ロバート・クラフト2回目のピアノ四重奏曲第1番である。前回のシカゴとの録音が1964年で、こちらのロンドン響とのは1998年だから、ほぼ四半世紀を経ての再録ということなるが、その年月が物をいってるのだろう。一回目ものより数段素晴らしい、実に熟成した味わい深い演奏だ。シカゴ交響楽団というバウフルな上にパワフルなオケを得て、ジョージ・セルもかくやというザッハリッヒな熱狂が横溢した演奏も悪くはなかったし、時にうなり声を上げて指揮するクラフトの十字軍的な剛直さにもある種の情熱を感じるのもやぶさかではなかったが、あまりにも直線的で、まるで真一文字に口を結んだようなその演奏は、ブラームス的な逡巡する抒情のようなものが、どこかに置き去りされてしまったような憾みを感じないではいられなかった。
その点、この演奏はまるでシカゴの時とは別人の如き落ち着きがあり、シェーンベルクによるシミュレーションで再構成されたブラームス的な抒情を実に丹念に描いている。第1楽章など前回の演奏では、一度始まった最後で一瀉千里とばかりに精力的に進んでいったが、こちらは微妙なテンポの変動も含めて、落ちつき払ったような感覚があり、木訥としてふと立ち止まるようなブラームス的な趣をよく表現している。遅めに解釈された第2主題など聴くにつれ、「あぁブラームスを聴いてるなぁ」と感じさせてくれるのがうれしいところである。
ともあれそういう演奏なので、第2、第3楽章も非常にいい仕上がりだ。どちらも基本的にはシカゴの時の同様に早めの解釈だが、ロンドン響(というかイギリスのオケ特有というべきか)のややくすんだ響きがブラームスにとてもよくマッチしており、時折見せるラプソディックな表現が味わい深い。最終楽章も節度がある。この熱狂的な楽章に限ってはあの性急な前回の演奏の方が懐かしいような気もするが、交響曲のラストとしては実はこのくらいの方が座りがいいのではないか。聴いている感じとしては、ハンガリー云々より、第2交響曲のラストのような趣がある。
という訳で、このブラームス的側面を満喫できる仕上がりだ。前回の録音がシェーンベルクのオーケストレーションを焦点を当てたのに対し、こちらはその向こう側にあるブラームス的世界をじっくりくみ取った演奏といういい方も可能かもしれない(もっともこれは元々Kochレーベルのシェーンベルク・シリーズの一貫として録音されたようなのだが)。録音もCBSのようなオンマイクなものではなく、どちらかといえば、オーケストラのマスな響きに焦点をあてたふっくらとしたもので、これもまた演奏の自然な印象を倍加している。
その点、この演奏はまるでシカゴの時とは別人の如き落ち着きがあり、シェーンベルクによるシミュレーションで再構成されたブラームス的な抒情を実に丹念に描いている。第1楽章など前回の演奏では、一度始まった最後で一瀉千里とばかりに精力的に進んでいったが、こちらは微妙なテンポの変動も含めて、落ちつき払ったような感覚があり、木訥としてふと立ち止まるようなブラームス的な趣をよく表現している。遅めに解釈された第2主題など聴くにつれ、「あぁブラームスを聴いてるなぁ」と感じさせてくれるのがうれしいところである。
ともあれそういう演奏なので、第2、第3楽章も非常にいい仕上がりだ。どちらも基本的にはシカゴの時の同様に早めの解釈だが、ロンドン響(というかイギリスのオケ特有というべきか)のややくすんだ響きがブラームスにとてもよくマッチしており、時折見せるラプソディックな表現が味わい深い。最終楽章も節度がある。この熱狂的な楽章に限ってはあの性急な前回の演奏の方が懐かしいような気もするが、交響曲のラストとしては実はこのくらいの方が座りがいいのではないか。聴いている感じとしては、ハンガリー云々より、第2交響曲のラストのような趣がある。
という訳で、このブラームス的側面を満喫できる仕上がりだ。前回の録音がシェーンベルクのオーケストレーションを焦点を当てたのに対し、こちらはその向こう側にあるブラームス的世界をじっくりくみ取った演奏といういい方も可能かもしれない(もっともこれは元々Kochレーベルのシェーンベルク・シリーズの一貫として録音されたようなのだが)。録音もCBSのようなオンマイクなものではなく、どちらかといえば、オーケストラのマスな響きに焦点をあてたふっくらとしたもので、これもまた演奏の自然な印象を倍加している。