍歴をまとめると、ざっくりといって、1968年の「ナウ・ヒー・シングス」で一躍注目を集め、マイルス・バンドへ加入、そこでしばらく活動した後に脱退、1970年にベースのデイヴ・ホランド(マイルス・バンドで一緒だった)とドラムのバリー・アルトシュルを誘って、サークルを結成する....という感じだろうか。このアルバムはチック・コリア・トリオ名義だが、おそらくメンツ的にも音楽的にもサークルそのものだったと思われる。サークル自体はフリー・ジャズにかなり近づいた音楽をやっていたようだが、ここで聴ける音楽はまさにフリー・ジャズ的なものである。
 アルバムはショーターの「ルフェルティティ」から始まる。本作では唯一、隅々までアレンジされたオーソドックスなジャズに近い作品である。もちろんこの時期のチック・コリアだからして、当たり前な4ビートなどやっていないが、「ナウ・ヒー・シングス・ナウ・ヒー・ソブス」の続編よろしく、かなり複雑にアレンジされ、かなり自由にアドリブを展開するものの、まずはフリー・ジャズ嫌いでも受け入れらそうな作品になっている。2曲目の「バラード・フォー・ティリー」はホランドのベースが主導し、それにコリアがインスパイアされているような落ち着いたインプロビゼーション、全編に漂ういささか虚脱したようなムードがいかにも1970年という時代のひとこまを感じさせる。タイトル・トラックは「トリオ・ミュージック -トリオ・インプロヴィゼイションズ-」でやったようなフリーなインプロで、けたたましいところまでいかないが、かなりパーカッシブな演奏になっている。

 ホランド作の「ヴェダーナ」は、ベースが発信源となり前半は印象派風な曖昧模糊としたムードで続き、中盤以降は爆発的なインプロの応酬となる。この曲が実際どの程度スコアリングされていたのか知るよしもないが、昔はまるでフリーのように感じたが、今の感覚で聴くとけっこうそこそこアレンジされていたのかな....という気もする。「サナトス」は長いインプロの途中を抽出したような趣、内容的には完全なフリー・ジャズだ。いかなる意図か、非常に長いフェイドインから始まり、やがて同じように長いフェイドアウトで締めくくられる。ラストの「ゲームス」はやはりホランド作、「ヴェダーナ」もそうだったがホランド作品は、コリアのようにはじけるような趣がなく、非常に落ち着いていて、フリーといってもかなり構造化されているのが特徴と感じた。
 という訳で、このサークルという活動、やはりチック・コリアとしては、時代の要請も基づき「一度はやっておかなければならなかったジャズの解体作業」といった通過儀礼的な活動だったような感が強い。その後に展開される音楽活動を既に知っている者からすれば、ここで聴ける音楽も悪くはないが、やはりチック・コリアという人が持つ多彩な手の内の中の、小さな一手に過ぎなかったようにも思える。ちなみにこのサークルが解散すると、その次の来るのがリターン・トゥ・フォーエバーなのは周知の通りである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする