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音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

桂三木助/芝濱

2009年12月31日 22時27分38秒 | Books
 年末....というか、大晦日の個人的な定番は落語「芝浜」である。「芝浜」が年末の風物詩などというのは、世代によってはもはや説明無用なことだろうが、この噺の概略を一応wikiからの引用しておくと、『酒ばかり飲んでいる男が芝浜で大金の入っている財布を拾う。しかし拾ったはずの財布がなくなる。妻の言葉によって「財布を拾ったこと」は夢であったと諦める。男は改心して、懸命に働き、立ち直り、独立して自分の店を構えるまでに出世する。後に妻から実は妻が財布を隠していたという事の真相を知らされる』というもので、この「事の真相」を妻から知らされるが大晦日....という設定になっているからである。この「芝浜」は、現代の落語家はけっこう取り上げているようだが(立川談志など)、その昔は桂三木助の十八番だったようで、私が愛好しているこの三木助の高座を収録したCDである。

 さて、この三木助の芝浜だが、有名な前半、絵画にも例えられる芝浜の描写も見事なものだが、魚屋の主人としてひとかどの親方になった主人公と妻のやりとりで進む大晦日の情景が実に雰囲気があっていい。「銭湯」、「飯台」、「勘定は春永にゆっくり」、「高張り」、「畳の張り替え」、「門松の音」、「明日はいい元日だ」、「年越しそばのどんぶり」と様々な道具立てで、大晦日の情景が描写されていくのだが、この江戸前としかいいようがない、気っ風がよく、リズミカルな三木助の話術でもってこれを聞かされると、「かつての日本のそこかしこにあった大晦日」を、実にリアルに感じ取ることができ、しばし、なんともいえなく懐かしくて幸福な気分になれるのである。ちなみに、私が良く聞いているのこのCDは、なんでもラジオ用の短縮されたヴァージョンらしい。全長版というのはきっと、より濃い江戸情緒があったに違いない、あったらいつか聞いてみたいものだ。
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ドボルザーク 交響曲第9番「新世界」/リッツィ&NHK交響楽団

2009年12月31日 20時18分37秒 | クラシック(一般)
 以前に書いたが、自分にとって年末の第9とはベートーベンのそれではなく、ドボルザークの「新世界」である。この曲の随所からあふれ出る望郷の念だとか、どんじり風な切迫感だのが、きっと帰郷ラッシュを迎え、いかにも押し詰まった今の時期に気分的に合っているだと思う....と、これもかつて同じところ書いた。で、例年は時に応じて新規に購入したCDの聴き比べが恒例だったのだが、今年のはちと趣向を変えて、「新世界」を視聴してみることにした。演奏はカルロ・リッツィが指揮するN響で、今年の前半にBSでオンエアされた第1641回定期からものだ。リッツィは初めて聴く人だが、1960年生まれのイタリア人とのことだ、年齢的には中堅といったところだろう。いかにもこの国の指揮者らしく、どうも専門はオペラのようだが、2005年のザルツブルク音楽祭で、急逝したマルチェッロ・ヴィオッティのピンチヒッターとして、「椿姫」を指揮して大成功したことで、一躍知名度を上げた人らしい。

 さて、このリッツィとN響による演奏だが、指揮者がイタリア人という当方の先入観も大きいとは思うが、伸びやかによく歌う旋律、シェイプするリズムに直線的な推進力といった、いかにもアバドやムーティらの後塵を拝する、いかにも現代のイタリア人指揮者による演奏という感じである。第1楽章は主題提示は譜面通りの反復して、メリハリはあるがドラマチックな盛り上がりはほどほどに、全体をプロポーショナルにまとめているという感じ。途中登場する愛らしい旋律や後半の金管を中心とした場面で、それぞれの楽器にきっちりと音楽的な役割を分担させようとしする、交通整理をするような指揮振りはまさにオペラ的である。第2楽章はイタリア指揮者ならやはりこうなるだろうという、この楽章の望郷の念を歌いまくって表現した演奏だ。指揮者のテンペラメント溢れる身振り手振りや、何故か美人がやけに多いN響でもアイドルのひとり(?)池田昭子のオーボエのソロなどを観ながら聴くと、この耳タコの旋律も新鮮な感興がある。

 第3楽章は古典的スケルツォというよりは、キリっとして直線的な演奏の流れの上で、短いシグナル風のモチーフが入り乱れることを強調したような演奏だ。この曲になさそうでけっこうあるモダンさのようなものが良く分かる解釈といえるかもしれない。トリオを経てスケルツォが回帰するあたりの間合いも良い感じ。どんじりの第4楽章はこれまでの主題を次々に再現し、突き進むような怒濤のような展開をする実にドラマチックな音楽だが、この演奏ではあちこちに風呂敷を広げない直線的な演奏でぐいぐい進んでいく、ややスリムな印象だ。フリッチャイとベルリンが組んだ、あの巨大な演奏を同曲のベストと思っている私としては、ちと低カロリーに思ってしまうところがないでもないが、今時あんな超高カロリーの演奏など誰もしないだろう。客観的に見れば、これはこれで十分にテンションに盛り上がっているし、素晴らしい演奏だと思う。という訳で、映像付きで観る「新世界」、音だけで聴くそれとは、ひと味違った感興があって楽しめた。
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ベートーベン 交響曲第9番「合唱付き」/マズア&NHK交響楽団

2009年12月31日 15時49分24秒 | クラシック(一般)
 この1月にSTBをハードディスク録画機能付きのものに新調して以来、リアルタイムでは観れないクラシックのソースや映画などを録画しては楽しんで来た。なにしろNHKはこういうソースのオンエアにかけては、さすがに国営という威信があるのか、N響の演奏会以外にも、特にオペラなどは豪華なプログラムが揃っていて、ついついあれもとオペラだの映画だのの長尺ソースを録画していくと、あっという間にハードディスクの容量を逼迫してしまう。録りためたソースをDVDに焼き、レーベル面をきちんと印刷してライブリ化という作業をまめにやればいいのだが、このところ息切れ気味なので、年末だというのにハードディスクの残り容量がかなり心許ないことになっている(なにしろダビング中は録画できないのがキビシイ)。さて、この残り少ないハーディスクのスペースをやり繰りしながら録画したのがコレである。この22日にやったらしい、N響によるベートーベンの第9だ。

 指揮はクルト・マズア、演奏前に流れたテロップによればこれが初客演となるそうだ。マズアは東ドイツ出身の指揮者で、個人的にはライプツィヒ・ゲヴァントハウスの首席を長く続けた、地味だが質実剛健な指揮者というイメージがあるけれど、東西ドイツが統一されてからはかのニューヨークフィルの首席に着任したりと、現在はかなりメジャーな指揮者のひとりとなっているようだ。そんなマズアを呼んでの第9だから、N響も張り切っている(ように見える)。いつもはどちらかといえばスリムで淡麗な演奏をする彼らだが、第1楽章の第一主題のところから既にかなり重厚なサウンドに一変しているように感じるのは、当方の先入観だろうか。
 この曲の前半の2つの楽章はリズムが素人聴きにもやけにおもしろくできていて、現代の指揮者はそのあたりをクローズアップして、この曲をモダンに聴かせたりすることが多いように思うのだけれど、この演奏は悠々迫らぬテンポ、ゴツゴツとした肌触りで、これはいい意味でいうのだが、オーバーにいうと「徐行する戦車」みたいなイメージの演奏になっているのはおもしろい。
 第3楽章はまさにドイツの田園風景が見えてくるような演奏。この楽章は一見平坦でしかもかなり長いので、前述のようなモダンな演奏だと、妙に均質で一本調子の演奏になってしまいがちなところもあったりするのだが、さすがに練達な指揮者のことだけはある、オーソドックスといえばこのくらいオーソドックスな演奏もないと思うが、田園風景の向こうにきっちり音楽が聴こえてくるから、飽きずに最後まで楽しめるのだ。

 続く、第4楽章は通常の編成に少年少女合唱団を加えた大所帯で演奏されるのが珍しい。ベートーベンの第9は、このやけに祝典的だが聴けば聴くほど、実はよくわからない楽章をどう料理するかにかかっている。宇宙的なスケールで展開し、あちらの世界に飛び出したまま終わるものもあるし、交響曲の枠組みをぎりぎりで堅持しつつマーラー的なロジックで演奏するものあり、また、あくまでも古典交響曲の異端児として、どちらかといえば質素に演奏するものなど様々である。マズアはこの3つ目のものだろうか、もちろん合唱団の迫力は録画で観ても豪華絢爛だが、音楽そのものは意外にも見識あるストイックを備えていたと思う。個人的にはこのくらいに質実な演奏の方が楽しめる。という訳で、久々にベートーベンの第9を楽しんで聴くことができた。
 それにしても、同曲を大晦日に聴くのは何年ぶりだろう?。いや、ひょっとして初めてかもしれないな(笑)。次は、ドボルザークの第9でも聴こうか。
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