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音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

スパコンはダメでもマジコンはいいのか

2009年12月29日 23時59分00秒 | others
 なにげにツイッターがブームである。こうしたミニブログに限らず、ネットには自分の感動や想い、鬱憤や愚痴、欲求不満、食べた物、行ったところ、購入した物などを外に向かって吐き出して、なにがしかに欲求不満を解消したい人で一杯だ(いうまでもなく、私もそのひとりであるが)。あわよくば、誰かがコメントでつけてくれて、そこから新たなコミュニケーションにでも発展すれば、それはそれで素晴らしい....きっと、そんなところなのだろう。
 そんな中、こうした外部に対して何を発信するのに圧倒的に敷居の低い「つぶやきメディア」に乗って、民主党の蓮舫議員がちょっとしたポカをやった。ツイッター上で「DS『イナズマイレブン2』の改造コードの入れ方をどなたかご存知ですか? 私にはさっぱり…」と発言したのだ。要するに彼女は息子にマジコンを買い与えており(12歳らしいから自分でマジコンを購入したとは考えにくい)、母親である彼女は、この限りなく黒に近いキカイの違法性も自覚せず、実におおらかにその「やり方」を質問してしまったという訳だ(笑うしかねー)。

 いや、これ自体、別段たいした問題でもないとは思うのだが、世の中には一見ご立派そうな大人でも、「著作権」の概念を知ってか知らずか、ファイル共有ソフトでを使ってさまざまなソフトをダウンロードしたり、誰かに音楽CDだのパソコン・ソフトをコピーしてもらうことなどに、何ら良心の呵責も感じないどころか、人の創造物である著作物に対して、その対価として金を払うというごく当然のことを、「そんなものに金払うのは損でしょ」みたいに考えかねない連中が、-そこらにいる市井の民ならいざしらず-実は国会議員のような人達の中にもいる....ということを物語っている出来事だと思う(まぁ、自分もあんま人のことあれこれいえるほど、ご大層な人間ではないのだが-笑)。
 ちなみに、この秀逸なタイトルは、残念ながら私の考えたものではない。このニュースを知り、遡って読んだ某巨大匿名掲示板群からのものである。子供にマジコンを使わせているような人が、いくら正論をいったところで、まるで説得力がない....といったところであろう。ノーブレス・オブリージュという言葉は、どうやら、期待の民主党の人たちにも無縁のようである。
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ニューヨーク・トリオ/君はすてき

2009年12月29日 23時56分12秒 | JAZZ-Piano Trio
 「Live at the Village Vanguard」の翌年、つまり昨年の作品である。こちらはヴィーナスから出ているので、チャーラップ、レオンハート、スチュアートによるニューヨーク・トリオ名義となる。今回の作品は、もう何度目かになるお得意のソングブック・シリーズで、今回はリチャード・ロジャースの作品を取り上げている。チャーラップはこれまでバーンスタイン、エリントン、ガーシュウィン、ポーターとこのアメリカの大作曲のスタンダードを中心とするシリーズを延々と続けてきたが、単発では彼の作品を何度も取り上げてはいるものの、リチャード・ロジャースの作品集は、そういえば未だだったのか....という感が強い。なにしろリチャード・ロジャースの作品はコール・ポーターのようにひねったところがなく、素直で愛らしいメロディと軽妙な都会的センスが特徴な訳で、こうした特徴はまさにチャーラップの資質にぴったりと一致するように感じるからである。

 セレクションされた曲では、2曲目の「マイ・ファニー・バレンタイン」が印象に残る。なにしろ耳タコの名曲だし、このトリオ自身も「夜のブルース」で既にレコーディング済みであったりするのだが、だからこそというべきなのか、この「またコレですかい」といわれかねないところを、チャーラップは冒頭3分近くをかつての名演「いそしぎ」を思わせる静謐な美しさをもったピアノ・ソロで演奏し、その後、お得意の「遅い曲をもっと遅く」のパターンで演奏してみせる。1回目のレコーディングでは、この曲をミディアム・テンポでちょっと明るく演奏したが、今回のはその演奏の力のいれようからして、これぞ本番といったところだろう。名演だと思う。他の曲は比較的渋めの選曲だが、どの曲もかなりクウォリティの高い演奏だ。3曲目の「時さえ忘れて」はこのトリオらしい、ごりごりとした個性のぶつかり合いが楽しめるスウィンギーな演奏、一方、4曲目の「いつかどこかで」もミディアム・テンポで、ほどよく軽快、ほどよくしっとりしたシックな演奏になっていて、なかなか味わい深い演奏になっている。他もパラード・タイプの5曲目「息もつまって」や10曲目「一度彼女をみてごらん」などを始めとして、おしなべて演奏のクウォリティは総じて高い。

 以前のアルバムでは非常に出来の良いパフォーマンスと、やとわれ仕事的な安全運転の演奏の落差が大きいような気がしたが、このアルバムではそろそろこのトリオも例の「ミスマッチング的なスリルやおもしろさ」から、チャーラップのレギュラー・トリオに迫る阿吽の境地というか、一体感のようなものが出てきたところから感じられ(7曲目の「ミス・ジョーンズに会ったかい?」などレギュラー・トリオのコンセプトがこちらに浸食してきているように感じられる)、音楽的なクウォリティがぐっと向上したように感じられるのだ。レコーディング用の臨時編成だったこのトリオも、結成して10年近く経過したこともあり、さすがに熟成の時期を迎えたというところだと思う。この編成でライブをしているのかどうかは知らないが(おそらくしてないだろう)、レギュラー・トリオがライブは傑作だったし、そろそろこちらのトリオでもライブ盤など出してもいいのではないだろうか。そんなことを感じさせる良い出来のアルバムだ。
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ハイドン 交響曲 第42番「さきがけ」/フィッシャー&オーストリア・ハンガリー・ハイドンPO

2009年12月29日 12時33分30秒 | ハイドン
 この42番ですが、前の41番とほぼ同様に第1楽章冒頭は全合奏による和音でもって開始します。かなり推進力を感じさせつつ、ぐいぐいと進んでいく様はちょっとベートーベンの「英雄」を思わせる趣がありますね。冒頭の和音がところどころで循環しつつ、楽曲が精力的に展開し、次第にスケール感を上げていく様も「英雄」的といえます(演奏時間も8分強となかなかの長さ)。ハイドンは私が聴いた印象でも、これまでこうした「英雄」的なムードを予見したような音楽を何回か書いていますが、中でもこれはかなり酷似したものといえるのではないかと思います。第2楽章は9分半とかなり長く、従来の楽天的な明るいムードというより、もう少し複雑な感情を表すかのようにいくつかのモチーフが錯綜してかなり重厚な楽章となっています。この作品はシュトルム・ウント・ドランク期に属するようですが、そろそろこういった楽章でもにベートーベンやシューマン、そしてブラームスといったドイツ・ウィーン流のロマン派的な緩徐楽章に近い雰囲気になってきました。

 第3楽章はハイドンらしい明るいメヌエットですが、いつもよりいささかスクウェアで生真面目、いささか角張ったリズムが感じられますね。その意味ではこれもこじつければ「ベートーベンのスケルツォももうすぐ」みたいな感じがなくもないといえるかもしれません。トリオはスケルツォそのままで室内楽風な音楽になります。最終楽章はいつものように直線なアレグロの進むフィナーレというより、細かい音符が躍動し、多少ぎくしゃくした音楽(途中小休止も何回かあるようですし)になっています。これまた最後を変奏曲で締めくくった「英雄」を思わせる絡め手のカタルシスがあります。ついでに書いておくと、後半のふたつの楽章は併せて8分くらいで終わりますが、この頭でっかちなバランスというのも考えみれば「英雄」的ですよね。という訳でこの42番、非常に個人的な印象かもしれませんが、ベートーベンの「英雄」を先取りしているという意味にひっかけて、「さきがけ」としてみました。うーむ、ちょっとごじつけが過ぎるかな(笑)。
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