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坂本龍一 他/ラスト・エンペラー

2009年12月26日 01時59分42秒 | サウンドトラック
 映画を観たついでにサントラも聴いてみた。日本では「ラストエンペラー」の音楽といえば、問答無用で「坂本龍一の音楽」ということになるのだうろれど(私のことなのなんですけど-笑)、映画を観ても、いや、このサントラ盤を聴いても分かるとおり、この作品の音楽は坂本龍一に、トーキングヘッズのテビッド・バーン、そして中国の作曲家コン・スーの三者が作品を持ち寄った形で作られている。先ほど観たこの作品でもこと音楽面についていえば、「坂本の音楽ってこれだけしか使われていなかったけ?」という印象であった。特に前半はそうである。なにしろ冒頭のメイン・タイトル(あのデザインはモーリス・ビンダーだったのね)は坂本の「ラストエンペラーのテーマ」ではなく、デビッド・バーンによる、彼らしいモダンでいささか乾いたアイロニー漂うものだし(紋切り型の中国スタイルなんだよな)、幼年期の溥儀のシーンはかなりデビッド・バーンが音楽が多用されているのだ。記憶のデフォルメは怖いものだ。私などこの20年で坂本の音楽をあれやこれや聴いているうちに、もうすっかりこの映画から音楽が塗りつぶされてしまい、メイン・タイトルからして坂本によるあのテーマ・ミュージックが使われていたような気がしてまっていた訳だ。

 確かアナログ盤ではA面が坂本、B面がバーンとコン・スーという構成で、それはそれで筋の通った構成だったけれど、CDになるとそれが繋がってしまい、坂本による「エンドタイトル」がが終わると、今度はバーンの「メイン・タイトル」というのではちょっと気持ち悪い。坂本の音楽はオーケストラを使ったスケールの大きなものというイメージがあったけれど、今聴くと民族楽器を使った中国風なもの、シンセでオーケストラを代行したもの(戦メリ風でもある)などがけっこう多いことに気がつく。せんだって「エイリアン」の完全版のサントラを聴いたけれど、この「ラストエンペラー」についても、それこそ坂本のパートだけで一枚、その他のパートでもう一枚みたいな2枚組完全版のようなもの発売してもいいように思う(「プレイング・ジ・オーケストラ」の演奏はいろいろな意味で不満があるし)。ともあれ、「エンド・タイトル」を筆頭にここに収録されたトラックは、坂本が作ったあまたの映画音楽の中でも、とりわけ心に残るものとなっている。ベルトルッチとはかなり葛藤があり、本人はいろいろと不満もあったようだけれど、優れた映画音楽というのは、監督、プロデューサーと作曲家の良心との葛藤、時間的制限....そういった制約だらけの孤独な作業から生まれてくることだってあるのだ。

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